2002年08月

米国はなぜ嫌われるか研究して!

朝日ドットコムでこんな記事が
「米国はなぜ嫌われる? 米国務省が9月に討論会」
http://www.asahi.com/international/update/0829/005.html
「米国はなぜ、世界中で不人気なのか。その原因を探ろうと米国務省が9月5、6の両日、国内外の研究者約20人を招き非公開の討論会を開く。」とのこと。詳細はURL参照。ってことは、今までは嫌われてるって気づいてなかったのかなあ。と言うか、嫌われているってことがわかった時点で、「なんで、嫌われてるんだろう」ってまじめにその原因を探ってみるあたりが、すごく面白い。

嫌われていると言うことについて、目を背けずちゃんと現状を受け止めていて、それを解決しようとしているんだけど、なんかちょっとピントがずれてるあたりが面白い。
そんなに、みんなに嫌われたくないんだったらとりあえず「京都議定書」でも批准すればだいぶ変わると思うんですけどねえ。あ、強い人は媚びたりしなくてもいいのか。まあ、とりあえず、京都議定書については媚びでなく、地球のことを考えて批准して欲しいものですが。

東ヨーロッパで起こった洪水を見たときはさすがに、私はこわいと思った。着実に地球が温暖化に進んでいるのを実感しました。太平洋の島国でもツバルとなどは、海面が上がって国土が沈みそうで、沈むと国自体がなくなるからニュージーランドなどが受け入れ計画を立てているらしいし。私が住んでいるところは、東京のゼロメートル地帯(海抜が0mあるいはそれ以下)だから海面が上がったら、自分ちはなくなっちゃうんだよね。せっかく、なけなしのお金で家族が買った土地なのに。なくなっちゃうんだなー。

もともとそんなに好かれていなかったんだけど、もっとみんながアメリカが嫌いになったのはアフガン空爆以降でしょう。誤爆とかして、普通の村人が死んじゃったりして、でも「あ、間違えちゃった、ごめーん」みたいな感じなわけですよね。いや、「ごめーん」も言わなかったんだっけ?これは、一般人の感覚からしてちょっと隔たりがあるよね。
とはいえ、地球温暖化はヨハネスブルグの環境開発会議で、パレスチナ・アラブの和平提案みたいのはヨーロッパで今やっているみたいだから、何かしら良い方向に向かっていってくれたらいいな、と思います。

香港人の老後

今日はEちゃんが 香港から出張で東京に来たというので 本当に久しぶりに会った。 Aさんも一緒です。このメンバーはパリにいるときに友だちになった仲間。 (みんな1年間くらいパリに語学留学していたのです。) 帰国して結構経つけど、こうやって友達関係が続いているのは 嬉しい。

パリで友達になった人たちは今でもいい友達でいる人が多い。やっぱり、同じ時間を共有して、同じ悩み(苦労)をくぐり抜けたりした 連帯感って言うのがあるのかな、と思う。 Eちゃんは香港人なのだが、日本に留学していて4年住んでいたみたいだし、 向こうでも日系の企業で働いていたりして、 3人の会話は日本語だ。話していて、とにかく色々なことが香港と日本では違うのだが、 特に違うな、と思ったのは老後への危機感である。 Aちゃんは20代後半だから、まあまだいいとしても私もいい歳して背負っているものがそんなに無いものだから(結婚して子供がいたりするわけじゃないし。)

もちろん、全く考えてなくて、刹那的に享楽的に生きている訳ではない。それでも、どちらかというと二人とも彼女に比べると割とのほほん、としているのである。 と言うか、老後の暮らしを心配はしなければいけないのはわかっているのだが、それよりは、Aちゃんも私も自分が人生で実現したい事に取り組んでいることの 方が今は大事という感じなのであった。いや、香港人のEちゃんも年齢は私より一つ上なんだけど、結婚してるしてない、ということは老後の心配にはほとんど関係ないと言う。

日本だと、結婚してないと割と気楽な身分というところがある。ということは、 Eちゃんが特別心配性なのか、と言えば香港人としてはかなり普通のレベルだそう。 なぜそうなのかというと、香港は年金制度がないに等しいからなのだ。要するに、老後は自分でどうにかしなければいけないのである。 日本もこのまま行けば少子化社会で年金もらえるなんて言ったって、たぶん私が老人になる頃はそんなに期待はできないであろうから、実は Eちゃんとそんなに変わらないのかもしれないが、危機感が全然違う。

まあ、そうなのだが。そう、心配はしなければいけないし、準備もしなけれ ばいけないし、やれる範囲では今でも準備していることはあるけど。まだ私には老後の心配より、やりたいことがある。たぶん、それをやらなければ死ぬときに後悔すると思うのでやるつもりなのだが、それをやらずに老後のことを考えるのはやっぱり無理だなあ、と思ったのであった。やっぱりもうちょっと危機感持った方がいいかな・・・

オペラ話の続き

Tさんのことは気持ちは落ち着きました。ご心配かけました。何よりも一番無念な思いをしているのはご家族でしょうし。
気を取り直して、いつもの話に戻ります。

オペラ話の続き。
片っ端からiTunesに落としたオペラを聴いていて、何の情報も先入観もなしに、好きになった作品は何かな、と思ってみる。ビゼーの「カルメン」は一番最初に好きになった。で、次に気に入って聞いているのが「蝶々夫人」である。これもプッチーニ。私はプッチーニの調べが好きなのだろうか。しかしながら、結局、気に入る訳というのは「親しみやすい」というのが大きな要素としてあると思う。最初に気に入った「カルメン」も出だしの音楽は月曜夜9時からやっている「タケシのTVタックル」で番組冒頭に出演者紹介の時にバックで流れているあれである。

そして、「蝶々夫人」では何が取っつきやすいかというと題材・舞台が日本だからだ。そして、劇中に「君が代」「さくらさくら」などの日本の歌が使われているのだ。まあ、この作品が作られた頃はこういう異国にテーマを求めた作品っていうのはちょっと流行だったのかもしれない。(同じくプッチーニの「ツーランドット」は舞台が中国。ヴェルディの「アイーダ」は古代エジプトが舞台)
日本と言えば、「蝶々夫人」が作られた頃(初演は1904年)は、ヨーロッパにはまだまだこんな極東の小さな国の情報などそれほど無かっただろう。そんな頃にちゃんと日本の歌や文化を取材して、プッチーニはオペラを作り上げたのだ。そのことがすごいなあ、と思う。憧れの世界の東の端の国のおとぎ話で終わらせず、ちゃんとリアリズムを追求しているのである。

と言うことで、これも是非舞台を見てみたいな、と思う作品になったのだが、当然ヨーロッパで上演される場合は白人が着物着て出てくるわけだ。なんか、ちょっと変な感じ。しかし、さらにこのオペラはイタリア語のオペラなので、もし、日本で日本人によって上演される場合は、着物着て日本人が出てくるんだけど、歌はイタリア語って事になる。なんか倒錯しているなーー。

やはり、すしは絶対日本人がにぎったものじゃなきゃ駄目だ、とか、フランス料理はフランス人が作るものが最高。あるいは、歌舞伎は日本人にしか演じられない。バレエは欧米人じゃないと駄目。なんていうような事はもう無いのだろう。歌舞伎はわからないけど、バレエだったら優れた日本人のバレエダンサーがいるし、もしかして、日本人でなくてもてもうまい寿司職人もいるかもしれない。そういうわけで、文化の交錯は面白いな、と思った次第。

     



お通夜

昨夜はTさんのお通夜に行ってきました。
悲しくて、適切な事が書ける自信がないので、これ以上書きません。ただただ、無念だと言うこと。まだ、人生でやり残したことはいっぱいありすぎる。本当はもう一度この世に戻ってきてほしい。そして、私たちにいつもの姿を見せてほしい。それがかなえられない夢なのだということが本当に悲しい。

ショック!

朝、同僚から昨日Tさんが亡くなったという知らせを聞いた。その瞬間耳を疑った。Tさんはバーのマスターで、そのバーは私が勤めている会社の同僚たちも足繁く通っており、また地元の人たちにも非常に愛されており、みんなの憩いの場になっていた。私も同僚の一人に教えてもらってから、時々行くようになった。最後に行ったのは2週間くらい前で、その時も元同僚のIさんと一緒にいろいろマスターと話してきたばかりだったので、亡くなったと言うことが信じられなかった。死因は交通事故だそうである。言葉を失った。こんなにあっという間に、この世に存在していていて、その存在の存続を疑っていなかった人が消えてしまうなんて。仕事の帰りに、バーの前まで行ってみた。扉には貼り紙がしてあって、亡くなったこと、お通夜、お葬式のスケジュールと場所を書いた記されていた。それまでは、半信半疑だったものが、やっぱり本当だったんだなあ、という実感に少しずつ変わり始めた。もう、あのバーはなくなってしまうんだ。Tさんがいて、みんなの憩いの場になっていたあの場所がなくなるのだ。非常な喪失感。
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