2004年01月

かけ込み吉牛

本日朝日新聞夕刊に牛丼を食べおさめる人々についてコラム記事が載っていた。ネットには載っていないようなので、URLを貼れないのが残念。まるでおとといの私の行動そのものである。やっぱり私はミーハーなのね。

でも、そんな記事が載るというのは、それだけみんな牛丼をなくして欲しくないという表れでもある。それは他の人も言ってたし。BSEでも構わないから牛丼やハンバーガー食べたいって人たちには選択肢はないっていうのって、そう言うものなんでしょうかねえ。まあ国が輸入を禁止したんだっけ?だったらしょうがないけど。国も責任とりきれないだろうし。

かといってそんなに食べたいなら、バンジージャンプやスカイダイビングのように「私はこの牛丼を食べて何らかのトラブルがあっても訴えません」っていう誓約書にサインしたら食べられます、っていうのもあれだけど。やはりいつもは普通にあるので特に注意を払わなかったけど、突然なくなると言うことになるととたんに関心を持ち出すという心理の典型的な例が私にとっての牛丼なのかなあ。

週末

ある事情があってあんまり手を動かす実作業が進んでいない。でも、いったん手を休めてでも今は私の周りの色々な方面の人たちがどんな風につながるかなーって言うのを見てみたい感じ。ある人がこんな事を必要としていたら、その情報を持っていそうな人を私が知っていれば橋渡しできたらよいかなーって。仕事に限らず個人的な話でも。まあ大きなお世話でない限りにやってみたい。

●今週末は家にいよう。で、本を読みまくっている。一日に4~5冊は読んでいるかも。読むのだけは昔から早いと言われているので、この際それを活かして大量に読みまくり。図書館に行って本棚の前に佇んで、なんでもいいんだけど、今の自分にピンとくるものを手当たり次第に借りる。そのほか、この本が読みたいんだけど、ないと言うのもあるので、予約もしておく。

ITFとWTF

その会で、初めてテコンドーをやっているという人に会ってしまった。(とはいえ、小・中・高時代にテコンドーやってた韓国人は除く。それって向こうではかなり当たり前なので。)韓国語堪能な日本人がぞろぞろいるところなのですが、意外にテコンドーやっているという人には会わなかったんですよね。まあ、逆にそんな人がいたら自分は習っているのを隠しますけど(笑)。だって、強いと勘違いされても困るし。

最初は様子をうかがっていたが、これだったら大丈夫だろう(私がやっているって言っても別に闘いを挑んでこなそう←って当たり前だって。)と言う感じなので、そのほかの韓国人とテコンドー談義に。で、テコンドーは北朝鮮系のITFと韓国系のWTFがありまして、特徴としてはITFの方が荒っぽくてWTFはよりスポーツ化している感じ。

オリンピック種目に採用されているのはWTFでこっちが私が習っている方。しかし、日本でのテコンドー人口ではITFの方が断然多い。で、その人はITFの人だった。蹴りの話していてもやっぱり私と韓国人は話が合うんだけど、というか使っている技の名前は同じなんだけど、ITFは結構違うんだなーと感じました。向こうもそう思ったみたい。

で、ストリートファイトの話になって、何か色々と心構えなどを話していましたが(いや、もちろん、もういい歳になったんだからやらないだろうけど。)。私は殴り合わなくても平和的に解決すればよいのでは?などと思ってしまうのだけど、「いや、男には闘わないといけない(腕力で)時もある!」などとかなり好戦的な方でした。

その人も他の格闘技も習いたいって言ってたけど、やっぱり格闘技好き!って言っても男女ではアプローチが当然ながら全然違うよねえ。両者とも強さへの憧れというのは同じだけど、女で強くなってやるんだ!と言う人もいるだろうけど、女性だとだいたいは強い男への憧れとかって事で、自分があんな風に強くなりたいわけではないし。

しかし唯一みんなで意見が一致したのは「テコンドーの蹴りってきれいで格好いいよね」でした。

日韓交流会

交流会で聞いた面白い話をいくつか。
・チョナンカンは韓国語堪能な日本人に意外に評判良くない。私はいつのまにかあんなに韓国語が出来るようになって、すごい頑張ったんだなあ、すごいなあ、と思っていた程度なのですが。割と訛りがきつくて歌は結構聞くの辛いらしい。

それから、俺ってこんなにしゃべれるんだぜーみたいな雰囲気が流れていて謙虚さに欠ける発言をしているのがどうも評判の落ちる原因らしいです。やはり韓国語を話せる芸能人というのは韓国人に日本という国を背負った発言も時としてしなければいけないだろうから、語学力だけではきついのかな。その点黒田福美なんかはいい感じなんでしょうかね。

・韓国人は日本人がボランティア活動をするのですごいなあ、と思っているらしい。はあ?そおなの?それよりは韓国人の方が困っている人を助ける事には熱心なイメージがあったのだけど。そうでなければ、新大久保で韓国人の青年が線路に落ちた人を助けようとして命を落としたりしないだろうと思っていたんですよね。そういう質問をすると、それは自分たちにとっては当然のことだけど、それとボランティア活動は違う、と言う。でも、困っている人を助けたいという気持ち自体は共通の事だよねえ。

まあ、結論としては衣食足りて自分たちに余裕が出てきて、初めて身の回りに困っている人がいるのに気がついて、自分だけ幸せになるのはなんだかなー、と言う気持ちがボランティア活動の始まりなのかもと言う話になった。で、韓国は最近こそ力がついたけど、昔は食うや食わずだったのでそんな余裕がなかったのだそう。最近はやっと余裕が出てきたので、ボランティア活動を始める人が少しずつ増加しているそうです。

ボランティア活動ってそう言う風に捉えるものなんですかねー。私はそこまで深く考えたことはなかった。確かに、ヨーロッパなどで行われる慈善事業というものは衣食足りた裕福な貴族や富裕層が行ってきたものだろうし、アメリカではビル・ゲイツのような金銭的に成功した人が寄付して学校作ったりして社会に還元しようという感じてやっているかもね。

でも、金銭的にどうこうっていうのに関わらずそういうことをする人も沢山いると思うけど。そう言う人たちは気持ち的に満ち足りているから、そう言うことをしたいって思うのかな。

本質は変わらない

で、日韓交流会に行く。毎回は行かれないのだけど、徐々に顔なじみも出来つつあり、初対面でも衝撃的な出会いもあり。ほんとうに、ほんとうに色々な感じ方、経験、バックグラウンドを持っている人たちがいて、私はその人たちと会うと、その人たち一人一人を知りたいと思うし、共感したいと思ってしまうのだ。

でも、本質は変わらないと言うことがわかってくると、それでまた感動してしまうのだ。私が良く知っている人たちは国籍で言うと、日本人、フランス人、韓国人だったりして、それぞれの愛情の溢れさせ方は見事に違うと感じる。でも、みんなやりたいことは一緒なのだ。これは最初からわかっている人と、ずーっとわからない人がいるのかなーとも思う。というのはブルターニュに住む友人がこの事について既にわかっていたのを印象的に記憶に残っているからである。別に海外経験の多寡の問題ではないのである。

とはいえ、今日はまた一つ自分の内面について発見してしまった。最近の経験則で言うと、今まで気づいていなかった真実に気づいた時は涙が止まらないものなのである。びっくりだけど。だから、涙が出てきた時に感じたことは嘘ではないんだろうなーと言う判断力はついたかも。
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