2005年02月

絵が描けない

とにかく私は制作ができなくなってしまった。これは色々精神的なバランスを崩した結果というのかも知れないが。でも、ほかに価値を感じることもないので描けなければこのまま意味もなくOLでもして暮らしていくしかない。自分の力を使えなくて欲求不満って感じの人生でした。これも、私の心の歯車がうまく廻ってないからなのでしょうね。いつか描けるときが来るのだろうか。フランス人のイラストレーターの友人は「Hiroe, Il faut que tu dessines.(ヒロエ、絵を描かないといけないよ。(もし心の問題で悩んでいるなら))」と言う。絵を描いて発散するタイプと私のように描けなくなるタイプといるみたい。良く分からない。受動的な行動で満足できる人もいるらしいが(いい映画を見た、とか、美しい絵を見たとか。)、どうも私は能動的な事をしないと満足できないらしい。だから自分でできないというのに非常にストレスを感じるらしいのですね。さて、どうなるか。

絶対音感の話

ピアノや声楽を教えている方から聞いた話。私は絵は描くけど、音楽の方はからっきしなので余り音楽教育の詳しい話などは知らないのです。絶対音感というのは3歳くらいから音楽を始めれば誰でも身につけられる能力らしい。その先生は自分は6歳から始めたので自分には絶対音感はないと言っていました。絶対音感っていうのは、なんでも聞いた音をドレミファソの音に解釈できる能力のことであります。だから、駅の電車が閉まるときに鳴る音楽とか、ドアの閉まる音とか、鳥のさえずりをドレミファソの音で解釈できるのであります。これはまた素晴らしい!いやーーー、私には想像もつかない能力であります。

やっぱり音楽の能力を伸ばすには小さい頃からやらないと駄目なんですねえ。世の中で行われている英才教育のような小さい子にピアノなどをやらせるというのはやっぱり正解なのでしょうか。と思ったら、絶対音感があるからと言って必ずしも言い訳ではないらしい。というのは、結局ドレミファソラシドというのは人間が作った音のシステムなのですね。教育を施してその音で解釈できるように訓練するわけです。(生まれつき絶対音感を持っている人もいるようなことを聞いたような気もするが、ちょっとここではそれには触れない。あくまでも後天的に獲得した場合の話。))そうすると、自然界に存在する音というのは当然ながらドレミファソラシドに入らない音もある。ドとレの間の音って言うか、ドの音よりほんのちょびっとだけ低い音とか、ミよりほんのちょびっとだけ高い音っていうのも存在するのです。絶対音感のある人はそういう音を聞くとすごく気持ち悪いんだそうだ。うーん、それはそれで苦労かも。ずれていることを知らなければ、ああ、鳥のさえずりの音ね、とかって聞いていられるわけです。

それって、私がマンションの名前にフランス語が使われていてその名前の綴りが間違ってたり、読み方が間違っていたりするのに「気持ち悪い?」って思うのと同じようなものなのだろうか、と言ったら「たぶん、そんな感じね(笑)」って言ってました。。。フランス語を知らなければ気持ち悪いっって思わないわけですから。って言ってもなんかちょっとレベルは違うような気がしますが(笑)。

と言うことで、憧れの絶対音感もなかなか大変なのだなということを知りました。



錯覚の愛情

ところで、今年に入ってからある方のところで精神分析というか心理分析をやっています。まだ始まったばかりなのでどういう成果が出るかわかりませんが。この先生はハンパじゃない先生で広い知識と見識を持っていると思う。本当は本もばんばん書いて名が残ってもおかしくないと思うが、ご本人がそういうことに特に興味がないのでたぶんあのノウハウは彼女一代で終わってしまうのだろうと思う。もったいないと言えばもったいないが。そして、心理的なこともわかるが、体と脳と心のつながりについて研究していた方なので、気の流れとかもわかる。そういうのを改善する体操法や呼吸法も独自に編み出している。しかし、そのノウハウは誰にでも教える。別に著作権というか私が考案した呼吸法だ!という主張はしない。考え方はオープンソースなのね。その辺が非常に潔い方である。そして、なによりありがたいのが、アートパフォーマンスとかの活動をしていた人なので、芸術系の人間のことをわかってくれる事。この人に会わなかったら私は二度と社会へ出ていけることがないって事になってたかも。かなり命拾いした感じです。完治にはまだまだですが。

そこで、色々聞いたことで、どう考えてもこれは私一人が聞いているのはどう考えてももったいないと言うことがあるので少しずつ記していこうと思う。

まず「錯覚の愛情」。
この言葉で私はだいぶ納得するものがあった。世の中には子供にお金を与えることでしか愛情表現できない人とかがいるが、そういうのも錯覚の愛情の一つなのですね。だから、親は自分はたっぷりと愛情を与えて子供を育てたと思っているが、その愛情はちょっとずれた愛情だったりってことはあり得るのでしょう。色々な問題を抱える家庭には愛情自体がない家庭もあるのかもしれないし、またそういった錯覚の愛情が溢れている家庭もあるのかもしれないのかな、なんて思ったりする。

錯覚かどうかは子供に問題が起こるかどうかって事で判別できるのでしょうかね。問題がないと言っても反抗期がなくて大人になってからバランスを崩すって言うのもあるだろうし。これは、問題がないとは全く言えないよね。

その先生からは色々壮絶なご家族の話も時々聞きます(これは守秘義務には違反していない一般論程度ですよ。)。10年間引きこもっていた人とか。どういうご家庭が多いかというと医者の一族とか親が東大卒とか中学受験とかあとは教職関係者の家族も結構大変そう。いえ、別にだからと言ってそれに該当するご家族みんながそうだと断定しているわけでもないので、一応断っておきますが。ただし話を聞いていると、そうなるだろうなあって感じはする。

私も家族なんて持ったら何をするかわからないと言うか、どうしたらいいかわからないだろうな。幸いなことに家族はないので、子供を変な風に育てたりする危険はないわけですが。

こういう心の問題って昔からあったのかなあと思ったりするけど、やはり今は特異な状況なのだろうと思う。もっと昔は15くらいになれば独立してしまうと言うか所帯を持ってしまっていただろうし、パラサイトシングルというのも存在しなかっただろうし。
これは高度経済成長で男女の役割の棲み分けができていて、その辺から始まったのかなあと思ったりする。そして、時代は少子化に向かう。子供がますます少なくなるけど、虐待死する子供は増えて無事に成長できる子供がなんか少なくなっちゃうのだろうか。

現時点で正直に言うと結論としては私にはカウンセリング(臨床心理士)は効果がなかった。色々言ったって治らなければ意味がないのです。別にだからといってカウンセリングを否定しているわけではない。それで治った人もきっといるのでしょう。ただ私には結果として効果がなかったと言うことです。同じ苦しみを抱えていてカウンセラーのことを信用していない人もいる。その場合は一生治る見込みがないって事になってしまうのでちょっと大変です。私もこんかいのこの先生に出会えて治るのかどうかわからないけど、何らかの対処をしないといけないのでやっているわけですが。

ネットとか久しぶりの人とか

日曜日から昨日までまるまる4日間インターネットにアクセスできませんでした。こんな事態は久しぶりです。はっきり言っていろいろな連絡事項で支障が出てました。が、アクセスしないならしないでどうにかなるものですね。というか、私が具合が悪くてアクセスできなかったって言うのもあるけど、家に引きこもるときはネットというのは付きまといますが、今回はなかったのでね。

それから、久しぶりに会った人に顔がふっくらしたんで太ったんだとわかったというのを複数の人から言われました。そうです。私は2004年の1年間で10キロは太ってないと思うけど、それくらいの壮絶な太り方をしました。そりゃーー悲しいですよ。人生で高校以来体重の変動がほとんどなかった私がそういう有様というのはかなりの事だったということでもありますが、でも、心のバランスを崩した結果なのでそれを治さないと私は元の姿には戻れません。バランスを取り戻そうとして今は頑張ってますよ。

というわけで、久しぶりに会いそうな人にはわかるように予めここには書いておこうと思います。早くやせてきれいな服着たいよ。

よく、太ったときの悩みといえばこんなんじゃ男にもてないんじゃないか、友達がいなくなってしまうんじゃないかという風に悩む人もいると思いますが、結果としてはそんなことには一向に変化はありませんでした。ので、太っててお悩みの皆さん、それだけで人間関係変わるわけではありませんのでご安心を。って、私はこの体型に安住するつもりはないですが、それだけはわかったというのは太ってみたことで得た体験ということなのかもしれませんね。

初恋の人

日付を見たらブログを書くのが一週間ぶりですか、、、
いや、まあいろいろ大変だったので仕方がない。新居でのネット環境もまだ整っておりませんで。

それで、昨日すごい事実が発覚してしまったのですね。
というのは、この前のエントリに書きましたとおり、舞踏に関係していたご夫妻としばしば会う機会が最近あるのですが、そのとき発覚したのがなんとそのご夫妻と私の初恋の人がお友達だったんです!いやーーーびっくり冷や汗でした。だんなさんのほうはかなり親しい感じ。きゃーーーーーーー。

初恋の人と言うのは高校のとき通っていた美術の予備校の先生なんですね。だから、付き合ったとかってレベルじゃなくて、センセのファンのその他大勢の一人ってくらいなんですけどね。向こうは私のことは覚えていないと思います。思春期だけあってかなり恥ずかしい思い出(自分の中では)がたくさんあります。いやーーーーーーーーーーー、はっきり言ってすごいカッコいいですよ。まあ、初恋というか憧れの先生って感じですね。割と積極的に仲良くしていく女の子もいましたが、私は基本的には電柱柱の陰から覗いているタイプなので、どっちかというと暗い感じで遠くから眺めている感じだったのではないかと思います。

それで、その先生の話になりましたが、何しろ10ウン年前の話ですから!なんていうか、それが10ウン年たって巡り巡ってまた私の人間関係とつながってくるってところがすごく驚きでした。その経路が美術の予備校友達とかって言うならまだしも、ぜんぜん違う方からの繋がりだったんですね。敢えて言えば共通点は芸術関係者ということになるかもしれませんが、それだってこの大東京にはどのくらいそれに該当する人がいるかって言えば途方もないわけですし。

そのセンセの話をひとしきりしましたが、やっぱりモテてたらしいですね。
いやーー、だってすごいカッコいいんだもん。仕方がないですよ。なんていうか、美術系だから単にカッコいいとかじゃなくて味がある系なのね。独特の雰囲気とかあるし。もう、イ・ビョンホンもかすみますよ(って一緒にされてもお互い困るとは思うが・・・)。

それで、その先生が博士課程を終えたときに修了展をやったのですが、それに私もそのご夫妻も行ってるんですね。十ウン年前に私はこのご夫妻とすれ違っていたのかもしれません。すごいなーって思いました。その修了展の時の話もお互い結構細かいところまで話してました。恐ろしいですね、、、。

こういう話って本当に叙情的に書こうと思えばいくらでも書けちゃう話なのですが、それは私はやっぱり恥ずかしくてできないのでこういう普通の描写にしておきますね。なんていうか、やはり多感な頃でしたから、いやーー、その先生がいかにカッコよかったかということについては筆舌に尽くしがたいのですが(笑)。まあ、それはやめておきますが。とりあえず、私の感性にいろいろな影響を与えたということは間違いないです。

で、当然ながら先生の近況についてももちろんご夫妻は知ってるのですね。今週の土曜日までどこそこで個展してるよって教えてくれました。きゃーーーー、それって会おうと思えば会いに行けちゃうじゃん!でも、恥ずかしいので私は行かないと思います。ご夫妻は先生はすっかり太ってしまったから夢が壊れるからひろえちゃん会いに行かないほうがいいよ、って言われちゃいました。

それで、結婚をしたんだけど離婚をしたとかっていうドッキリ情報も聞いてしまいました。そうだよね、人生いろいろありますよね。たぶん、私はすごく太ってしまった先生をもし見たとしてもやっぱり気持ちは変わらずにすきなんだろうなーって思いました。が、実際はどうでしょうね。ちょっと興味もありますが、まあ、たぶん恥ずかしいので会いに行かないだろうと思います(笑)。

その先生についてはもう思い出さなくなってからすごい長い時間がたっていたと思うんですが、その夫妻と先生の話をしたら17歳の頃の感覚が鮮明に蘇ってきて「うわーーーーー」ってなってしまいました。なんというか、人のつながりの不思議さにとてもクラクラした出来事でした。
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