2005年05月

レベルの高い健康

健康とは

「健康とは身体的、精神的、社会的、かつ霊的(スピリチュアル)に完全なひとつの幸福のダイナミカルな状態を意味し、決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」

(WHO:世界保健機構にて、1999年に健康憲章改定案として提案された新しい定義)

http://www32.ocn.ne.jp/~homecoming/kenko.html

ネットを徘徊していたら、こういうのを見つけました。
以前にWHOの健康憲章についてエントリを書いたことがあったので。
そうしたら、これはそのときエントリの中で取り上げた健康憲章の改定案なんだそうです。

身体的、精神的、社会的というのは従来の通りですが、今回はそれに霊的(スピリチュアル)にという言葉が追加されている。これはすごいことですねえ。スピリチュアルという言葉で眉唾な扱いを受けそうなものですが、国際機関でまじめにこの文章が検討されているんですね。霊的に健康ってどんな状態でしょう。なにものにも祟られてないとか、いや、そんな低レベルな表現じゃなくてね(笑)。霊的に健康ってうーん、なんかピンときませんが、とにかくWHOの定めるところの健康という概念のレベルがますます高いものになっているということは言えるかもしれません。

とはいて、これはあくまでも改定案なので、本番では却下される可能性もあるし、この文章を見つけたのが日本語のWHOと特に関係のないウェブサイトだったので、本家へ行ってその該当の文章を探してみました。
いやー、ちょっと苦労してやっと見つけました。
このページにリンクされている「EB101/7」と言う項目の
この文書です。

原文はこれ
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

ちなみに上記のダイナミカルな状態(原文ではdynamic state)というのは、上記の訳では「なんじゃらほい」と言う感じですが、要は病気から健康への状態が連続的になっていて、ここからが健康でここからが病気ね、という仕切りがどこかにあるわけではないということだそうです。これは確かにそうですね。私も今は病気、今は健康とか思いがちな性格なのでちょっと心にとめておこうと思います。

ちなみにこの文章のスピリチュアルの部分について厚労省はどう取り扱って良いのやら戸惑っているとかいないとか。そりゃあ、まあ当然でしょうねえ。こういう感覚はまだそれほど一般的でないかもしれませんし。

それでもって、霊的(Spiritual)に幸福な状態を目指すというなら、そのためにWHOはどんな活動をしているのかも興味があります。身体的にならワクチンを配ったり、精神的にというのはその類の調査をしてレポートを出して提言をしたり、勧告をしたりしているのでしょう。霊的な健康に関してのWHOによる活動ってなんだか想像がにわかにはつかないですよねえ。うーん、気になる気になる。

厚労省もそのうちスピリチュアルに関するなんらかの政策でも打たなくてはならなくなるのだろうか。まあ、WHOから「あなたの国はスピリチュアル的な改善が必要です」なんていう勧告が来るとはさすがに思いませんが。

【関連記事】
WHOの定める理想的な生活とは [2004年05月02日(日)]

あるフランス人の話。"Premier acte politique(プルミエ・アクト・ポリティック)"

あるフランス人の友人は「物(サービス)を買う」という行為は"premier acte politique(プルミエ・アクト・ポリティック=最初の政治的行為)"だと言います。私たちは選挙で投票する以外には、簡単に世の中に対して何かを働きかける方法がないと思ってしまいがちですが、彼女曰く物(サービス)を買うというのも立派な政治的行為であって(別に市民運動とかに参加しなくても)誰でもが手軽にできる事だ、と。

ある企業があってそこが不正をしたり、自分の考えと合わない経営方針でものを売っているとしたら、批判の意思表示をするためにその企業の製品を買うのをやめるとする。そういう人が大勢出てきてその企業の製品を買わなくなって、売り上げが減ったとしたら、その企業は経営が立ち行かなくなるということです。彼女はそのように社会に対して意思表示をしていると言うことなんですね。そうやって社会を動かすことができると信じているわけです。

でも、NHKが不正をしたから受信料を払わない。年金の運用の方法に不満があるから、或いは社会保険庁や厚生労働省のやりかたに反対するから年金の保険料を払わないというのもこの範疇に入るのだろうかと思いましたね。実際に色々な問題が噴出した後にNHKの受信料とか年金保険料の未納率が上がったりしましたが。。。ということは、日本人も知らず知らずのうちにpremier acte politiqueをやっているということでしょうか。

うーん、とはいえ、どこかの企業の製品を買わないのと年金保険料支払い拒否はまた別か。年金は万が一破綻しなかったときはとばっちりは自分に来ますからねえ。いずれにしろ、対企業に関してはこの行為はそれなりの意味を持つかもしれません。だから、例えば世の中が読売新聞はけしからん!JR西日本がけしからん!TBSがけしからん!とかって言うんだったら、そう思う各人がそういう行動を起こすという方法もあるんだなあと思った。けしからん!けしからん!って言うだけで例えばそのまま読売新聞を購読し続けていたら、確かにあんまり説得力はないかもしれませんよね。

なんていうかそれから、雪印とか三菱自動車の売り上げが落ちたのも同じ理屈のような気もしますが、それは不祥事でイメージが低下したからで抗議というのとはまたニュアンスが違うかもしれませんね。だって、今回ので例えば読売新聞の発行部数が著しく落ちた(多少は落ちてるかもしれませんが)とかTBSの番組の視聴率が著しく落ちたと言う話は余り聞かないですよね。

いえ、別に私は上記の会社が売っているもの、提供しているサービスに対してボイコットすることを推奨しているわけではありません。批判を意思表示するならそういう方法もあるんだなあ、ってだけですので念のため。

とは言え、フランスではマクドナルド襲撃したりとか、大臣の家の電気系統を壊して大臣の家だけに電気をいかなくするとかっていう事件が起こるんですよねえ。それはそれで過激です。。。

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週刊!木村剛より
2005.05.17 [木村剛のコラム] メディアのネット批判は正当か?

アメリー・ノートンの「畏れ慄いて」

アメリー・ノートンの「畏れ慄いて」をDVDで見ました。本は日本語に翻訳されています。どういう話かというと「駐日ベルギー大使の娘として日本に生まれ育った、フランスの人気 No.1作家による、体験的OL小説。主人公「アメリーくん」は、優秀な語学力をかわれて日本の大手商社「ユミモト商事」に入社するも、来る日も来る日も「お茶くみ」と「コピーとり」ばかり。青い目のOLとして、絶望の日々を送っていたところ、その能力をアピールするチャンスが訪れるのだが…。 」
という解説がアマゾンのサイトにはありますが。とりあえず、設定としては青い目で日本語が堪能な白人女性が日本の会社組織で働くことになってのいろいろなカルチャーギャップの顛末って話です。非常に日本の会社社会が風刺的に書かれていて、半ば素っ頓狂な世界なのですが、作者は本当に日本の会社で働いた経験があるのですが、描かれる素っ頓狂な世界自体はかなり彼女の作家としての感性によるものであって、必ずしも日本の会社組織を正確に描写できているわけではないのですが、なまじ本人が体験があるということで、読者のほうは「ええ!日本の会社ってこんななの??信じられない!!!」と誤解する小説です。 この作家のほかの小説は読んだことないのですが、とりあえずこの本のおかげで日本を誤解する人がますます増えたんだろうなあなんて気分です。

って、それがなんとベストセラーになって映画化されてしまったんですよね。それを見たんですが。うーん、日本人からしてみれば「この映画見て何が面白いのかなー」という感じかなあ。まだ「ロスト・イン・トランスレーション」の方が勘違いぶりも理解できるし、作品的価値もずっとあると思います。「畏れ慄いて」の小説の方は翻訳を通しても作者の感性みたいなものが伝わってきたのですが、映画は本当にただたんに日本語堪能な白人のOLの女の子を会社の人がわけのわからないいじめをする、くらいな感じでした。主人公の挙動もこんな仕事ぶりをしたら日本人でもやっぱりやばいだろう、くらいな感じで突っ込みどころは満載です。

っつーか、とりあえず昔フランスに遊びに行ったときにその作品がちょうどブレイクしているときでフランス人から口々に「日本の会社って本当にあんななの???」みたいな質問攻めされて、その時はまだその本も読んでなかったし、一体なんなんだ!と思ったという記憶があるというかなり個人的な体験が入ってます。。。

まあ、日本人の心情がそんなにわからないガイジンが日本の会社組織を見たらこんな風に映るかもしれないなあ、というくらいの話で申し訳ないけどあまり文学的価値は感じられない。あ、ほかの作品については読んだことないので、価値があまりないというのはこの作品に限らせていただきたいですが。

「誰も知らない」を見た

今日は「誰も知らない」をDVDで見ました。とは言え、今までは自分から進んではとても見る気にはならなかったのだけど、同居人さんが借りてきてくれていて一緒に見ることができました。

なんか、これは映画評とか感想を書く気にはとてもなれない。見る前からだいたいどういう感じかはわかっていたので(だって実話を下敷きにしてあるとかそういうので)、はっきり言って劇場へ行ってお金を払ってじっくりしっかり見るのは私には余りにも辛いのでそれはしなかった。

っていうか、今自分が精神分析などを受けていて、幼少期および成長期にどういう刺激を受けるとどういう感じになるというようなことを身を以て感じているので、この子たちが受けた精神的な傷は相当だろうなと思う。私の場合は特にこういった育児放棄とは全然違いますが(というか、どの人もみんなそれぞれ違うんですよ。きっと)。

この映画の主人公にあたる長男は今なら30歳前後になっているはず。この映画の存在ももちろん知っていることでしょう。ご本人がどんな気持ちでこの映画を見るか私には全く想像がつきません。

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