ここの話の続きなんですが。
要するに、アプローチとしては言語と意識って観点で私は見てみたいんだなあ、と思った。
それで、ネットであれこれ検索していたのだけど
ここが出色の出来に面白かった。
●言語統合
「ただ、この区別によって受ける利点ははっきりしている。男女の区別をつける言語では、形容詞がそれらを修飾するときに同じ区別を示すための記号がつく。たとえば「花」が女性名詞だとすると、「赤い花」と言った場合、「赤い」という形容詞もいわゆる女性形となる。だから誰でもこの二つが一体であることが一目瞭然であり、多くは語尾が同じになるので、韻を踏むにも都合がよい。」
言葉の表現を明瞭にして、伝達するのに正確を期すために男女にわけたというもの。
また、「何でも二つに区分して分析を試みることの好きなギリシャ、ローマ、キリスト、イスラム文明に属する人々にしてみれば、この区分方法が最も日常生活にぴったりだったに違いない。」
とも書いてある。
二元論みたいな感じで世界を捉える方法に慣れ親しんでいた、ということでしょうか。
天国と地獄、異教徒とそうでない人。そんな感じで。
それから
「男性名詞と女性名詞はどうして生まれたのですか?」
という単刀直入な質問に答えているページがあったのでリンク。
「多くのヨーロッパの言語の祖先であると仮定される「インドヨーロッパ語」で,生物についてだけ男性と女性の区別がありました。男性と女性,雄と雌の区別は意味的に必要だからです。そして,形容詞はその性の区別と一致して,文法的な関係を示していたのです。それが,後に生物以外を示す名詞にも広がりました。生物以外では「男性」と「女性」という意味の差はなく,冠詞・形容詞と名詞の間の文法関係を示すだけになりました。確かに,生物には冠詞・形容詞と名詞の間の文法関係を示す性があり,無生物にはそれがない,というのでは統一がなくややこしくなるので,言葉の歴史の上で自然に統一されたのだと思われます。英語も古くは名詞の性がありましたし,その親戚のドイツ語では現代ドイツ語でも性があります。」
要するに、インドヨーロッパ語族が言葉を使いはじめたときは、生物については男性、女性の区別があった。「お父さん」「お母さん」「雄ヤギ」「雌ヤギ」みたいな感じか。それで、形容詞をそれに合わせて変化させた。それ以外の名詞についても変化がないと統一性がとれないので、合わせて変化をつけるようになった、ということですよね。
でもね、男性、女性の変化がないというように統一をする事もできたと思うんですが、そういう風にはしなかったんですよね。上記の説明では「自然に統一された」とと思われます、って書いてあるけど、「いやいや、全然自然じゃないよー」と私なんかは思ってしまうんだけど、どうなんでしょう。男性、女性の別がある方が自然って考えるか、別がない方が自然って考えるかだよね。
例えば、日本語はその区別がない。でも、生物には雄雌の区別がある事くらいは知っている。それをあらわすんだったらわざわざ別の名前を考え出すよりは、「雄」「雌」って言葉を各名詞の上につけて区別すればいいんじゃない?と思ったっていいと思うんですが。羊って言葉に「雄」「雌」をつければそれでいいし、このやり方でいけば仮に新しい動物が発見されても、うーん男性形と女性形はどういう風にしようか、っていちいち考えなくてもいいと思うんだが。
しかし、仮に日常生活で男性と女性の違いに非常に注目して生活するとなれば毎回毎回「雄なんとか」「雌なんとか」って言ってるよりは「ほにゃろろ(男性形)」「ほにゃらら(女性形)」って言う方がスマートな気もしてくる。そうすると、男女の違いをすごく気にしている人たちがこういう言語を使うのではないか??って思ってしまうのですよね。 例えば、日本語では「生徒」って言葉があってそれだけだとどっちだかわからない。「男子生徒」「女子生徒」とわざわざ言葉を追加して初めて「ああ、男か」とか「ああ、女か」ってわかる。男女の性別があるフランス語は「Un etudiant」と「Une etudiante」で何も言わなくてもすぐわかる。語尾に「e」を追加してますよ、っていうのはあるかもしれないけど、一応違う言葉になっている。
ふと思ったんだけど、これは農耕民族と狩猟および牧畜民族の違いかなあ、なんて思ったりする。農耕民族なら、稲が雄か雌かっていう区別はないし、ドングリとかイチョウの木なら雌雄の区別があるかもしれないけど、その違いが生活に直結しているわけではない。これに対して羊だの牛だのっていうのを育てている場合は自分が飼っている羊に雄が何頭、雌が何頭いるかは非常に大切な問題だし、新しく生まれてきた羊が雄か雌かっていうのはとても気になるところではある。それによって、ミルクが取れるか取れないかって事もありますし。
という意味では非常に男女の別を気にしながら生活していたのではないか、と思ったりしてしまうのです。
とはいえ、牧畜をしている人たちがみんな男女の別がある言語を使っているか、となるとこれはまた別問題なので、ちょっと調べてみないといけない。
あと、狩猟する人たちは男女の区別はどのくらい必要だったかな、というのもわからない。たぶん牧畜>狩猟>農耕の順に男女の差が大切なのかな、とも思ってみる。オスのマンモスよりメスのマンモスの方が捕まえやすいとか、肉がどっちの方がおいしいとかあるかもしれないしね。
ちょっとどこの言語に性別の差があるかないか、って一回チェックしてみる必要がありますね。
だから男女の差がある言語は男女平等の意識が低いとか、差がない言語は男女平等な価値観になりやすいとか、そういうのとはまた違うような気もします。とはいえ、上記のetudiantとetudianteのフランス語については非常に女性の方がいかにも後から作った言葉っぽい感じではありますが。それでも、動物の名前、特に牧畜で使われるようなものは全然違う名前なので、やっぱり重要だったんだろうなあと思います。例:オスのヒツジ→mouton、メスのヒツジ→brebis
でもやっぱり女性形が後付けっぽいのは多いですね。
ということで、またしても妄想で書いてしまいましたが
またちょっと調べてわかったことがあったら引き続き書きたいと思います。
【関連記事】
今頃こんなことを思いついて眠れない [2005年10月19日(水)]
「it1127の日記」より
2005.10.19 ■ロシアでは姉妹都市とは呼ばず兄弟都市と呼ぶ。
要するに、アプローチとしては言語と意識って観点で私は見てみたいんだなあ、と思った。
それで、ネットであれこれ検索していたのだけど
ここが出色の出来に面白かった。
●言語統合
「ただ、この区別によって受ける利点ははっきりしている。男女の区別をつける言語では、形容詞がそれらを修飾するときに同じ区別を示すための記号がつく。たとえば「花」が女性名詞だとすると、「赤い花」と言った場合、「赤い」という形容詞もいわゆる女性形となる。だから誰でもこの二つが一体であることが一目瞭然であり、多くは語尾が同じになるので、韻を踏むにも都合がよい。」
言葉の表現を明瞭にして、伝達するのに正確を期すために男女にわけたというもの。
また、「何でも二つに区分して分析を試みることの好きなギリシャ、ローマ、キリスト、イスラム文明に属する人々にしてみれば、この区分方法が最も日常生活にぴったりだったに違いない。」
とも書いてある。
二元論みたいな感じで世界を捉える方法に慣れ親しんでいた、ということでしょうか。
天国と地獄、異教徒とそうでない人。そんな感じで。
それから
「男性名詞と女性名詞はどうして生まれたのですか?」
という単刀直入な質問に答えているページがあったのでリンク。
「多くのヨーロッパの言語の祖先であると仮定される「インドヨーロッパ語」で,生物についてだけ男性と女性の区別がありました。男性と女性,雄と雌の区別は意味的に必要だからです。そして,形容詞はその性の区別と一致して,文法的な関係を示していたのです。それが,後に生物以外を示す名詞にも広がりました。生物以外では「男性」と「女性」という意味の差はなく,冠詞・形容詞と名詞の間の文法関係を示すだけになりました。確かに,生物には冠詞・形容詞と名詞の間の文法関係を示す性があり,無生物にはそれがない,というのでは統一がなくややこしくなるので,言葉の歴史の上で自然に統一されたのだと思われます。英語も古くは名詞の性がありましたし,その親戚のドイツ語では現代ドイツ語でも性があります。」
要するに、インドヨーロッパ語族が言葉を使いはじめたときは、生物については男性、女性の区別があった。「お父さん」「お母さん」「雄ヤギ」「雌ヤギ」みたいな感じか。それで、形容詞をそれに合わせて変化させた。それ以外の名詞についても変化がないと統一性がとれないので、合わせて変化をつけるようになった、ということですよね。
でもね、男性、女性の変化がないというように統一をする事もできたと思うんですが、そういう風にはしなかったんですよね。上記の説明では「自然に統一された」とと思われます、って書いてあるけど、「いやいや、全然自然じゃないよー」と私なんかは思ってしまうんだけど、どうなんでしょう。男性、女性の別がある方が自然って考えるか、別がない方が自然って考えるかだよね。
例えば、日本語はその区別がない。でも、生物には雄雌の区別がある事くらいは知っている。それをあらわすんだったらわざわざ別の名前を考え出すよりは、「雄」「雌」って言葉を各名詞の上につけて区別すればいいんじゃない?と思ったっていいと思うんですが。羊って言葉に「雄」「雌」をつければそれでいいし、このやり方でいけば仮に新しい動物が発見されても、うーん男性形と女性形はどういう風にしようか、っていちいち考えなくてもいいと思うんだが。
しかし、仮に日常生活で男性と女性の違いに非常に注目して生活するとなれば毎回毎回「雄なんとか」「雌なんとか」って言ってるよりは「ほにゃろろ(男性形)」「ほにゃらら(女性形)」って言う方がスマートな気もしてくる。そうすると、男女の違いをすごく気にしている人たちがこういう言語を使うのではないか??って思ってしまうのですよね。 例えば、日本語では「生徒」って言葉があってそれだけだとどっちだかわからない。「男子生徒」「女子生徒」とわざわざ言葉を追加して初めて「ああ、男か」とか「ああ、女か」ってわかる。男女の性別があるフランス語は「Un etudiant」と「Une etudiante」で何も言わなくてもすぐわかる。語尾に「e」を追加してますよ、っていうのはあるかもしれないけど、一応違う言葉になっている。
ふと思ったんだけど、これは農耕民族と狩猟および牧畜民族の違いかなあ、なんて思ったりする。農耕民族なら、稲が雄か雌かっていう区別はないし、ドングリとかイチョウの木なら雌雄の区別があるかもしれないけど、その違いが生活に直結しているわけではない。これに対して羊だの牛だのっていうのを育てている場合は自分が飼っている羊に雄が何頭、雌が何頭いるかは非常に大切な問題だし、新しく生まれてきた羊が雄か雌かっていうのはとても気になるところではある。それによって、ミルクが取れるか取れないかって事もありますし。
という意味では非常に男女の別を気にしながら生活していたのではないか、と思ったりしてしまうのです。
とはいえ、牧畜をしている人たちがみんな男女の別がある言語を使っているか、となるとこれはまた別問題なので、ちょっと調べてみないといけない。
あと、狩猟する人たちは男女の区別はどのくらい必要だったかな、というのもわからない。たぶん牧畜>狩猟>農耕の順に男女の差が大切なのかな、とも思ってみる。オスのマンモスよりメスのマンモスの方が捕まえやすいとか、肉がどっちの方がおいしいとかあるかもしれないしね。
ちょっとどこの言語に性別の差があるかないか、って一回チェックしてみる必要がありますね。
だから男女の差がある言語は男女平等の意識が低いとか、差がない言語は男女平等な価値観になりやすいとか、そういうのとはまた違うような気もします。とはいえ、上記のetudiantとetudianteのフランス語については非常に女性の方がいかにも後から作った言葉っぽい感じではありますが。それでも、動物の名前、特に牧畜で使われるようなものは全然違う名前なので、やっぱり重要だったんだろうなあと思います。例:オスのヒツジ→mouton、メスのヒツジ→brebis
でもやっぱり女性形が後付けっぽいのは多いですね。
ということで、またしても妄想で書いてしまいましたが
またちょっと調べてわかったことがあったら引き続き書きたいと思います。
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今頃こんなことを思いついて眠れない [2005年10月19日(水)]
「it1127の日記」より
2005.10.19 ■ロシアでは姉妹都市とは呼ばず兄弟都市と呼ぶ。