2006年01月

突然マクロビオティック1---甘いものが苦手なので。。

突然マクロビオティックに目覚めてしまった。
マクロビオティックというのはなんかオシャレそうな横文字で書いていますが、要するに自然食のことである。

参考URL:マクロビオティックとは

そうは言っても自然食というのは別に新しいことでもなんでもないんですが。なんでこんな気分になってしまったかと言うと、豆が食べたかったのです。ここのところずーっと豆が食べたいなーと思っていたのですが、もともと私は豆料理が嫌いでした。でも、ヨーロッパに滞在してから豆料理が大好きになりました。

ヨーロッパの豆が自分に合っていたのではなくて、単に甘くない豆料理だったからという理由なんです。私は本当に甘いものを食べなくても基本的に大丈夫というか、殆ど食べません。友人とお茶すればケーキセットの一つくらい食べるかもしれませんが、その程度です。ケーキやお菓子、アイスなどは食べればおいしいと思いますし、好物もありますが自分から食べると言うことは殆どありません。

思い起こせば、物心つくかつかない頃家にお客さんが来て、テーブルにおつまみとかお菓子とかが出されていたときも、チョコレートなどは余り選ばずにサラミとかおせんべいとかばっかりつまんでいた気がします。中学はお弁当だったので母が作ってくれていましたが、玉子焼きはお砂糖抜きにしてもらっていました。お砂糖が入っていると甘くて残しちゃうので。

家のお墓参りをするときなどは通りすがりの和菓子屋さんでお団子を買ってきてもらったりするのですが、ヨモギ団子(緑色の団子にあんこが乗っかっているやつ)ではなく、絶対みたらし団子にしか手を出しませんでした。そのほか食べられるのはすあまくらいだったでしょうか。

ということで、実はフランス料理のディナーのひと時ってすごく楽しいのですが、時々私にとっては拷問チックな時があります。フランス料理ってなんかすごい豪華だし、絶対コースで食べるみたいだしすげぇー、っていうイメージがありますが、どんな料理内容でもコースで食べるんです。コースと言うか順々に食べるんですね。日本みたいに同時に複数の料理を食べない。前菜、サラダ、主菜などと順々に食べる。それで、どんなときでもデザートを食べるんです。デザートといったっていつもすごいのを食べているわけではない。別にそういうお菓子を作っていなければ、果物やチョコレートやスーパーで買ったお菓子というのもあります。けど、絶対デザートタイムがあるのです!

私も付き合いで一人前は頑張って食べようとするけど、もしこれが毎日になったらかなりやばいかも。チョコレート系は大丈夫ですが、特に苦手なのは果物を甘く煮たものです。なんとかのコンポートとか、タルト・オ・ポム(アップルパイの中身みたいなやつ)とか、もう大変です。

こんな話をすると、ダイエットするのに甘いものを我慢しなくてはいけない、とかって言う人からは「なんて羨ましい!」と言われるのですが、私はその代わりに脂っこいものとかそういうのは好きなので、脂肪は取りすぎる危険があります。そして、高脂血症とかコレステロールなどに気をつけなければいけません。私にとっては「ダイエットするために甘いもの禁止!」より「ダイエットのためにお肉禁止!」の方が何百倍も辛いです(笑)。

とはいえ、たまに食べる周りの人が作ってくれた手作りのお菓子とかおみやげのものとか、そういうのを食べるのは楽しいです。自分が作ったり買ったりしないので、新しい発見とかあります。なんというか、そんな風に楽しく甘いものは食べたいです。

と言うわけで、続きへ。

【関連リンク】

突然マクロビオティック1---甘いものが苦手なので。。 [2006年01月31日(火)]
突然マクロビオティック2--本能で食べようと思った結果 [2006年02月01日(水)]
突然マクロビオティック3--実は自然食はあまり好きじゃなかった [2006年02月01日(水)]
突然マクロビオティック4--豆って意外と高いんだね [2006年02月01日(水)]
突然マクロビオティック5--玄米っておいしいね! [2006年02月01日(水)]
突然マクロビオティック6--自然食原理主義? [2006年02月01日(水)]

Allaboutからリンク

AllAboutから私のウェブサイトのあるコンテンツにリンク依頼が来ました。

ということで、恥ずかしいですが掲載されましたので
お知らせします。

エリアはフランス語です。
http://allabout.co.jp/study/french/

「フランス語の男性名詞と女性名詞のトランプ」が

【ゲーム・オンラインテストで実力アップ!】というページに
http://allabout.co.jp/study/french/subject/msubsub_el_2.htm

「日仏英時事単語対訳表」が

【ボキャブラリーを増やそう!】に
http://allabout.co.jp/study/french/subject/msubsub_voca.htm

登録されました。

AllAboutを知らない方に一応説明すると、Yahooみたいな検索サイトで掲載するリンクをおのおののジャンルのガイドという選ぶ人がいてその人たちが選んでいきます。
ここにわかりやすい説明がありますので、ご覧下さい。
AllAbout(オールアバウト)とは?

ちょっと恥ずかしいですが、とりあえず嬉しいです。

不定愁訴??

私の体に起こる誰に聞いてもわからない症状って要するに「不定愁訴」ってやつなんだろうか、と今日
ふとひらめいた。。
不定愁訴とは:http://homepage2.nifty.com/uoh/rinshou/37futeishuuso.htm
どっちにしろ、原因は心身症だの、自律神経云々だの、そんなのばっかりだけど。

じゃあ、この症状にはどんな対応をすればいいんでしょう?
と言うのを調べてみたら
原因がわかっている場合は原因を取り除く治療をします。
わかっていない場合は、対処療法的な治療になります。
と書いてあった(このページより。子供の不定愁訴についてのページですが、趣旨は大人も同じと思っていいんでしょう。)

ということは、私は慢性的で重症の不眠症で不定愁訴もあるということなんだろうか。なんかわからないけど、医学はラベリングはとてもちゃんと行われているので、そんな感じなのかもしれません。

自律神経の乱れでそうなります、みたいな話ですが、それは納得。しかし、治す方法はこれですってわけにはいかないんだろうけどな。そうすると自律神経失調症みたいなことですよね。
じゃあ、そういうのは医学ではどういう風に治すんだろう、と思って調べてみたら、結局心理療法あたりらしい。結局今自分がやっていることと殆ど変わらない。じゃあ、自分がやってきたことは医学的にもあながち的はずれではなかったという事ねと何となく思った。

まあ、そんなところでなんとなく自分的に納得。
病名を付けられたことがなかったので、自分の色々な症状がなんだかわからずとても辛かった。病名を言える人たちがとても羨ましかった(←って言うと怒る人もいるかもしれませんが)。まあ、私が単に無知だったのかも知れませんが。それにお医者さんにも言ったことなかったし。どうせ「気のせいじゃないですか」とか「原因が分からないのでなんともいえません」とかしか言われないだろうなあ、っていう気分だったもので(←ほんとにあんたは医者が嫌いなんだね、と思う。そういう偏見は改めないといけないと思うけど)。

病名を言われるということはデメリットとメリットがあると思う。しかし、私の症状は自分に何が起こっているのがわからなくてとても辛かったし、人にも説明のしようがなくてとても辛かった。まあ、これはこれでいいと思う。この場合はふーん、不定愁訴かぁ、って思えるからいいと思う。これは自分の不定愁訴という言葉に対するイメージが自分の今の現実にちょっと追加されて自分に認識されるからかな、とも思うけど。何よりも正体がわからなければ対処方法がわからない、という不安からは少なくとも解放されるのだと思う。

対処法って言ったって、別にどのくらいで治るのかとかそういうのは全くわかりませんけど、単に心理療法をしましょう、って書いてあるだけだったりするわけですから。それでも、なんでも、まあ、ないよりはまし。

チャクラの観点から言うと、ずーっと私は色々なところで胸のチャクラが反応している。頭のチャクラがかなり反応している、というのを言われ続けていて、それに対してこういう症状が出るのねと考えると、なんとなく辻褄が合うというかそんな症状に悩まされている私ではあります。それを医学で不定愁訴だ、自律神経のバランスが云々というならそういうことなんだろう。まあ、別にそれがわかったからと言って症状が軽減するというわけでもないのですが、なんとなく気が済みました。

下流社会とベルナール・スティグレール

最近のはやりのキーワード「下流社会」。ニートとかフリーターの現象を読み解こうと頭の良い方々や学者さんたちが色々と考察している。それで、最近売れに売れている三浦展氏の主張としては「下流」とは、生活に困る「下層」ではなく、上へ行こうという意欲が低い人、つまり、働く意欲、学ぶ意欲、金持ちになりたいという意欲も低ければ、コミュニケーション能力も低い、同氏いわく「人生への意欲が低い」人を指す。」らしい。

仮にこれが正しいとして、

この記事には
「親の建てた家があり、「ユニクロ」や百円ショップで買い物をして、ファストフードを食べれば、定職につかなくても十分生活できる。「なんなんだ」と、上を目指してきた大人は思いたくもなる。「下流の出現」という三浦氏の指摘は、そんな漠然とした怒りを説明してくれる。」
と書いてある。

あのねー、と思ってしまいます。
自分達は頑張ってきたのに、君たちは頑張らないからそれに怒りを感じる、みたいなことだよね。
意欲がないって言われたって当事者(がもしいるとすれば)は「じゃあ、どうすりゃいいのよ」、みたいな気持ちだろうし、大きなお世話だと思う。
生まれてこのかた物質的に困った事もない、戦争にあった事もない、それほど努力しなくてもたいていのものが手に入る。住むところにも困っていない。そういう人たちがハングリー精神を持てると思いますか??意欲が少なくなるのは当然でしょう。それなのに「そのままでは良くないから意欲を持て」と言ったってそれは無理な話でしょう。

だからって別に何もかも与えてきたその人たちを育てたその親の世代に該当する人たちが悪いんだ、とか責めているわけでもありません。やっぱり戦争が終わって物質的に豊かになるぞ、と頑張ってきた日本の社会の結果の一つの姿がここにあるんだと思う。なんかこういうのを提唱する人たちってさもさも他人事のように書いているけど、社会って言うのは一体化しているんですよ。こういう人たちが出現したとしたら、その背景には自分達の存在が無関係なわけはないんです。それは親子関係も職場の関係も恋人関係も同じです。

あくまでも自分の価値観でしか彼等を見ていない。というか、お偉い学者さんとか頭の良い色々な方々で自分達の価値観ではなくて、対象に歩み寄って何かを理解しようというスタンスでものを言っている人は基本的に私は見つけられない。下流社会を取り上げる色々な記事も同様。一体この人たちは何をしたいんだろう、と思う。問題を喚起したいだけ?自分の仕事でお金をたくさん儲けたいだけじゃないの?とか思ってしまう。 別にお偉い大人の方々があれこれ分析したりするのは結構な事ですが、そういうわけで、こういったたぐいのものを読むと最近は「何を寝ぼけた事を言ってるんだろうな」と思います。 そういう意味で一人私は「この人はイイ!」って思ったのはベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)というフランスの哲学者。この人は現代社会の色々な問題を解読しようとしている。実はちょっと前に日本に来ていてなかなか面白いシンポジウムをしていたようなんだけど、私はそれが終わってからこの人の存在を知ったので非常に残念だった。ハッキリ言って言ってる事は難しいし、ろくに著書が日本語で出版されていないので(現在翻訳中らしいです)、私がこの人の思想をどれだけわかっているかというと、ろくに分かってないのですが(汗)。それでも何をもってこの人を評価するかと言うと、そういう社会をどうやったら良くできるだろう、という活動をしていると言う事です。言いっぱなしじゃないところが好きです。

それで私は哲学者(ポストモダンとかなんとかかんとかあたり)は全然興味ありません。っていうか、単に頭が悪くて理解できないというか、面白みを感じないだけですが。どのあたりの事を言っているかというとヴィトゲンシュタインだのジャック・デリダだのハイデッガーだのってあたり。なんか知の遊びって感じで、あんまり知りたいって思わなかったのです。やっぱり私は根はキムタケさんみたいな実業系(言い出したら、実際にやるという意味)が好きなので哲学者って言ってるだけみたいな気がしてあまり興味が持てないんだろうな。まあ、そのうち価値がわかる日もくるかもしれません。あと、言うだけの人で何が好きじゃないかと言うと、すごい思想を提唱しているけど、家庭がだめだめな人とか。そういうのってどうよ、とかって思っちゃう。そんなお偉い真実がわかっているなら、家庭の問題くらい対処できるだろうに、できてないなら説得力ないじゃん、とかって思ってしまったり(笑)。いとも感情的な私の考えであります(笑)。

となんでそんな事をぶつぶつと言っているかと言うと、スティグレールの思想の土台に上記のような哲学者の名前がぞろぞろと出て来るからなのでした。

それで、ちょっと話がそれちゃったのですが、なんで三浦展氏はじめもろもろの事にこういった違和感を感じてしまったか、というと、ちょっとヒントがありまして、最近ある人からその人の今までの生きてきた過程の話を聞いたことがきっかけです。その方は年代は私とほぼ同じだと思うのですが、その方は阪神大震災に遭って人生観が変わったそうです。震災にあった時、「前日までこんな命いつでもくれてやるわーとえらそうに考えていたのに、ぶるぶる震えながら必死で助かろうとしている自分がいてふっきれました。あっ、体全体が生きたいと叫んでいる!」と感じてから生きる姿勢が変わったそうです。

なんていうか、もし三浦展氏言うところの下流社会があるとすれば、このような出来事が欠けているからだと思うんですね。もちろん私たちは生命の危険にさらされるって事がめったにないです。生きたくても生きられない国で生きている人たちと違うと思うんです。でも、じゃあ、そういう経験しろって言われてもやっぱり困ってしまいますよね。私たちはこの社会で生きているのです。それが現実なのです。例えば、貧しい国では子供が売られたり、過酷な労働をさせられたりします。そういう事は人間が成長する上で好ましくないよね、そういった事をなくせばいい世の中になるんだ、と思って頑張ったわけですよね?そして、その努力が実って物質的に困らないように子供を育てられるようになった。よかったよかった、と思っていたら、結果としてそういうことになったわけですよね。それなのに「意欲が足りない」って分析したからどうなの???そして、その分析に対して「そうだそうだ、バッチリ指摘してくれてすごい」とか「そうだそうだ、どうしよう、困ったものだ」と思うのはどうなの??と私は思ってしまうんです。否定するんじゃなくて、「あのー、そう思うのは別に止めないけど、ほかにやる事あるんじゃないの?」と思ってしまうんですね。

そういうわけで、私は三浦展もろもろの話よりはベルナール・スティグレールの方に興味を惹かれるのですが、言ってる言葉自体はすごく難しいので、日本人でわかりやすくこの哲学者を説明してくれる人出てこないかなーと都合のいい事を思っています。

【関連リンク】
ベルナール・スティグレールについて
Arts Industriels
↑これが彼の色々な社会に働きかける活動をしているサイト
仏・伊・西・英語対応はしているけど、残念ながら日本語はない。
●「技術と時間 ハイパー産業時代に立ち向かう哲学 ベルナール・スティグレールの思想をめぐって
これが私が知るきっかけになったシンポジウム
ページの右側にパンフレットのPDFがあります。ベルナール・スティグレールは著書の日本語版がまだ出ていないのですが、思想の概略としてはこれで多少雰囲気をつかめると思います。


     
 

 

新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

今年も引き続きの御愛顧よろしくお願い申し上げます。
今年はちょっと新しい事ができる元気が出てきたかなあ、などと思いますが、余り過度な期待はせずに自然の流れに任せて行こうと思います。

年賀状は色々まだ具合が悪い事もあって書けませんでした。
失礼をしてしまった方もいらっしゃると思います。
もともと私は年賀状書くタイプなので
今年の年末は出せる状態になっているといいなあ、と思います。
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