2006年06月

東京都現代美術館のカルティエ現代美術財団の展覧会

に行ってきました。

http://mot-art-museum.jp/special/cartier/

このURLの写真の作品は必見。
これはかなりすごいです。

ここ数年、余り積極的に美術展を見に行けなかった私でしたが、ようやく少しずつエンジンがかかってきたかもしれません。

作品の傾向としてはカルティエ財団がどんな趣味しているのか、っていうのが余りよくわからずに行ったのですが、やっぱり趣味がいいな、と言うのと、そんなにオドロオドロしいのはなかったな、と言うのと、写真やフィルムの作品が結構あったと言う事でした。あとは、カルティエなのでさり気なくフランス人の作品も多い。

それをしっかり見ていたら、あっと言う間に閉館時間になってしまいました。もう、あまり日にちもないけど、見に行く人はせめてお昼過ぎくらいから行った方がいいかも。

ナン・ゴールディンの写真なんて真面目にあんなに大量に見たのは初めてでしたが、やはりほとばしる勢いを感じました。なんか、人間が生きてるぞーっていう勢い。今まであまり好きな作家じゃなかったけど、魅力がよくわかりました。

個人的に一番ツボにハマったのが、あるフィルム作家が、アマゾンのクマノミ族という種族に密着して映像を撮っている作品でした。テーマは狩猟とシャーマンなんですが、狩猟といっても別にハリウッド映画のようにハラハラドキドキ山あり谷ありするわけではなく、たんたんとジャングルの中を数人の男が獲物を求めて弓矢を持って歩いていて、時々弓矢を射たりする感じです。表情も、なんか真剣なんだか楽しいんだかさっぱりわからない表情。数人の男たちが力を合わせて何かをしとめるのかと思いきや、必ずしもそういう訳でもなく、なんとなくマッタリとした狩りだなあ、という印象を受けました。

言葉もあまり交わしてなくて、どういう心理状況でこの数人の男たちの人間関係が成り立っているのか、さっぱり不明。以心伝心なのでしょうか。アフリカのドゴン族あたりの言葉だと「○○○」という三音節の単語を日本語にすると、これは一つの例だけど「隣村のだれだれが2頭の○○を昨日しとめた」くらいな意味になって、え?それしか単語を言ってないのに、そんなにたくさんの事を言ってる意味になるわけ???という事らしいんだけど、このアマゾンのクマノミ族の言葉もなんだかそんな気配があるんじゃないかと勘ぐってしまった。

参考:ドゴン族
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html

衣服は、ほとんどつけてなくてほぼ全裸。どうしても、股間の処理をどうしているのか気になってつい目がいってしまう。何にもつけてないってことはないと思うんですよね。やっぱり保護の観点から言って。集落の映像では女性はちゃんとそこら辺は隠してましたけど。

もう一つの大きな目玉はシャーマンです。シャーマンと言っても、見た印象としては、またしても数人の男が鳥の羽などを頭や体につけて着飾り(ちょっと特別なときの装いと言う感じでした)、粉をどんどん鼻から吸い込む。それって、もしかしてコカイン系の粉のドラッグなのかな?と思って見ていたけど、なんか死ぬほどラリってる感じでもなく、それでもいい感じに酔っぱらったおじさんの集団になっていく。私の勝手な印象としては、シャーマンってもっと思索的で素敵なものかと思っていたらそう言うものではなくて、単に酔っぱらって半分ラリったおじさんたちが奇声を発しながら踊ったりまわったりしているようなものだった。

踊りと踊りに使う言葉(楽器としての声?)はやはりかなり原始的に感じた。例えばバリ島のケチャに当たるような、秩序や決まりは特にない感じ。適当に声を出したりして、ほんと新橋で酔っぱらってるおじさんたちがくだを巻いているのとそんなにリズム的には変わらないように感じた。ただ、映像には説明などは一切なかったので(別に学術的なフィルムではないから)、なんか私の勝手な想像で色々な事を解釈しているだけだったんだけど。

ただ、やはり自分を含めた自分の身の回りにいる人間とはちょっと表情が違うなあ、というのはずっと感じていた。言葉も、それほど複雑な抽象概念がないのかなあ、と思う。いや、それは向こうの方が劣っているという意味ではなくて、どんな心理構造をしているのかな、、というのがとても興味があるところ。

例えば、同じジャングルに生まれたとしても、ずっと裸でいようと思うか、少しは体に衣服をつけてみようかと思うか、やっぱりその辺の気分ってどこが違って来ると思うのだ。自分がジャングルに生まれたら、どういう風にしたかなあ、と思う。その環境と因習にどっぷり染まりはするだろうけど、どのくらい自分のいる世界を理解しようという意欲が湧くのかとかそういうのは部族差とか個人差があるのだったら、それは面白いなあ、と思う。

と言う事で、全然美術展に行った感想ではない感想になってしまいました。

もう一眠りする前に少し社会言語学の本でも読んで寝ます。

参考リンク:その作家のフィルモグラフィー
http://www.magnumphotos.com/c/htm/TreePf_MAG.aspx?ID=DER
とは言え、今調べたら上記の展覧会情報のページにこの作品の情報が載ってなくて、クマノミ族って名前も記憶を頼りに書いているので確かではない。



  

電子マネーカードに残高表示機能があったらいいなあ。

もう、新し物好きでミーハーな私ですから、最近はかなり電子マネーを活用しています。昔はあまり手を出す気になれなかったけど、コンビニやチェーンのレストランなどでも対応する場所が増えてきたので使い始めてみたのである。

電子マネーとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC


私が使っているのはメインがEdy、それからJRを利用するときはSuicaである。

本当は、携帯で電子マネーを使ってみたかったけど、私が今使っている携帯電話の会社だとSuicaとEdy両方できる機種というのがないので、それはあきらめた。でも、コンビニとかで携帯で「チャリ~ン」と払っている人を見るとちょっとうらやましいです。

それで、まあカードで使っているのですが、とにかくコンビニでは電子マネーの威力というのを感じる。というのは、コンビニというのは小さな買い物が多いので小銭で払うことがほとんどだからです。宝石やらパソコンやらっていうのなら、端数があまりないだろうから電子マネーを使うメリットを感じられないかもしれないけど、この日常こまごまなものを買うコンビニというのはやはり違いが大きい。

それで、便利だ便利だと使っていていたのですが、使っているうちにあることに気がついた。今、このカードの中にいくらお金が入っているんだろう、ということ。私は、電子マネーのカードにお金をチャージするときは、万が一なくなったときのことを考えてそんなにたくさん入れないんですね。いえ、別になくしても中に入っているお金は保証されているんだけど、別にそんなにたくさん入れる必要もないから。

そうすると、お金を使おうというときにチャージされている金額が支払い金額に足りるかしら、という心配をすることがある。そうすると、レジの作られ方にも寄るのだろうけど、カードに入っているお金で払って足りない分は現金でっていうのができないところもあるんですね。まあ、そうしたら諦めて現金で払えばいいのだけど、「足りるだろうか、どうだろうか」ってやきもきするのはやはり余りしたくないのだ。

だから、本当はカードの裏かなんかに今チャージされている金額が印字されていたらいいなあ、なんて思ったんです。確かに、カードを使ったときにレシートで使われた金額と残金が書かれたものをくれるけど、次回使うときにそのレシートがお財布の中に入っているとは限らないし、レシートを引っ張り出して確認したりしないでしょう。

だから残高がカードに印字されていたらいいなあ、と思ったのですね。地下鉄や私鉄で使うパスネットなんかはテレフォンカードなどと同じでいくら残っている、というところに穴があくのである程度はわかる。裏にはどこからどこへ何日の何時に乗ったというのが印字される。あんな風に印字してくれたらいいなあ、と。

とはいえ、メトロカードは使い捨てだし磁気カード、SuicaやEdyはチャージして何回も使うICカードなので技術的にはぜんぜん別物なんだろう、というのは素人にもわかるけど。それでも、やっぱり印字してくれたらいいなあ、と思います。


  

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