マラソンリーディングなるものに行ってきた。http://plaza24.mbn.or.jp/~naku/mr.html
ポエトリーリーディングを長時間やると言うことで、マラソンリーディングというタイトルだったのでしょう。ポエトリーリーディングというのは詩を朗読するという意味です。私はいつもは詩は読まないのですが、短歌は読むので(詠みはしないのですが・・)、好きな歌人が出演するので見てきたのです。

正直言って今まではポエトリーリーディングってどうなの?って言うところはありましたね。ですが、昨日行ってそうした偏見は一切払拭されました。いやー、なかなか面白かったです。私が好きな歌人というのは穂村弘という歌人で、私が作品を読み始めたのはもう12年以上前ですけど、今では本当に大御所になって日経新聞の夕刊にエッセイも載ったし、とってもメジャーな方になりました。その人を一目見てみたいというのが一番の理由かな。

とはいえ、文字で短歌を楽しむのと声で読んだ短歌を楽しむというのは全くちがいます。しかし、やはり作品自体に力があればどちらでも印象は鮮烈なものになるんだなあと言うのは実感する。あとは、朗読と言うことなのでやはり演劇的な要素も必要とされるかも知れない。というのは良く役者さんが有名な作品を朗読するのって良くやっていますよね。朗読の方法で作品も良くも悪くもなると思うし。

とはいえ、作品を書いた本人が朗読するところがまた面白い。ああ、こういう人がこういう詩を作っているのね、とかそういうのがわかるのも面白い。絵の場合は割と展覧会の会場に本人がいることも多いし、雑誌などに取り上げられるときに写真が掲載されていることも多いので、割とどんな人がこの絵を描いているんだろう、っていうミステリーがそれほどないのですが、詩歌の場合は本人が余程露出好きじゃないと顔写真とか載ってなかったりするしね。

とはいえやはり朗読には短歌よりは詩の方が向いているのかも知れないな、と思った。というのはその長さですね。短歌の場合は余り早く朗読してしまうとなんだか頭がこんがらがって内容が印象に残らないおそれがあると思うんですよね。昔の貴族が和歌を詠むあの伸ばし伸ばしいっていうスタイルってそれなりに意味があるのかなあ、等と思った。この場合は現代短歌なので、普通のスピードで朗読されると言うことだと思うんですけど。その点は詩の方はある程度内容に継続性が出るので、頭に入って来やすいし、面白さもわかりやすい。

くだんの穂村さんも短歌ではなく、詩を朗読していました。本音を言えば穂村さんの短歌をご本人が朗読しているのを聞いてみたかったというのもありますが、やはり難しいのかな、などと思った。詩の方を読んだのはそういう意味もあるのかな、と。まあ、これは年に一回開催されるので、来年はどうなるかまた楽しみにしたいです。

そして、短歌というのは五七五七七で出来ていますが、それが発音されるとあんな風なリズムになるんだな、と言う短歌の呼吸のようなものもわかったのが面白かった。短歌は何人もいましたが、やはり私にはなかなか難しくて、あれあれあれ、、、と思っている間に終わっちゃうのが多かった。一人、最後から二番目の男性の方の短歌が唯一頭に入ってきました。他の人はどう聞くのかわからないけど、私は小説でも詩でも何でも文章を読む場合は文章の内容は頭の中で映像化されて読む事が多いです。だから映像化されにくい文章はなかなか理解できない。で、この方の短歌が次々と読まれるのですが頭の中では写真が次々とはらはらと落ちていく感じがしました。一瞬の光景を切り取るという短歌の特性を特に強く感じました。

あとは面白かったのは、詩歌を表現手段にしている方々はこんな雰囲気の人たちなんだなあ、と言うのが観察できて面白かった。そんな人たちをいっぺんにあれだけの人数を見たのは初めてだったと思います。そんなに自分の予想を裏切るような感じはなかったけど、聴衆は男女同数(ちょっと女性の方が多そう?)で年代も20代から中高年までまんべんなくいました。中高年の人が意外に多かったのでびっくりしたのですが、どうもトリをつとめたおじいさんの詩人の人がとっても大御所らしくて、もしかしたらその方のファンの人たちかな、と思いました。

あとはね、特徴としてはまちなかと比べると女性はボディコンシャスな服装の人がそんなにいない。(この場合、細身のジーンズとピタTシャツもボディコンシャスと見なす)なんか意味あるのかな。

色々な人が出ましたが、やっぱり面白いのはわかりやすい作品なんだなと思った。そういうのはどのジャンルでも変わりませんよね。あとは、やっぱり「おおっ!」と思わせられてしまうのは遊びの要素が強いというか、知の遊びを非常に上手にやっている作品だったり。この辺は現代美術で面白い作品の性質と共通するところがあるかも知れない。

私にとっては、面白いと言う意味では現代短歌も現代美術もお笑いも同じレベルで面白い。だから、次回は同じ言葉の芸術のお笑いを何か見てみたいな、と思った。人間って面白いですよねえ。

穂村さんの姿も初めて拝見できて良かった。思ったより細身の人だった。それから、ちょっとだけふにゃっとした声をしていた。そして淡々と冷静にその声で朗読していました。やはり作家本人による朗読って面白いですねえ。

その昔、穂村弘の短歌を読んでそれがきっかけで、「ああ、私も詠んでみようかしら」という気になって、やってみたりはしたのですが、なんかやっぱり自分には何かを表現するのは絵の方が合っているかな、と思ってやめてしまった。でも詩と比べて絵で良かったなと思うのは詩だと海外進出するにはすごく有名にならないとできないけど、絵の場合は見たらわかってもらえるから、有名無名とかは気にしなくていいってところでしょうかね。

実際、ああいう楽しみを外国人の友だちとは分かち合えないんだなあ、って言うのはちょっと寂しいと思うこともある。あとは、日本語をしみじみと感じたというか、日本語の発音とリズムと語彙を非常に感じた。私は英語や中国語やフランス語に比べれば日本語ってそんなに音のリズムとか重視しない言語に思えるんですよね。韻とかそれほど踏まないし。そういう意味ではきれいな言語って言われる回数は他よりも少ないのかな、なんて思ったりするのですが、どうなんでしょうね。まあ、とにかくとても充実した夜でした。こういう充実感もいいよねえ。

家に帰ったら、叔母が来ていた。この叔母はインテリで、現代詩や文学もたくさん読んでいる。今日見たものの話をしパンフレットの出演者リストを見せたら、あ、この人とこの人とこの人は有名よ。「ひろえちゃん、見てきたの!いいなあ!」と言っていたので、やっぱり有名な方々が出ていたらしい。実は真ん前の前から2列目で見ていたんだけど、やっぱりこんな前だと関係者も多く座っていて、私の両隣は空いていたんだけど、途中から舞台で朗読が終わった一人の方が隣に座って来て、私は私で客席から面白そうな出演者を手帳にスケッチしたり思いついたことを書き込んだりしていたちょっと不審な聴衆だったので、隣に座られてかなり焦った。

かなりつれづれですが、今日の感想でした。。