関西圏の言葉についてちょっと学ぶ機会があった。いや、別に今まで関西出身の人となんて沢山接する機会があったので全く知らない未知の世界と言うほどではなかったのだけど、それでも「ええ!そうだったの!」っていう驚きが未だにある。根っから江戸っ子の私にはイスラム世界を理解するのと同じくらいの大きな壁を時として感じてしまう(って書くと関西方面出身の方々に殺されそう・・・)。

でも、それでも私は東京で出会う地方出身の人たちには心の底では羨望の眼差しを持っている。私はしょせん東京しか知らない田舎もんだしって言う思いがある。(と言うと、喧嘩売ってんの?って言われちゃうんだけど。)やっぱりお正月になったら帰れる場所があるって言うのはいいですよ。そして、その土地特有のオリジンを持っているわけですよ。DNAを持っているわけですよ。

それで、まあ、とにかくある関西人と話していたのですよ。だいたい関西人の印象としては東京に来るとかけそば、かけうどんに対して「何!この真っ黒な汁は!信じられへん!」というリアクションが私の中での固有イメージです。要するに、向こうのおつゆは色が薄いらしいのですね。私も大阪とかへ行ってそういうのを食べた記憶があるけど、「ああ、噂どおり薄い色なんだなー」という感じで別に腹を立てたりするようなものではなかった。おなじかけそばでも色々なバリエーションがあっていいなーと言う感じですよ。

と、このことはさておきまして。今回新しく習ったことはいわゆる「バカ」「アホ」の論理です。私からすると「バカ」も「アホ」も罵倒の言葉と認識しているのですが、関西圏ではどうやら「アホ」というのは時として愛情表現にもなるらしいのです。それは、私は今回は初耳でした。このニュアンスもまだ理解しきっていません。それで、たとえば関西人(♂)と東京もん(♀)の間での会話でもし「お前あほやなあ」と言われた場合、それを愛情表現と取る東京人はいないのでは、と思います。でも、もしそれを関西人の方は愛情表現でしていたら、その表現が伝わらないどころか相手には「自分を否定されているのかも」という意味で解釈されている可能性が高いので、コミュニケーションがこの場合は成り立っていないと言うことができます。これでは、二人の未来にくらい暗雲が立ちこめていると断言しても良いかもしれません。「なーんだ、あいつはいつも私のことをあほだあほだって言ってけなしてばかりだし・・・」って思われているわけですよ。

また、「せいぜい楽しんできておくれやす」と言う言葉もなかなか東京人には辛いものがあります。とても、これが歓迎されているセリフとは思えません。でも、これは関西圏では普通にwelcomeのニュアンスの言葉なんだそうです。まあ、そういう意味で日本語間でニュアンスが違うのは外国語以上に難しいところがありますよね。

もしかしたら、今までの関西出身の友達との間には色々な誤解があったのでは?なんて一瞬考えてしまったのですが、たいていの場合は向こうが関東のメンタリティを熟知して対応して下さってる場合が多いのでしょうね。そういう意味では英語が通じるのが当たり前よね、と思い込んでいるアメリカ人のレベルなのかもと思ってちょっと凹んだりしますが。

とにかく、関西はボケと突っ込みがコミュニケーションのベースらしいのです。仮にそれを自分に要求されるのは非常な精神的プレッシャーを伴うわけです。「なんでここで突っ込んでくれへんの」と言うことです。でも、ぼけと突っ込み文化で育ってこなかった私にはそれは非常に高度なコミュニケーションスタイルなのです。

なんとなくフランス人との文化ギャップよりもしかしたら壁が厚いのでは?なんて思って途方に暮れてしまった今日この頃でした。

とは言え、フランス人と結婚したある日本人の女の子がフランス人のジョークのセンスが最初は全然分からなくて笑えもしなかったけど、少しずつ慣れてきたら笑えるようになった、と言っていたので、やはりなんでも慣れの世界なのかも知れません。確かに私もフランス人のジョークにまだ笑えないです。面白さがさっぱり分からないです。でも、慣れって言うのはあるのかもしれませんね。