TalkingNightに行ってきました

まあ、とりあえず、こんな会に去年から参加してまして、最初は難しいことを考えたり話したりしている人たちの話を聞いているのがとても楽しかったと言う単に観客だっただけだったのですが、今年に入ってからはちょっと自分もそれに関係するようなことに巻き込まれたり考え始めたりするようになりまして、とりあえず最近は「お金とはなんぞや」というのを考えていました。

そこに参加しているさかまたさんが去年から提唱している信頼通貨というのがあって、上記の集まりでは何度かプレゼンをして下さってて内容的にだいぶ理解してきてたんですが、とにかく今のお金とはちょっと違う秩序での新しい通貨というのを考えていたんですよね。

お金の秩序について

で、木村剛の「おカネの発想法」を読み読み考えていたのですが、お金と言うのはものを交換する上での非常に画期的で革命的な発明なんですね。それからお金というのは色々な技術が発明されて、貯蓄だとか、利子だとか、果ては株式だとかって発展してきて昨今のTOBだなんだ、ってところまで来てるのですが(ええ、私はTOBの内容とか意義とかは全然わかっていませんとも!)、とにかくおおもとはものとものとの交換をスムーズにするツールと言うかメディア(媒介物)なんですよね。

それがいつのまにかそのメディアを沢山持つ人が力のある人で、持っていない人は生活が成り立たないという秩序になったわけですが。

この秩序は何が困るかと言うと芸術には余り適用できないんですね。まあ、あと芸術に関わらずお金では換算できないことが世の中には沢山ある。たとえば、お金は沢山持っているけど人をだますことばかり考えている人と心根は優しいがお金を持っていない人がいたら、一般的に世の中で力を持つのは前者ですね。それで、挙げ句の果てにはお金って言うのは人の心をゆがめる悪いものなんだよっていう思想ができたりして清貧が素晴らしいと思ってそういう生活を選ぶ人もいる。

また、色々なお金の技術が発達したおかげでものとものとの交換のためのメディアというのを離れてお金自体が価値を持ち、その結果マネーゲームのような事が起こり、そのゲームをするのに長けている人がお金を沢山持ち、世の中で力を持つということに今ではなっているのですが、本来のお金と言うのはもの(やサービス)の価値を表現するものだという本来のところでもう一度考えられないかなと思ったんですね。

対価をhappyに換算してみたら

そこで、ちょっと違う秩序を考えてみました。お金の単位は日本では円ですが、これをhappyとして考えてみようと言うことです。どういう事かと言うと最近お金のメリットとデメリットを考えていて、金の亡者って場合はお金が悪い方向に使われている。おいしいレストランの料理や素晴らしい工芸品にお金を払うって場合は良い方向に使われている。それでそれを得ることによってどのくらい自分が幸せになったかという度合いを分かりやすくするためにhappyというのはどうだろうか、と。 この曲をダウンロードしてこんないい気分になってこれだけ幸せになったという意味でhappyを使うのです。

そうすれば、例えばより良い品をより安くだとhappyが下がってしまうので、売るために値段を下げたりとか薄利多売という事から解放されます。また、同じ音楽をダウンロードしても満足した量でhappyを払うので(払うという表現は余り良くないかもしれない。これだけhappyになったという意思表示ってところかしら。)、良いものだったら良ければ良いほどhappyの値段が上がるのです。

この考えを発展させていけば、実はもしかしたらホリエモンの言う通りに「世の中金(信頼通貨)で手に入らないものはない」という事も可能かもしれないのです。この考え方を使えば、例えば従来のお金に換算できないものも評価することができると思うんです。

例えば、営業マンでも同じものをたくさん売る人と、売る数は劣るけどお客さまに対して非常に満足度が高いやり取りをする事ができる人がいたとします。この場合、従来の秩序では数を売った営業マンの方が評価されます。ものの値段がどういう売り方をしても同じだからです。ただしhappyを導入すると、たとえば数を多く売るけどちょっとビジネスライクで対応がいやだったなあとお客さんが思えばhappyの値が下がって300happy。数は少ないけどとても対応が良かった営業マンは600happyで売ることができたとします。そうすると、後者の方が売った数がたとえ2分の1でも、営業成績は同じになります。要するに人をどのくらいhappyにしたかという値なのですね。

そして、happyという意味が常についていれば、人はお金の意味を忘れるわけにはいきません。例えば、人をだまして50000happyを巻き上げた人がいたとしたら、自分は人を踏み台にして50000だけhappyになったのだというのが明白になります。それでいいやって人もいるかもしれませんが、良心の呵責に襲われる確率は普通のお金の時より高くなるんじゃないかなあとかって思ったり。

今の世の中はhappyと同じ属性を持つお金の使われ方と、マネーゲームのようにお金そのものから価値が生み出される使われ方と2通りしていると思います。この後者の方が発展すればするほど本来のお金の意味から離れていくのではないかなあ、と思うのですね。それはそれで人間の発展には良いのかもしれませんが、いかんせん芸術のようなものとは相反する秩序であります。そう、要するにこんな事を考え始めたのは芸術をやる人が金銭的に報われる秩序を作り出せないだろうか、っていうところからだったんですよね。あとは金銭的に豊かになることが文化的豊かさとか精神的豊かさに必ずしもリンクするわけではないので、その辺がもっとリンクする秩序があってもいいんじゃないだろうかということです。

地域通貨とか

とは言え、似たような考え方というかもっと発展した考えを作って何かをしようとしている人は既に沢山います。地域通貨なんていうのもたぶんそういうものの一つなのでしょう。ネット上では色々な試みが始まっているようです。


最初はネットから?

と言うわけで、実社会でこれを適用するには色々とまだ非現実的なことがあるのですが、ネットの社会では試験的に何かできるような環境があるようです。と言うことで、最近はそんなことに興味を持ったりしているのですが。

とりあえず、人をhappyにすればするほどフィードバックがある。それは現在の現実社会でもある程度そうですが、そうでない事も沢山あります(必要悪っていう言い方をするかもしれませんが)。なのでもっとお金に換算できない人(や世界)をhappyにしたものをもっとはっきり評価する、また現在の現実社会での実際にhappyにしてフィードバックされているものについてもっと評価を強化するための何かができないかなあと思っているのですね。

課題

とは言え、まだまだ夢物語の域は出ないのであります。たとえばコストの問題はどうするんだ、とか。例えば車の値段なんかをこのhappyで考えることにしたらなかなか大変です。一台の車を作るのに使った部品とかその部品を考えた人の労力とか時間とかがあるので、それをいちいちhappyで考えるということになるとまだ私にはどうしていいか分からないのであります。

ま、最初はシンプルなシステムからはじめれば良いと思いますが。この話題については具体的な場所もなくはないので、おいおい考えていきたいと思います。