ホピ族では、さまざまな予言やその他の言い伝えはすべて口伝で残してきたのだそうです。

口伝と言霊

そしてネイティブインディアンは文字を持ちません。

ホピ族では、話をするときの息を非常に重要に考えていたそうです。そこに精霊が宿ると考えていたようです。文字にするとその力が薄れてしまうということのようです。

日本にも同じような考え方があって、それは言霊という言葉で表されます。漢字が日本に入ってきてからこの感覚は薄れていったのかもしれませんが。サンスクリット語のマントラなどもそうですが、明らかに言葉の音に何かの力を見い出していた人たちが世界のあちこちに存在します。

さて、このことを脳科学の観点から考えるとどうなんだろう、というのがとても興味のあるところです。
(とはいえ、別に何かそれについて知識がある訳ではないのですが。。。)
ある話を知るときに文字のみで知る場合と、誰かの言葉から知る場合とでは脳にどのような刺激の違いがあるのでしょう。
そして、言葉で語られるとき、その言葉は言葉そのものを聴覚から取り入れるのと同時に、その場にいる状況、一緒にいる人、場所の様子、その日の天気などがセットで脳の中に入ってくるはずです。

刺激の量としては明らかに文字のみから受けるものとは違ってくるだろうというのはなんとなく感じます。
(精霊が宿っているかどうかは私にはわかりませんが。)

何か腹に落ちるようにその情報を伝えたいとしたら
文字でなく口伝でというのはある程度考えられることかもしれません。

口伝の場合の予想される刺激
・聴覚よりの刺激
・視覚よりの刺激
 (話している人の表情、身振り、仕草、服装)
(・)嗅覚よりの刺激
その場に食べ物飲み物その他の嗅覚を刺激するものがあれば

なぜ人はかわいいと感じるのか

知り合いの編集者とカチーナ人形の
写真を見ていたら
「これかわいいいよねー。なんかの表紙に使えないかなあ」
と言っていた。

そう、「かわいい」と感じるんですよね。
これは万人の感覚なのか。

果たしてホピ族の人がそう思っていたかどうかは分からないけど
たぶん世界の多くの人はそう感じるのではないか、と思った。

だとしたら、どうしてそう感じるのだろうか。

・顔の造形がこどもの目鼻口のプロポーションに近いから?
・手足の造形が素朴だから?
・模様の表現がシンプル(でもないけど写実的ではないという意味で)だからかな?

ちょっとメモしておきます。

【関連記事】
ホピ族の映画を見てきた [2006年12月09日(土)]