祈るということがどの程度効果があるかというのは、誰も測定できない。

ややもすると、気のせいとか、気持ちの問題くらいな扱いになる。

ということは、祈ることは全くなんの効果、力がないのだろうか。もし、そうだったら今までに存在した古今東西の修道院や寺院の人たちが祈ってきた日々が全くの無意味なものであった、ということになってしまう。

さすがにそれはないだろう。
(というか、そうじゃない、ということじゃないとその人たちが浮ばれないよな、、、)

とすると、祈りには力があることになる。

そう考えると、祈るということの重さというのも感じられてくるのである。とても不思議なことだけど。

スピリチュアル系の解釈でいうと、祈るというのは念を重ねて行くということなんでしょうね。念が世の中に何らかの力を及ぼすというのは往々にしてあるから、そう考えるとすんなりと納得がいくかもしれませんね。