既成概念からの解放

「最後の奇跡」青山圭秀著よりメモ書き

P153:『蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ』(マタイ 10・16)

P171:ところが、今世紀に入って、一つの新しい思想が登場した。そこでは、心と体は「密接に関係している」というより、「同一」と捉えられる。「別々の顕れ方をした、同一の実体」なのである。

P219:信じない人は、何がどうあっても信じません。ですが、そうした人々はまだいいのです。彼らには、彼らの世界がある。その場その場で、いま神を罵倒していたと思ったら急に賛美したくなる者こそ、始末に負えません。この人達は気分が変われば、また不平を言い始めるのです。そうして厄介なことに、私たちを含めた大部分の人間が、実はこの部類に属するのです。

血曼荼羅の衝撃-空海と高野山展より【後編】

【前編はこちら】

ターニャさんからの説明

最後にターニャさんからの説明を抜粋して掲載します。

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安心して下さい。ここには、怨念はありません。
祈りの世界では怨念はないんです。
陰陽師とかは、まだ勉強していないので分かりませんが、ここは仏教なので、清らかなものです。
真言密教の一部の教えの中に、昔の僧侶もしくはある菩薩が「私は、自らの血をもって、自らの皮膚に、この尊い教えを書き写そう」と言ったくだりがあったのを思い出すんです。それくらい尊いものだということなんです。
だから、清盛は、本当にそれをやって、有難さを表現しています。
(しかも、平家物語に書いてあるので、ちょっと大げさかもしれません。)
そこまでするほど、「尊い教え」ということをあらわしています。

怨念が発生するためには、本人が望まない時に、殺されたり痛めつけられたり、憎い相手を呪う場合などがありますが、ここでは、全くその正反対です。
すごい!と思ったのは、反対の意味です。曼荼羅は宇宙のようなものをあらわしますので人が生まれた時や死ぬ時に感じる恐怖と喜びがここでは、すごい迫力という感覚になったともいえます。
生命の起源は、真実なので、やっぱりこわい。知らないものに対しては、こわいと思う。そういう心理もあるのかもしれません。
しかし、理を知らないと、このように、あまりにすごいために、誤解されてしまうので密教という形で秘密にされているんです。
修行によって、菩薩界にまで達した人には、その意味が分かり、貴重さすごさ素晴らしさがわかるからです。

髪の毛を入れたことも、これは、魔術ではないので、神聖な神に対する祈りなので、こわくありません。
古代の文明は、いけにえを捧げたりしましたが、それは怨念のためではなくて
神聖な神に捧げたのです。どちらかというと、多神教の方に多くみられます。
仏教には命を捧げるという概念は全くありません。命こそ最も尊いものです。
ここでは、清盛は命を捧げたのではなく、おそらく、どちらかといえば、昔、武士が血判状を作ったように、覚悟という意味で、一番勇気のいる頭の部分に、少し傷を付けて、神に帰依したのだと思います。
国を治めるほどの大物たるもの、ちょっと,指の血では格好がつかないのでしょう。しかも、先述したように、平家物語の中で、格好よくするために、大げさにした可能性もあります。

平家物語は、経典と違い、少し歪曲することが出来ると思います。
経典、つまり、高野山の歴史書には、偽りは書けません。修行に対して、ものすごく厳しいからです。
嘘は、戒の中でも厳しく禁じられていますし、僧階を得るのに、大変なところですから、高野山の記録であれば正確だと思います。
密教というと、密という字から連想して、なんか呪術のような誤解もあるかもしれませんが、仏陀から直接伝わっている厳しく清らかなものなので、怖い儀式とか、妄想とか、もちろん怨念もありません。戒の中には、不殺生とあり、虫も殺してはなりません。
三業浄化といって、悪いことを言ったり、考えたり、行ったりしてはなりません。呪うというのは、ご法度です。修行は厳しく、一点の汚れもあってはなりません。どこまでも、清浄でなければならないのです。ですから、呪いとか、邪まな考えは、破門されてしまいますので、ご心配ありません。

使い方を誤ると危険というのは、呪術的な意味でなく、神聖な神を汚さないようにという心配です。
今のように、知らないと誤解されてしまったり、良くない使われ方で、汚してはならない尊いものであるからです。
だから、密教の修行も、初信者(信心のまだ浅い人)は、あまり教えてもらえません。
簡単なことしか知ることも行うことも許されないのです。(手の結び方は相当上のレベル、普通は経文程度)本当に、神の世界までいくと(菩薩界)、ものすごい功徳があるだけに、それを軽視すると、神々が悲しむということもあります。

もしかして、神が隠れてしまうこともあるかもしれません。
沖縄に、神の儀式があって、ここでは男性禁制、外部の人も入ったり見ることを許されなかったのにある時、カメラマンが入って、一部始終を撮影しました。その写真集を頂いたのですが、素晴らしい記録でした。この儀式というのは、すごいらしくて(良い意味で)、本当に神の力があったものだったことで沖縄のシマンチュ(島人)の間では有名な話なのですが、この聖地にそのカメラマン、つまり外部のしかも男性が入ってしまったことで、年に一度の儀式(祭り)
だったのですが、翌年以来、全く神が降りなくなってしまったそうです。
このように、神との約束は絶対なのです。破ると神が隠れてしまう。

密教や仏教については、最も解り易く言えば、教えとか修行によって、遠回りしないで、正しく歩める法則を学ぶことが出来る、そのための修行ということなんですが、それには(精神レベルという意味なんですが)段階があって、階段の一つ一つを上っていかなくてはなりません。
自分の汚れが多かったり、精神レベルが低いと、教えも理解できず、惑わされてしまうというんです。

というわけで、
本来、密教は清浄であるための厳しい僧侶の修行があり、その先には美しく光り輝く神々の世界がある。清盛は、きっと、その美しい世界に感謝と帰依と、皆が救われるようにとの祈りを込め、自らの血をもって、書き記すという、最も高く尊い行為をしたのだと思います。

呪術や魔術とは、全然正反対なので、いくら見ても、怨念はありません。
きっと、未知なる物に人は不安を感じるのですが、それは、呪いとかとは全く関係ありませんので安心して下さいね。いくら見ても、大丈夫ですよ。(私も最初は密教を全く分からなかったので、よくわかります)

この世で幸せになること、大乗利他(自分のためより、人のため)を祈る仏教の根本の教えなので見た人への、幸せを願う祈りがこもっているはずです。

長くなってしまいましたね。すみません。

私も、そんなに勉強が足りなくて、説明が上手ではありませんのでお許し下さい

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という非常に心のこもった説明をいただいて、とても嬉しかったです。と、同時に自分の浅はかさというか、無知さもちょっと恥ずかしかったです。で、このメール文の内容の真偽(学問的な)については、保証しませんと言うか勉強中なので間違ってることを言ってるかもしれない。そうだったらごめんね、ってことでした。いえいえ、そんな私からしたら本当にみんな造詣が深くて感動してしまいます。

最後に
修行にご法度なのが悪い行いというのは当然想像がつきますが、嘘っていうのも入るっていうのはすごいですね。良く考えれば、そりゃそうですよね。でも、今の世の中で完全に嘘をつかないで生きるってことは俗世と縁をきってこういう特殊な環境で生活しないと無理ってことなんですかねー。

まあ、とにかく、密教の詳しいことが何もわからなくても、あの曼荼羅を見れば心底すごさがわかるというものですよ。いやーーー、びっくりしたびっくりした。

【関連記事】
血曼荼羅の衝撃-空海と高野山展より【後編】
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/724

血曼荼羅の衝撃-空海と高野山展より【前編】

すごいエネルギーが放出されています。

終わった話題で申し訳ないですが、先日まで国立博物館でやっていた「弘法大師入唐1200年記念 空海と高野山展」に行ってきました。一緒に行ったのはキルゴアさんターニャさんでした。

それで、ここにも書きましたとおり、4m四方のどでかい巨大曼陀羅があって死ぬほど強い気といいうかパワーを放出していたのです。どういうのかというとこのページの真ん中の「両界曼荼羅図」というやつです。で、曼荼羅というのは2種類ありまして、金剛界曼荼羅という画面が縦3マス、横3マスの合計9マスに分割されているデザインのものと、胎蔵界曼荼羅という中心に大日如来という密教で一番偉い仏様があり、それを取り囲むように放射状にいろいろな仏様が端っこの方まで隅々と配置されているものとあります。
こちらでそのデザインが見られます→http://www.buzan.or.jp/letstry/mandara.htm

で、その展覧会でも左側に9等分された金剛界曼荼羅、右側に放射状の胎蔵界曼荼羅で並べられていた。たぶん、これが決まった配置なのでしょう。

で、4メートル四方が2枚並んでいるのでかなり圧巻ですよ。で、私はこの展示室に入る前の隣の展示室からこの2枚の曼荼羅がちらっと見えてしまったとき、直感で「これはやばい」と思いました。で、キルゴアさんに「やばいよ、やばいよ」と言ってました。なんか知らないけど「これはやばい!!!」と告げているのです。で、隣の展示室のものを見終わってこの2枚の曼荼羅がある部屋に入ろうとしたのですが、本当に本当にすごいものが発されていたんですよ。何か「もんもんもん」とした空気です。

そこに立っているのが精一杯でした

「ぎゃーーーー」これは、なんなんだーー。と言う感じでした。その何かを受け止めて立っているのが精一杯で、近づいていくことができません。とにかくすごい圧迫感です。そして、なんとも言えない空気。気持ち悪いような、怖いような。お世辞にも気持ちいいものではありません。積極的に近づいていくのがとても怖い感じ。

で、ターニャさんは私と同じように(たぶん、それ以上に?)敏感な方なので、やはり同じものを感じているようでした。で、そのときは「あー、これはすごい念ですねー。」と言っていました。はー、このすごい「もんもんもん」というものは念なんですか。ということは、密教は真言を唱えるから、曼荼羅を描いた人が真言を唱えながら曼荼羅の布にその念を定着させたというか、移したのかなーと思いました。

2枚ある曼荼羅は両方ともすごい念を出しているのですが、特に右側の胎蔵界曼荼羅の方が強いものを発しているような気がしたし、やっぱり中心に大日如来があるのでそこら辺が一番強い気がしました。いやー、この日は本当にこの曼荼羅のおかげでへとへとになりました。密教のすごさを思い知りました。あの曼荼羅の気を感じただけで、空海はめちゃめちゃすごい人だぞというのが心底わかりました。

で、カタログを買って家に帰ってその曼荼羅の説明を読んでみたのです。すると・・・「『平家物語』巻三によれば、絵師常明が金剛界図に筆を揮い、また平清盛が胎蔵界図の大日宝冠にみずからの頭の血を混ぜて彩色した と語られていることから、「血曼荼羅」の異名をもつ。」そうです。なになに?平清盛の頭の血が使われてるんですか!!!!そして、他の平家の誰かの髪の毛も縫いこまれているそうです(曼荼羅は絹布に描かれているらしい)。ぎょえーーーーーー。で、別名「血曼荼羅」って言うらしいですよ!!!!

きゃーーーー、あのすっごーーーーい空気は平一門の総体的な念だったわけですか???怖すぎる!怖すぎる!あれは確かに粗末に扱ったら本当に取り殺されるだろうというすごいものがありました。私は心底それを感じました。

平一門の怨念???かと思いきや

で、実はターニャさんとキルゴアさんは二人とも密教に造詣が深い。本当に深いです。だから見に行こうよっていう話になるんでしょうが、、私は誘われるままに殆ど何も密教のことは知らずに見に行ったので、こんな表現になってますが。で、とにかく帰ってからその説明を読んで「あれは平一族の怨念だった
のか!怖すぎるーーー。」とメールしたら、ターニャさんから非常に詳しい説明をしていただけました。

かいつまんで言うと生と死のエネルギーなのだそうです。なるほどー。
で、私がなんであんなに怖い、怖いって思ったのかというと、やっぱり生と死のエネルギーを知らなかったからなんじゃないかなーと思いました。私はまだ物理的に生死をさまよった経験はないし、子供を産んだりしたことがないので、直接的にそういうものがどういうものか実感していないのかもしれません。
で、人は未知ものに対しては恐怖を感じるらしいので、そのためと思われます。

というか、基本的にいつも感じる気と種類は同じだけど、極端に規模が大きいという感じだったので、怨念じゃないのかもとは思ったのですが、説明を読んだのと平一門の運命を考え合わせて勝手に怨念なのかと思っちゃったんですね。でもターニャさんのわかりやすい説明で非常に納得できたし、安心したし、
感動しました。

で、この曼荼羅から出てるパワーってカタログの写真からも感じるんですよ。もちろんすごい弱まってはいますが。一体全体、印刷物からも出るもんなんでしょうかね。このブログを書くために、ウェブサイトも見ましたがウェブサイトの曼荼羅の画像からも同じようなものを感じるんですが、そんなことってあ
るんでしょうか。そんな複製物から万が一出てるとしたら、本物のすごさは推して知るべしでょう。ふぃー。

後編へ続く
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/725

インド哲学

なんか今まで全然知らなかったけど、インド哲学って結構いい感じ。ほかの宗教に比べて表現が自然な雰囲気がします。他の宗教は字面だけ追うと全然違う世界に見えてしまうから。かなり真実に近い形をわかりやすい言葉で書いている気がする。キリスト教とかだと聖母マリアとかになっちゃうから、本当の姿がわかりにくい。

青山圭秀の「アガスティアの葉」

青山圭秀氏の「アガスティアの葉」を読み始めました。

私は木村剛に会いたいと思って、会えるものなんだろうか、でも、木村剛の会社は自分の勤め先から2kmも離れていないのかも、だからそんなに会うのは大変じゃないのかもと思い始めてから結局2ヶ月前後でご本人の顔を拝めるようになった。 http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/266参照

それで、この調子で行けば会いたいなーって思った人には結構会えるもんなんだなあっていう事が分かったんです。

で青山圭秀さんにも私は会いたいんだなーと思いました。 http://www.lightfield.co.jp/aoyama/ どうも公式サイトがあるらしい。 青山さんと一緒にルルドとかモン・サン・ミシェルに行くツアーとかやってるらしい。 楽しそー。

そう言えば、フランスにも結構聖地はあるんだったよねえ。そういう観点で余り見たことはなかったけれど。

  


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