2002年09月

スコーンをつくる

今日はスコーンをチーズ味とプレーン味で2回焼いておく。スコーンは小腹が空いたときに食べるのに便利。あとは先週食べ損ねたシフォンケーキをもう一回作る。

味は悪くなかったが、卵白をグラニュー糖を入れて攪拌してふくらませるメレンゲづくりで、最後力尽きて十分に膨らまないうちに作ってしまったのが原因でいまいちふわふわ感が足りなかった。やはり、電動の泡立て器を買った方がいいかも。

料理を作るときはテレビをつけっぱなしで作る事が多いが、休日の昼間はチャンネルのどれかでは絶対料理関連の番組をやっている。そこで、なぜか料理番組をつけて料理をする事が多い。お寿司のおいしいお店巡りの番組を見ながらお菓子作ったりとか、よく分からない。(笑) お寿司を食べた気になった上にお菓子ができあがっているというお徳感がいいのかも。

母親曰くテレビつけながら料理してるなんて、まだ余裕がある証拠だ、と。そりゃそうだ、限られた時間で何品も料理を作らなくてはいけなかったらそんな事は無理でしょう。今日は、日本のお菓子ベスト100のような番組をいつまでも出来上がらないメレンゲをシャコシャコ混ぜながら見ていた。

デパ地下や有名菓子店のおいしいお菓子が色々登場し、作るところも撮影されているのですがやはり混ぜる工程はすべて機械のようですね。家庭と違ってある一定の量作るんだから、当然だろう。つくづく思うけどあの混ぜる機械は良くできてますね。単にかき回すのではなく、粉が均一に混ざるように下からすくい上げて回すような動きをしていて、ボールの端の方に粉が混ざらないで残ったりしないようにできている。あーー、それはそれは立派な機械。

私が欲しいのは手持ちで電池か何か分からないけど、小さな泡立て器が二つくらいついていてチュルチュルチュルと回るあれである。が、買ったけどやっぱりお菓子づくりに飽きちゃったので、1回しか使わなくてお蔵入りということにならないか心配なので、もう少し様子を見よう。(前科あり。ローラーブレード。あー、なんであの時買ってしまったのだろう。)

そのあと、夕飯の一品でタイ風ビーフンみたいなのを作る。タイ料理で一番典型的な麺料理です。ほんとは、このあとさらに先週作れなかった大根餅を作ろうかと思ったが、もう疲れたから、また次回にしよう。しかし、全然西洋料理を作りたいと思わなくなってしまった。辛いのは食べたいけど、こってりしたものはそんなに食べたくないなあ。やはり寄る年波には勝てないのか。

結局昼前に起きてから夕飯を食べ終わるまでなんだかんだとずーっと台所で過ごしてしまった。こんなことでいいのだろうか・・・

お料理お料理

今日はベトナムのフォーという麺を使った料理と生春巻きを作る。

別に素材に和食では余り使わないような物を使うくらいで、料理としては凝った物ではない。私は一回生春巻きをお腹いっぱい食べてみたかったので、たくさん作って、たくさん食べた。とても満足した。春巻きの皮はタイ製は分厚いし、中国のは生春巻きにはできない(ライスペーパーではなく小麦粉でできたものなので)、理想はベトナム製と言うことだったので、頑張ってベトナム製を買ってきたのだが、本当に薄くて、繊細ないい春巻きができた。

先週、週末に料理をしようと思って、何冊か料理本を買った。中華の料理本も一冊買ったのだが、選ぶポイントは大根餅の作り方が載っている本だった。中華だけで選ぼうとすると、死ぬほど沢山の本が出ていて選べないのである。しかし、大根餅が載っている本は一冊だけだったので、迷わずにその本を買った。そう、大根餅がどうしても食べたかったのである。

買ってからその本を一通り、読んで(見て?)みたのだが、驚いたことに北京ダックの作り方まで載っていた。プロ向けの本ならまだ分かりますが、、、、北京ダックって家庭で作れるとは知らなかった。いや、とてもやる気がないと無理だとは思うが・・・

その本には中華まんの作り方なども載っていたので、気が向いたらチャレンジしたいと思っている。先週、本屋の料理本のコーナーに立ってしみじみと思ったのは、日本ほど色々な料理法で食事をしている国はないんじゃないかな、と言うこと。外食だけだったらたぶんニューヨークなどはかなりバラエティに富んでいるのかもしれない。しかし、家庭で作る料理では日本では最低でも和・中華・洋食の3種類は日常的に料理する。そして、和食でも本当に様々な種類がある。お寿司から、煮物から、酒の肴から麺類から数限りない種類の料理本が出版されている。この豊かな食生活を営めることの幸せをしみじみと感じる。さて、そのうち蒸籠(せいろ)を買いに行こう。やはり合羽橋あたりまで行かないとないのかしら。安いといいなあ。

水餃子

昨日こねてねかせておいた生地で水餃子を作る。
生地の出来は悪くなかったけど、丸く生地を伸ばす方法をちゃんとマスターしないとスピードが遅くてしょうがない。たくさん食べたかったら、あんなにのろのろやっていたら、死んじゃうわ。でも、何もお手本がなかったので見よう見まね。

うまく丸い皮を作るコツっぽいことが本には書いてあるけど、書いてあるのを読んだくらいでできるなら、苦労しないのである。夜は友達と飲みに出かける事になっていたので、それまでにスコーンとシフォンケーキを焼いておく。シフォンケーキが焼き上がって冷ますところで時間切れになってそのあとのことを親に任せて外出。

帰宅したときは、どんな味にできてるかな(なにしろそんなもの生まれて初めて作るので)、と楽しみにして帰ってきたら、おいしかったので週末に実家に帰ってきていた弟に持たせてしまったという。と言うわけで、ひとかけらもありつけずに幻のシフォンケーキとなってしまった。ちょっと悲しい。まあ、また作れるんだから、と自分を慰めながら。

アメ横エスニックツアー

急に料理に目覚めてしまったのである。
と言うか、今までは本当にやらなさすぎであった。

と言うか、ずっと実家にいて家族の料理する物を食べていたので、たまには自分が食べたいものを食べたいと思ったのである。(いや、家の料理はおいしいです。もちろん)

一人暮らしの時はそれなりにエンジョイしていたが、親元に戻った途端ほとんどやらなくなって幾年月が経ってしまっていた。絵を描くのと一緒で料理もやらなければどんどん腕がなまっていくのである。

とはいえ、家では基本的に祖母の食事の世話をする母親が料理をするので、私が料理をするとしても道楽料理になってしまう。と言うわけで、お菓子づくりとかエスニック料理とか、ちょっと手の込んだ料理とかそんなことを始めたのだった。私は、お菓子づくりも甘い物を本的に食べないので、作ってもたくさん食べるわけではない。糖尿病の心配がある両親がそれをたくさん食べる羽目になるのもちょっとまずいかな、と思いながら・・・
ところで、エスニック料理の素材を今日は買いに行った。

買ったばかりのベトナム料理の本の巻末に食材が手に入れられるお店リストが載っていて、紀伊国屋とか明治屋とか山の手の方のブルジョワなスーパーの名前がずらりと並ぶ中に、アメ横のセンタービルというのが唯一1店舗あったのでそこに行くことにした。なんか、同じ食材を買うにしても紀伊国屋やデパ地下などより安そうな雰囲気ではないか。

久しぶりに、アメ横に到着してアメ横センタービルに向かった。外国人の観光客やら買い物客やらにもみくちゃにされながら進んでいくと、センタービルまで行く途中に中国食材店が一軒あったので、そこにも寄ってみた。中国料理店の人しか買わないような(に私には見える)マニアックな中国の調味料を初めとして、ピータンや加工豆腐類、ビーフンなどなど。素晴らしい!こんな食材が手にはいるなんて!と思い、色々物色し始めたが、なんか気がついて周りを見ると、その店舗って店員さんもお客さんも全員日本人じゃないんですよね。そうか、、、デパ地下でエスニック素材を並べるのと違ってこういうお店は日本に住む中国系の人たちのお店だったんですね。

そのお店で調味料などを買って、センタービルに向かう。その地下一階にワンダーゾーンが広がっていたのである。。。東京に住んで長いけれど、こんなところがあるなんて全く今の今まで知らなかった。センタービルの中も何回か行ったことはあるけれど、全く気づかなかった。地下一階のフロアのほとんどがアジア系の食材屋さんなのである。足を踏み入れた途端、その独特のにおいと飛び交う異国の言葉に、アジアのどこかの市場に迷い込んでしまったのかと思った。肉屋、魚屋、乾物屋、何でもそろっている。

お肉も豚足が山盛りになっていて、中国系の奥さんが普通に買っている。そうなんだ、あれはごく一般の家庭料理の素材なのだ。とにかく、ここも店員さんもお客さんにもほとんど日本人はいない。料金交渉(?)や店員とお客の様々な会話も外国語で行われている。しかも、どう聞いても中国語じゃなさそう。あそこの人たちは一体何語で話しているんだろう。まあ、とにもかくにも、外国に行かずに外国に行った気分になれる都内でも有数の場所ではないかと思う。六本木は外国に行った感じというのとはちょっと違うよね。本当に外人がいっぱいいるというだけで。しかし、センタービルの地下はなかなか迫力あります。アジアの雰囲気に慣れていない人はこわくて入れないかも。

一つだけ納得行かなかったのが、タイ米が1kg500円が相場だったこと。それって、ちょっと高くない?その昔お米が足りなくなりそうになって、タイ米を大騒ぎして輸入したときはそんな値段じゃなかった気がする。いつのまにそんなに高くなったのだ>タイ米
それとも、どこか安く買える場所があるのだろうか。買い物では無事お目当ての物は買えた。そして、帰宅してから作ったのはスコーンと水餃子の皮。

オカマにとって住みやすい国はどこ?

テレビで明石家さんまが司会をしている、なんとか大走査線という番組を見ていた。

これは、視聴者から寄せられた、こんな噂を聞いたんだけど、ほんと?捜査して、というのに応えて番組のADだかディレクターだかが、捜査しに世界中に行く、というもの。
昨日は37歳のオカマの人からの依頼で、「37年間オカマで辛い思いをしてきました。どこかにオカマ天国ってないでしょうか。」というもの。

出演者達は「なんだよ、オカマ天国って!」と言って、大爆笑していたけど、その人の気分を想像したら、本当に大変だろうなと思う。だって、自分の価値観と、自分の住んでいる環境の価値観が全く違うまま、その環境の中にずっといる事を余儀なくされているのである。きっと自分のことをある程度理解してくれる人を探すのも、普通の人に比べたら大変だろう。いや、日本だってオカマは認知されてるし、そういう人がたくさん集まる場所だってあるじゃない、と言うかもしれない。オカマバーがあるじゃない、と思うけど、人にはいろいろな個性があるように、オカマにだっていろいろな個性があるだろうし、全員が全員水商売に向いている性格とは限らないだろう。学究肌のオカマもいるだろうし、主婦向きのオカマだっているだろうし、オカマという時点でもし、職業選択の自由がかなり制限されてしまうとしたら、それは結構大変なことだろう。仮に普通の職業に就けたとしても、働いている間は自分がオカマであることを隠して男性として働かなければならないだろうから、その心理的負担も大きいだろう。

最初、オカマ天国を探せと言うことで、私なりに考えたのは同性愛者も婚姻届が出せるオランダとか、ゲイがたくさん住んでいるというアメリカ西海岸とか。そしたら、番組では意外なことにミャンマーにそういうところがある、と言って探しに行くのである。

でも、よく考えたら、ゲイとオカマって違うのね。ゲイは同性が好きな人で、オカマは遺伝子は男なんだけど、精神は女って言う人のことだもんね。だから、オカマの人が男を好き、と言う場合は同性愛ではないわけね。そして、もしオカマでゲイの人がいたら、その人は女が好きなのか。うーん、ややこしい。で、取材をしていくとミャンマーではオカマの人が普通の職業に就けて暮らしている。そして、そのことを隠してその職業に就いているのではなく、周囲の人も知っている。番組で紹介されていたのは、幼稚園の先生や会社の受付をしている人、モデルをしている人などなど。幼稚園の園児達も自分の先生がオカマだと言うことを知っていて、すごく優しくて素敵だから僕も将来オカマになりたい!なんて行っている子もいた。

オカマの霊媒師などもいて、オカマの場合は男の霊も女の霊も呼べると言われていて、普通の霊媒師よりありがたがられるのだという。また、ミャンマーという国は別に差別されないのはオカマだけでなく、どんな人も平等に生きていける社会なんだそう。ミャンマーと言えば、アウン・サン・スーチーとかビルマの竪琴以上の知識はなかったので非常に驚いた。

まあ、番組で得た知識以上のものがないので憶測で書いてしまうけど、本当に平等に暮らしているなら男女も平等だし、障害者も普通に生きられるし、どこそこの出身だから、とか、生まれがどういう家柄だとか、そういうのは全くないと言うことになる。ここでは、平等であることによって与えられる自由は計り知れないと思う。

世界中の国がこんな風になったら、戦争もなくなるだろうになあ。
平等を阻むものは差別と偏見だし、平等になると自由も増える。意外と、これが世界の生き残れるいい方法なのでは?と思った。というのは、もう、物をたくさん作ったり、たくさん売らないとみんなが幸せになれないと言う方法は限界があるだろう。あたかも競争に勝たないと幸せが手に入れられないかのような場所で歯を食いしばって強壮に勝ち残ろうとして、いつのまにかストレスを溜めて生きるより、ずっとかんたんにみんなが幸せになれるのではないか。

とはいえ、やっぱり、南の国だからある程度働かなくても食べ物がそこらへんにいっぱい生えてる国だから、そんなにあくせくしない価値観でいられるのかな・・・ミャンマーの話でいろいろと考えてしまったのでした。
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