パパラギの本を読んで以来色々考えている。
結局現代社会が成り立つ過程に存在したのはより文明を持つ民族が、そうでない民族を征服して行ったという歴史である。アイヌしかり、インカ帝国しかり、アボリジニーしかり、インディアンしかり。
先住民族と呼ばれるものは、文明化された民族に対して遙かに地球の環境にダメージを与えないライフスタイルだった。
文明化されてしまった人間達にも歴史を遡れば、今よりずっとずっと地球に優しい生き方をしていた時代があるはずである。日本で言えば、縄文時代、弥生時代からまあ極端な話江戸時代までは日本のきれいな自然が残っていた。日本の土着の世界観は八百万の神で自然を敬うものだったので、甚だしい自然破壊までは至らなかった。
自然を克服するべきものとして捉えた西洋の自然科学が発達してからは、自然は天然資源として利用され始め、地球への本格的なダメージが始まった。とはいえ、西洋人でも地球に優しい生き方をしていた時代があるはずである。魔女狩りや錬金術なんかが流行っていた中世なんかはまだ地球を破壊している感じはない。一体歴史上のどこが分岐点だったのか。
まあ、やはり工業が始まって大量生産が始まってからでしょうね・・・本格的な地球破壊は。それまでは、人手で生産する限りはたかがしれている。なぜ工業生産が必要になったのか、それは効率を上げるためですね。効率を追求すれば人々は働かなくてもものが手にできると考えたのだろう。ま、それはそうですね。
洗濯機があれば、洋服を洗濯する手間がだいぶ省ける。その空いた時間で何か他のことができるかもしれない。ところが、オーストラリアのアボリジニーの話。アボリジニーは狩猟民族なのですが、以下*の場合、労働時間は1日に10分なんです。それ以外の時間は洞窟に絵を描いたり、歌を歌ったりして暮らす。おお~。月に50時間残業している人がごろごろしている私の部署と比べたらなんというライフスタイルの違いだろう・・・。
*あるアボリジニのグループは、大人3~4人で、毎日50羽あまりのマグパイガチョウを捕ってくるといいますが、これは一人一羽に足りる量です。驚くことに、この作業に費やされる時間はなんと約10分だそうで、 残りの時間は宗教やドリーミングの伝授、壁画の制作などに回されるといいます。この様な時間配分はオーストラリアのアボリジニに限ったことではなく、 狩猟民族として存続しているアフリカのブッシュマンの労働時間も、週に約19時間だそうです。(http://eco.goo.ne.jp/australia/files/aborigine/2.htmlより引用)
文明は進んだけど、労働時間は遙かに増えた?私がなぜパパラギとか文明社会が地球を破壊する事がすごく気になっているかというと、文明が進めば進むほど人間が元来あった姿からかけ離れていく、それが嫌だなあ、と思っているのだと思う。
というのは、人々は頭脳労働が増えて、身体が退化していく。どんどん貧弱でひ弱な肉体になっていく。ひ弱な肉体を守るためにどんどん医療を発達させたり、体を守る服や道具が増えていく。萩尾望都のマンガでそういう方向に人間がどんどん進化していって、頭がどんどん大きくなって、肉体を必要としなくなって、精神体とでもいうようなものだけが残った世界の話があった。もし文明が進んだ結果がそれだとしたら、なんかいやだなあ。
たぶん、自分が余りにも頭だけ今までで生きてきてしまって、その事に無意識的に反発しようとしているような気もするんです。かといって、自然に憧れて、自然の中の生活をしても、いまいち虫とかに慣れてなくて、ぎゃーーってなってすごすごと都会へ戻ってくる可能性も大。(沖縄で経験済み)
さて、どうするか。
結局現代社会が成り立つ過程に存在したのはより文明を持つ民族が、そうでない民族を征服して行ったという歴史である。アイヌしかり、インカ帝国しかり、アボリジニーしかり、インディアンしかり。
先住民族と呼ばれるものは、文明化された民族に対して遙かに地球の環境にダメージを与えないライフスタイルだった。
文明化されてしまった人間達にも歴史を遡れば、今よりずっとずっと地球に優しい生き方をしていた時代があるはずである。日本で言えば、縄文時代、弥生時代からまあ極端な話江戸時代までは日本のきれいな自然が残っていた。日本の土着の世界観は八百万の神で自然を敬うものだったので、甚だしい自然破壊までは至らなかった。
自然を克服するべきものとして捉えた西洋の自然科学が発達してからは、自然は天然資源として利用され始め、地球への本格的なダメージが始まった。とはいえ、西洋人でも地球に優しい生き方をしていた時代があるはずである。魔女狩りや錬金術なんかが流行っていた中世なんかはまだ地球を破壊している感じはない。一体歴史上のどこが分岐点だったのか。
まあ、やはり工業が始まって大量生産が始まってからでしょうね・・・本格的な地球破壊は。それまでは、人手で生産する限りはたかがしれている。なぜ工業生産が必要になったのか、それは効率を上げるためですね。効率を追求すれば人々は働かなくてもものが手にできると考えたのだろう。ま、それはそうですね。
洗濯機があれば、洋服を洗濯する手間がだいぶ省ける。その空いた時間で何か他のことができるかもしれない。ところが、オーストラリアのアボリジニーの話。アボリジニーは狩猟民族なのですが、以下*の場合、労働時間は1日に10分なんです。それ以外の時間は洞窟に絵を描いたり、歌を歌ったりして暮らす。おお~。月に50時間残業している人がごろごろしている私の部署と比べたらなんというライフスタイルの違いだろう・・・。
*あるアボリジニのグループは、大人3~4人で、毎日50羽あまりのマグパイガチョウを捕ってくるといいますが、これは一人一羽に足りる量です。驚くことに、この作業に費やされる時間はなんと約10分だそうで、 残りの時間は宗教やドリーミングの伝授、壁画の制作などに回されるといいます。この様な時間配分はオーストラリアのアボリジニに限ったことではなく、 狩猟民族として存続しているアフリカのブッシュマンの労働時間も、週に約19時間だそうです。(http://eco.goo.ne.jp/australia/files/aborigine/2.htmlより引用)
文明は進んだけど、労働時間は遙かに増えた?私がなぜパパラギとか文明社会が地球を破壊する事がすごく気になっているかというと、文明が進めば進むほど人間が元来あった姿からかけ離れていく、それが嫌だなあ、と思っているのだと思う。
というのは、人々は頭脳労働が増えて、身体が退化していく。どんどん貧弱でひ弱な肉体になっていく。ひ弱な肉体を守るためにどんどん医療を発達させたり、体を守る服や道具が増えていく。萩尾望都のマンガでそういう方向に人間がどんどん進化していって、頭がどんどん大きくなって、肉体を必要としなくなって、精神体とでもいうようなものだけが残った世界の話があった。もし文明が進んだ結果がそれだとしたら、なんかいやだなあ。
たぶん、自分が余りにも頭だけ今までで生きてきてしまって、その事に無意識的に反発しようとしているような気もするんです。かといって、自然に憧れて、自然の中の生活をしても、いまいち虫とかに慣れてなくて、ぎゃーーってなってすごすごと都会へ戻ってくる可能性も大。(沖縄で経験済み)
さて、どうするか。