2003年12月

東京でテロをしたら

たけしのTVタックルを久しぶりに見てしまった。東京でテロが起こる場合はどんな風になるかと言うことをやっていた。テロリストにとっては国会議事堂や首相官邸など政治的中枢をやるのはそれほど意味がないんだという。それよりは人混みなどの方が効果が甚大なのだという。要するに繁華街。そして、手段としては車に爆弾積んで爆発させるのが技術的には一番簡単らしい。

と言うことはですよ、渋谷とか新宿とかっていうところが狙われるって事なんですかね。六本木なども危なそう。停まっている車っていったらそれこそそこらじゅうにあるわけで、繁華街に行かないようにするしか自衛手段がないってことか。まだテポドンの方が防ぎようがあるんだろうなあ。

2003/12/17 追記
Kさんから以下の情報をいただきました。
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ニューズウィーク日本版で「アルカイダ東京テロの現実味」という記事が出ました。見逃していましたらネットで発売日より1週間後から見れますのご覧下さい。(もう見れます!)http://www.nwj.ne.jp/ の左端の 「先週号を読む」をクリックすると先週号2003・12・10号の画面が出ます。その中から 赤文字の「テロ組織」をクリックすると読むことが出来ます。
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これによると、一番危ないのはイスラム圏にある日本系の場所だそうです。大使館とかそういうところ。やっぱり日本まではるばる来てやるよりは難易度は下がりますよね。。。あと気がついたところでは「多くの日本人は、テロリストが自分たちに関心をもつとは思っていない。国際政治の舞台で脇役でいることを望む国民性と、国内にイスラム教徒が少ないためだ。」と言うことです。これは、たぶん私も心のどこかで思っていたと思う。さすが外国紙、客観的に書きますね。でも、テロの可能性がある限りやっぱり怖いですね。

満足なお買い物

今日は洋服を買いに原宿に。新宿のルミネで見つけたブランドの本店に行ってみる。今日は快晴で日曜日の午後で陽気も暖かくてとても良い日でした。そして、良いお買い物もできました。これは!と思ったものが安売りの対象になっていて、かなりお得にゲットできました。最近は思うけど、昔はそんなに原宿とかに来なかったが、よく考えると同じ金額を出すなら内容の良いものが買えるので、どうせ都内に住んでいるなら近場で済ませたりせずここまで来ることには意味があるなあと思った。次回はもうちょっとラ・フォーレをまじめに見てみたいと思います。

ちょっとばかし痩せたのがお買い物がかなり楽しくなっている原因。別にすごく痩せた訳じゃないけど、気分の問題。でも、ちょっと痩せてみて思ったけど痩せた自分も何か心許ないね。ただやせ細るのも私の本意ではない。まあ、体重よりはやはり内容なんだろうね。だから40キロ台まで落としてみようかなと思ったけど、変に胸とかが減ってもイヤだなあと思ってやめた。

そういえば、現代舞踏やっている私の友達は身長は私と(たぶん)同じ162cmだけど体重は 53kgって言ってた。彼女はとてもすらっとしている。もちろん二の腕なんてとてもきれい。無駄な脂肪はついてなくて、筋肉なんだろう。ともかくもきれいな体になるのは楽しいですよ。いろいろ大変なことがある世の中で、こんなことにうつつを抜かしていられるって言うのは幸せなんだろうなあ。

そうそう、店員さんに教えてもらった耳寄り情報。やはり洋服の買い物は土日がいいそうです。だいたいこの業界は在庫が入荷するのが金曜の夜とからしくて、土日が一番ものがそろっているそうです。そのほかいろいろ安売りなどのイベントも土日に開催されることが多い。私の今の身分では平日の昼間に買い物できるんだぜへへーーん、と思っていたけど土日の方がよいらしいです。みなさま参考にしてくださいませ。

明日だと思っていた飲み会が実は今日だったと言うことに気づいた。しかも予約もばっちり入れていたやつなので幹事さんに迷惑がかかってしまっただろう。すごい楽しみにしていたのに。ショックで立ち直れない。。。

中国女(La chinoise)

「小津安二郎生誕100周年」の巻 だそうです。今日は。なんでも60歳の誕生日に亡くなったそうです。きっちり還暦+1日の人生っていうのも珍しいのではないか。
小津の言葉ーー
「なんでもないことは流行に従う。
  重大なことは道徳に従う。 
   芸術のことは自分に従う。」 すごく印象的。大切なところは外していないし、必要なところは現実的。
http://www.ozu100.jp/

午前3時。目が覚めてしまって眠れなかったので、映画を見る。ゴダールの「中国女(La chinoise)」1967年、フランス。何か中国人が出てくるフランス人的にエキゾチックを描いている映画なのかと思いきや中国人は一人も出てこず、要するに日本で言えば70年代の学生運動のフランス版といった映画。フランスでは翌年の1968年には5月革命が起こるので本当に時代の空気を映した映画。

でも、服装とか画面の色彩とか登場人物の理屈のこね方とか愛情の示し方とかとにかくとにかくどこまでもフランス的。高校生の頃そんな映画をたくさん見て、フランスとは本当にこんな国なのだろうか、何か夢のような気がすると思っていたが、今現在で思うことはやっぱりそんな国だったなあと言うこと。友達もいるし、飛行機で12時間すれば現実の世界なのだけど、やはり今でもどこか夢のような気がする。

悲情城市

なんだか映画感想欄と化している今日この頃。今日はホウ・シャオシェンの「悲情城市」、 1989年、台湾。私は子供の頃にキョンシー映画を一生懸命見て以来実は台湾映画は初めてという事に気づいた。香港映画や中国映画は一生懸命見てチャン・イーモーとかチェン・カイコーなどの映画では自分の見た映画でベスト10に入るのはこれとこれじゃないか、とか思い入れがあるのにも関わらず。

おそらく台湾語が馴染みがないので余り見る気がしなかったのかも知れない。トニー・レオンは本当によい俳優でこの映画では耳の聞こえない優しい青年を演じている。トニー・レオンほど男の悲哀とか優しさを表現するのに似合う俳優はいないとは思うのですが、このソフト路線の役どころは今でも変わらない。ウォン・カーワイの「欲望の翼」が調べてみたら1990年なのでもうこの頃からこの路線で定着してしまったのだろうか。何か新しい役どころへと打破してほしいかなあ。

ホウ・シャオシェンは、実は小津安二郎を敬愛していていま日本で映画を撮影中という記事を新聞で読んでしまったので、変な先入観が入ってしまったのですが、なんとなく人を描く距離感とか生活を描きながらドラマを描く描写の仕方は小津安二郎の雰囲気があるのかなあ、と思った。情感が登場人物の演技だけじゃなくて、その辺にさりげなく置かれたものも全て包み込んだ情感。

あれだけ香港・中国に入れ込んでいたにも関わらず、台湾については今まで何も知らなかったので、風物、文化、歴史とも全てが新しかった。なにしろキョンシーしか知らなかったし。やっぱり同じ漢民族といってもだいぶ違うんですね。その辺は書き出すと長くなりそうなので、また後日。

ところで、タルコフスキーの映画は最近友達がしきりに話していたので、久しぶりに見たというのはある。そして彼女がタルコフスキーの映画を見て思った事をメールにしてくれたのだが、それを読むとなんてすばらしい事を彼女は感じていて、どうしてこんな風に言葉にできるんだろうと思う。私はタルコフスキーの画面を快いと感じて、その感性を感じるために映画を見ているところがあるが、彼女のようにそれを言葉で表現できないと感じる。でも、文章自体は質を問わなければそんなに苦労せずに書ける。

私にとって文章を書くというのは感性よりは思考・理論とリンクしているのかな、と感じた。言葉にできないところは全部絵にしてるって事なのかな。だから私は詩が書けない(書こうとは思わないが)。感性の表現手段として言葉を選べないと言う事なのかしら。だから映画の感想もなんとなくデータっぽい話ばっかりになってしまうのよ。

2003/12/9 追記 ホウ・シャオシェンの映画は初めてではなかった。「戯夢人生」は公開時に見ていた。良い映画だという記憶はありますが、あの頃は台湾語とか全く知らずに見ていた時代でした。

僕の村は戦場だった

タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」を見る。1962年、ソ連。タルコフスキーの長編第一作らしいです。私は彼の全8作品のうちこれは見ていなかった。「アンドレイ・ルビリョフ」と「ローラとバイオリン」という初期の二作品以外は全部見たことになる。残りもおいおい見よう。やっぱりタルコフスキーの映画はインスピレーションを得るのに必要。

この監督の素晴らしさはたくさんの人が多くの言葉を尽くして語っているけれど、本当に言葉にしきれない。個人的にはロシアという風土がもたらす得体の知れない温度感とか湿度感とか、登場人物たちの得体の知れない質感だとか、そういうのも魅力だし、あとは廃墟感でしょうか。思春期の頃はタルコフスキーの映画見て廃墟に憧れてましたね。こんな軽っちい言葉でむやみに語ってはいけない神聖な映画たちです。

今考えるとあれだけ見たフランス映画の中の質感を確かめたくてフランスへ行ったようなところはある。タルコフスキー映画の質感を確かめにいつかロシアにいくことがあるのだろうか。

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