2004年04月

トランスパーソナル心理学!?

最近私がここに書き連ねていることに、心理学的な裏づけをしたコメントをたくさん書いていただいて非常に私も勉強になったのです。で、それって、私は気だとかパワーだとか言ってるけど、既にユングは心理学的に解明していたのか、それとも、根は同じ何かを表現が違う考えで表すと「気」になったり「認知心理学」になったりするのかな、と思ったりしました。

で、私が魂が云々って書いていたら「トランスパーソナル心理学」というぶっとんだ学問があるというのを教えていただきました。概要は

 マインド ・・・・頂上体験、至高体験を意味する。
 ソウル  ・・・・集合無意識(社会を超えた人類共通の無意識)
 スピリッツ・・・・仏教の「空」です。

 空の思想・・・・・この世はすべて仮想現実と考えています。

こんな感じだそうです。
この世は全て仮想現実ってちょっとマトリックスチックだし、それが本当だったら、えーー、じゃあ、私が今ここに書いたりしてることとか、今日のお昼食べたオムレツも全部仮想現実なわけーーー???となるので、ちょっとびっくりなのですが、唯一「ソウル――集合無意識(社会を超えた人類共通の無意識)」っていうのはもしかしたらなんかわかるような気がしました。

というのはですね、その能の舞台を見ていて思ったのですが、「いやー、俺はお能なんてさっぱりわからなくて」という人はさておき、直感で感じた良いもの悪いものというのはお能に関してどの程度知識があるかっていうのは余り関係ないんですよね。で、お能をやっている同僚のOさんと、フランス人のMちゃんと、私が同じ舞台を見て、「2番目の人と最後に舞った人が一番うまかった」とかって思うわけです。で、その意見はある程度見る目が出来ていれば、能の舞台が初めてだろうが、かなり精通していようが同じものに収束していく可能性が高いです。(オペラで解釈の仕方で賛否両論などとはまた別の次元の話です。)

そうすると、私たち3人は職業も違う、見た目も違う、年齢も性格も違うけど、ものを見る目がある程度できていると、もしかして感じるというか評価する軸は同じところに落ち着くとする。それは直感を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、感じる結果が同じだとします。そうすると、3人が持っている魂の根本は同じ?という話になってきます。そういう風に考えるとトランスパーソナル心理学の「ソウル――集合無意識(社会を超えた人類共通の無意識)」っていうのがなんかわかるような気がしてしまうのです。人類共通の無意識ってところがなんかひっかかりますが、これはまあ表現のあやとしておきましょう。でも、心の奥底で3人が共通したものを持っているとすれば、これは人類共通の意識と言ってもいいのかなあ、などと思ったのですよね。

だから魂は同じものを持っているのだけど、現実世界での存在のあり方が違っているだけ、とかそういう事が言えるのかもしれないと思ったのです。
うーむ、はまりすぎですかねーー。でも、身の回りにこれだけ私の話を聞いてくれるというか、共感してくれる人がいるんだから、何かしら本当だとは思うんですけどねーー

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borgさんよりコメント

人類の心の基本構造は、全て同じです。これは70-80年代に調査が終わっています。

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なるほどーー。そうなんですか。じゃあ、ちょっとトランスパーソナル心理学の本でも読んでみた方がいいのだろうか。しかし、突然仏教の「空」って言われてもびっくりだけど。でも、今の私には生き延びるためには必要かも・・・

【関連記事】
2004年04月26日(月) お能と気について
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/667

お能と気について

舞台からものすごい気が発されている

職場の同僚が宝生流のお能を習っていて、土曜日は何か関係者の発表の舞台があるというので、見に行ってきました。プロの人はお囃子とか謡の人で、能を舞う人はお弟子さんみたいな方々だったので、料金は無料でした。

お能の舞台は本当に学生時代に一回見たきりだったので、とても新鮮でした。

で、見に行って何が一番すごかったかというと、どの人の舞がうまくて、どの人はそうでもないっていうのは、昔は視覚で判断していたんですよ。しかし、最近は気のようなものを感じるようになってしまって、そっちが先に来てしまうんです。

要は、上手な舞を舞う人はすごい集中力というか気を舞台から発しているんです。それの強弱がめちゃくちゃわかるようになってしまったんです。で、余り上手じゃない人だと、お囃子の人はプロでうまいので、そっちが発する気にかき消されてしまいます。

で、お囃子の人もすごい気を発しているのですが、特に小鼓を打っている人が本当にすごい気を発していて、自分のところにびんびん来るんです。で、体の中にびんびん入ってくる。また、それを受け止め続けていると、消耗して最後の方はかなり疲れていました。集中して舞台を見るエネルギーが残っていないって感じです。だから、最近は生の舞台を見に行くのも要注意だな、と思いました。

で、この話をその同僚の子にするとやはり彼女も気をある程度は感じていて、舞台を集中して見た後はすごい疲れると言っていました。その話を現代舞踏をやっているほかの友達にしたら、やはり気というかエネルギーを感じるから舞台を集中してみるのはエネルギーを使うと言っていました。

東大構内で気が強いところ

宝生能楽堂に行く前に、みんなで東大の赤門前で待ち合わせをしたのですが、ちょっと時間があったので大学構内を散歩してみました。どこに強い気があるかなーなんて思ってふらふら彷徨ってみました。気を感じたのは古い校舎(何学部だかは忘れた)全体からと、噴水があるポイントがあって、それに面した建物のファサードにレリーフのようなものが彫り込んであります。で、噴水の両側に大きな木が2本あるのですが、ここの空間に強い気を感じました。特に2本の木がきっと良いパワーを発しているのではないかな、と思いました。友達に聞いたら、それは大学図書館の前の広場だそうでした。

っていうか、そういう建物とか木から発されるエネルギーを感じてしまうんだから、舞台の上で人がわざわざ発しているエネルギーはいまや私には非常に強い気なのであります。消耗しますよ。ほんと。かめはめ波なんてやっぱり何度も出せる代物じゃないとつくづく思いますよ。

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で、また解説をborgさんからいただきました。

東大構内に気が強いところ、そんなに有りましたっけ??
赤門など古い建物は、表象(歴史的意味やイメージ)が湧き上がるので確かに気はあると感じますが、図書館前 うーん。

 今度行ったら確かめてみよう・・。

 でも能や楽器演奏はそうですね。俳優の演技も何か人生が滲み出てくるものがあれば、気を感じます。でも菊川玲ちゃんはどうかな・・??(笑)
2004年04月26日
16:29

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ええ、あの二本の木がすごいんじゃないかなーと思います。

歴史的な建物に木を感じるのが表象によるものですか。なるほど。赤門も確かにそれなりの重みはありましたね。でも、構内の建物の方がより感じました。これも表象のせいなのでしょうかね。

【関連記事】
2004年04月26日(月) トランスパーソナル心理学!?
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/669


2004年06月30日(水) 楠はパワーがある?
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/797

私はもしかして元腐女子なの?

キムタケさんのブログに
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/04/post_7.html#more
2004.04.14
< 祝!日本振興銀行の免許取得と腐女子との出会い >

というのがあるのですが、
私もそれを受けて
「キムタケさんと女子高生のミラクルな邂逅」
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/636

を書いていたりしたのですが、やはり私も実はキムタケさんと同様「腐女子」っていう言葉を理解していなかったのだな、というのを色々な人のブログを読んで段々わかってきました。
私は腐女子さんとは、何かこの方の固有名詞なりハンドルネームなのだろうと思っていたのですが、どうやらそうではなさそうなのです。

で、腐女子っていうのはなんじゃらほい、と思ったのでちょっと調べてみました。
http://plaza.rakuten.co.jp/caramelneko/diary/2004-04-16/
ここに「腐女子とはなんぞや」の説明がありました。
「わり~と夢見がちな乙女が多いです。本を読んだり、マンガを読んだり、絵を描いたり、小説を書いたりしていることが多いかもしれません。」「一般に普通に会社行ったり、学校行ったりしている人の中の何割かはそうだと思います。」
だそうです。

なるほどーー。
じゃあ、私なんてかなり腐女子な確率が高いじゃないですか。(年齢はさておき。属性的には)
私も腐女子だったんですか!それは知りませんでした。
だからアメリとか見てあれをシャレと流せずに自己嫌悪に陥るような私は腐女子の要素が濃厚なんですねえ。
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/111

いえ、もう年代的にはジョシコーセーではありませんので、元腐女子とか、腐女子出身という事にしておきます。。。

でも、確かにブログのおかげで異世界間(例:金融・経営←→ジョシコーセーとかサブカルチャー)の交流が進み、そのせいでお互いがお互い未知のボキャブラリーに出会うことになり、その早期習得を迫られているという事実はあるかもしれません。
私も、「萌えー」は文字では見たことがありましたが、日常生活で言ったりできるとは知りませんでしたし、BLというのも今回初めて知りました。
そして、キムタケさんのサイトにこれから訪れるであろう新しい読者の方がかめはめ波という新しい言葉にも疎外感を感じなくて済むようにPurple Moonさんの言うように「腐女子にもわかる経済学入門」や「フツーのビジネスマンにもわかるネット用語(もしくはブログ作成)入門」が必要なのかもしれません。





私が怖いと思っていること。

同僚のOさんはとても勘のいい人です。人の言葉の端々からこの人はどんなことにこだわりを持っているか、どんなことにコンプレックスを持っているかすぐわかるそうです。まあ、これは私もだいぶわかるようになった。そして、自分が発している言葉を自分で聞いていても「あー、私はこのことに気になっているんだな」とわかることもある。(そして、我ながら恥ずかしいと冷汗をかくこともある。)

で、Oさんの見立てによると私は相当自分が女だってことを気にしているらしいんです。それは、確かにある程度自覚している。これには2つの成長過程の原因がある。小さい頃私は余り女の子らしくさせてもらえなかったという何か恨みがあるのだと思います。それを晴らしたいんだろうなと思っているのかもしれません。小学校の頃、みんなが髪の毛を伸ばしてリボンを結んだり、かわいいブラウスを着たりしている時、私は親の「勉強に差し支える」という教育方針により一切そういう楽しみが許されませんでした。かわいい洋服については経済状況などもあるのでいたし方ないとは思いますが、髪の毛を伸ばしてみたいという私の願いは高校生になるまで、聞き届けられることがありませんでした。

もう一つは常に父親から「そんなに理屈っぽい女は男に好かれないぞ」って言うのを言われ続けて育ったって事です。だから、私は心の奥では男の人の前では政治の話とか経済の話とかしちゃいけないんだ、と思っていたと思います。そんなわけないんですけどね。してもいいけど、男の人に嫌われるのは覚悟して話さないといけないんだな、とか思ってたんですよね。恐ろしい話ですが。

で、この2点に関しては私は親を恨んだりしているわけは全くありません。これは全くこちらがどう受け止めるかという主観的なものなので、親にはそんな悪意があったわけではなく、むしろ子供のためを思って勉強に集中しやすいように髪の毛や洋服に気がまわらないようにという配慮の結果であろうし、理屈っぽいというのも辺に口答えばかりする私をちゃんと育てなくてはという一心で言っていただろうとは予測がつきます。

しかし、こんなにも心の奥に影響を残すものなんだな、というのがわかって怖いな、と思いました。そのOちゃんは割りとのびのびな家庭に育ったらしく、私の言動を見ていると、いかにも「厳しいご家庭に育った」って感じがするそうです。確かに、小さい頃の私は自由に選択できるものがこの世にあるって知らなかったような気がします。

なんかだから一生懸命女らしくしなくちゃとか、思い込んでいるみたいです。女らしいって言うのがまたお洒落するとかじゃなくて、男の人には口答えしない方がいいとか、余りはっきり意見を言わない方がいいとか、そういう事みたいです。
で、私より10才下のOさんはまた言いましたが、年代的にやはり私の年代はそういう人がまだまだ多いそうです。Oさんの年代の親になると、別にそういうこだわりが余りない人も増えてくるので、育て方もまた違ってくるそうです。だからOさんにしてみると私は「結構大変そうだなあ」と思うようです。

人にもよるけど、親から「あんたは気立てはいいんだけど(顔はね・・・)」って言われ続けて育ってすごく容姿にコンプレックス持ってしまった人もいるし、「あんたは根性も顔も悪い」って言われて育って親を恨んじゃう(いやー普通はそれは恨むと思うぞ)人もいるし。親の方はそんなに深い意味で言ってないからまた大変なんですよね。なんでそんなつまんない事にいつまでもこだわってるんだ!って一笑に付されることがほとんどでしたから。

しかし、子供にとってはこれほど心の奥深くに根を下ろしてしまうものなんですね。こわいな、と思いました。私が子育てをするときはまあ、完璧にいくことはないだろうけど、こういうことは極力しないように育てたいなあと思いました。

ということで、心の無意識領域ではいつも私は女らしくない振る舞いをすると怒られるんじゃないかとびくびくしていたんですね。今でもびくびくしながら色々なことをやっちゃってます。で、今はこんなに私が変なことしても受け止めてくれる人がたくさんいるんだーと思えるようになったので、少しずつ安心して変なことを言ったりやったりするようになったんだな、と思いました。

ということで恐るべし同僚Oさんでした。

私の人の気持ちの読み方

私は先ほどのAちゃんとは違う意味の敏感さを持たざるをえない成長過程でした。私はやっぱり親の期待に応えなくちゃ、っていうのをかなりやってたみたいですね。で、理由が、親が幸せじゃないかも知れないので、それが心配で、なんとか喜ばせてあげたいという気持ちで親の期待に一生懸命応えようとしていたようです。

でも、親はそんな風に私が心配している事などつゆ知らないだろうし、自分たちが幸せじゃないかも知れないなどという疑問を持ったこともないのかも知れないので、私が子供時代に一生懸命心配していたのは割と無駄なことだったのかも知れません。ほんとーに、ただの人のいい人なんだな、って感じですが。

親に怒りを持つ人もいますが、結構心配しなくちゃいけない子供時代を送った人というのはいると思いますね。だから私の場合は顔色を見ないといけない、と言うよりは、何をしたら親は喜んで幸せになってくれるのかしらと言うのを探る意味で気持ちを読んでいたのかも知れません。
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