2004年05月

Hiroetteのブログ英仏版

を作ってみました。

http://www.blogg.org/blog.php/hiroette/1536

めんどくさいから英仏両方入れてしまいました。

まだmodificaitonもうまく出来てないけど。
少しずつ日本語版と同じ感じにしていきたい。
今までの手応えだと、国内の人の反応と海外の人の反応は殆ど同じです。
いやー、やっぱり人間って同じねって感じ。

ブログの選定のポイントは
●フランス語圏のブログサービスであること(←単にフランスにかぶれてるから)
●TB機能があるところ
●固定URLがあるところ。(マイプロフィールよりは複雑そうなURLだけど)

しかし、日本語のブログもアカウント作ってからどうしても自分のやり方と合わなくてやめちゃった所があるので、また、ここより良いところが見つかったら引っ越すかも知れませんが、とりあえずは。

あやしい英語とフランス語を書いているのですが、間違っている箇所は色々な人がご親切に教えてくれるので、だいたいなんとかなるでしょう。

そうなると、フランスの年金とかどうなっているか知りたい誘惑に駆られますが、日本のも理解し切れていないのにそんなことできるのか、っていう話もありますが、

そして、英語とフランス語でブログ書いている暇があるのかというのは本当に思いますが、かいつまんで書けるところは書ける程度に書こうと思います。

電車男さんの感想

ということで、読破しました。

これは冬のソナタ2ちゃんねるバージョン(しかもノンフィクション)って事ですよねー。
すごいなー。ほんと。

2ちゃんねるというか、ネットも色々な可能性を秘めているんですね。ネットのエネルギーがリアルの生活(人生)を変えたってことですもんね。ネットだから架空だろうということではなくなったって言う証のような気がします。

それ以上いろいろ感想を書くと私のいろいろなことがばれてしまうので、ここで終わらせておきます。(どうせ嘘つけない性格だから、赤裸々にこういうところに書くことになってもしょうがないしね。)

という、結局かなり当たり障りのない感想文になってしまいました。
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と思って「HPO:個人的な意見ココログ版」のひできさんには内輪の感想メールを送ったら割りと感触があったので、女性からの感想ということでそのうち載せてみることにします。ネタばれにならないように気をつけます。


【関連記事】
●またまたネットのパワー?
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/730

またまたネットのパワー?

おはようございます。

HPO:個人的な意見ココログ版のひできさんからこれを読んで感想を聞きたいというので、これから読みます。

http://simon.txt-nifty.com/blog/2004/05/mission1.html

昨日私もmixiで栗さんの日記で見かけてましたがそんなに話題になっていたとはしらなんだ。やじうまwatchに取り上げられたそうです。それだったら情報がまわるのは早そう。
たぶん、古式さんのもっとあったかいバージョンなのかなと予想しつつ読んでみます。

【関連記事】
「コミュニケーションと日本人の和」
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/151

【関連サイト】
「ネットウォッチ@2ch ネカマ作戦記」
http://www.sakusenki.com/

「最後の奇跡」青山圭秀著よりメモ書き

P153:『蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ』(マタイ 10・16)

P171:ところが、今世紀に入って、一つの新しい思想が登場した。そこでは、心と体は「密接に関係している」というより、「同一」と捉えられる。「別々の顕れ方をした、同一の実体」なのである。

P219:信じない人は、何がどうあっても信じません。ですが、そうした人々はまだいいのです。彼らには、彼らの世界がある。その場その場で、いま神を罵倒していたと思ったら急に賛美したくなる者こそ、始末に負えません。この人達は気分が変われば、また不平を言い始めるのです。そうして厄介なことに、私たちを含めた大部分の人間が、実はこの部類に属するのです。

血曼荼羅の衝撃-空海と高野山展より【後編】

【前編はこちら】

ターニャさんからの説明

最後にターニャさんからの説明を抜粋して掲載します。

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安心して下さい。ここには、怨念はありません。
祈りの世界では怨念はないんです。
陰陽師とかは、まだ勉強していないので分かりませんが、ここは仏教なので、清らかなものです。
真言密教の一部の教えの中に、昔の僧侶もしくはある菩薩が「私は、自らの血をもって、自らの皮膚に、この尊い教えを書き写そう」と言ったくだりがあったのを思い出すんです。それくらい尊いものだということなんです。
だから、清盛は、本当にそれをやって、有難さを表現しています。
(しかも、平家物語に書いてあるので、ちょっと大げさかもしれません。)
そこまでするほど、「尊い教え」ということをあらわしています。

怨念が発生するためには、本人が望まない時に、殺されたり痛めつけられたり、憎い相手を呪う場合などがありますが、ここでは、全くその正反対です。
すごい!と思ったのは、反対の意味です。曼荼羅は宇宙のようなものをあらわしますので人が生まれた時や死ぬ時に感じる恐怖と喜びがここでは、すごい迫力という感覚になったともいえます。
生命の起源は、真実なので、やっぱりこわい。知らないものに対しては、こわいと思う。そういう心理もあるのかもしれません。
しかし、理を知らないと、このように、あまりにすごいために、誤解されてしまうので密教という形で秘密にされているんです。
修行によって、菩薩界にまで達した人には、その意味が分かり、貴重さすごさ素晴らしさがわかるからです。

髪の毛を入れたことも、これは、魔術ではないので、神聖な神に対する祈りなので、こわくありません。
古代の文明は、いけにえを捧げたりしましたが、それは怨念のためではなくて
神聖な神に捧げたのです。どちらかというと、多神教の方に多くみられます。
仏教には命を捧げるという概念は全くありません。命こそ最も尊いものです。
ここでは、清盛は命を捧げたのではなく、おそらく、どちらかといえば、昔、武士が血判状を作ったように、覚悟という意味で、一番勇気のいる頭の部分に、少し傷を付けて、神に帰依したのだと思います。
国を治めるほどの大物たるもの、ちょっと,指の血では格好がつかないのでしょう。しかも、先述したように、平家物語の中で、格好よくするために、大げさにした可能性もあります。

平家物語は、経典と違い、少し歪曲することが出来ると思います。
経典、つまり、高野山の歴史書には、偽りは書けません。修行に対して、ものすごく厳しいからです。
嘘は、戒の中でも厳しく禁じられていますし、僧階を得るのに、大変なところですから、高野山の記録であれば正確だと思います。
密教というと、密という字から連想して、なんか呪術のような誤解もあるかもしれませんが、仏陀から直接伝わっている厳しく清らかなものなので、怖い儀式とか、妄想とか、もちろん怨念もありません。戒の中には、不殺生とあり、虫も殺してはなりません。
三業浄化といって、悪いことを言ったり、考えたり、行ったりしてはなりません。呪うというのは、ご法度です。修行は厳しく、一点の汚れもあってはなりません。どこまでも、清浄でなければならないのです。ですから、呪いとか、邪まな考えは、破門されてしまいますので、ご心配ありません。

使い方を誤ると危険というのは、呪術的な意味でなく、神聖な神を汚さないようにという心配です。
今のように、知らないと誤解されてしまったり、良くない使われ方で、汚してはならない尊いものであるからです。
だから、密教の修行も、初信者(信心のまだ浅い人)は、あまり教えてもらえません。
簡単なことしか知ることも行うことも許されないのです。(手の結び方は相当上のレベル、普通は経文程度)本当に、神の世界までいくと(菩薩界)、ものすごい功徳があるだけに、それを軽視すると、神々が悲しむということもあります。

もしかして、神が隠れてしまうこともあるかもしれません。
沖縄に、神の儀式があって、ここでは男性禁制、外部の人も入ったり見ることを許されなかったのにある時、カメラマンが入って、一部始終を撮影しました。その写真集を頂いたのですが、素晴らしい記録でした。この儀式というのは、すごいらしくて(良い意味で)、本当に神の力があったものだったことで沖縄のシマンチュ(島人)の間では有名な話なのですが、この聖地にそのカメラマン、つまり外部のしかも男性が入ってしまったことで、年に一度の儀式(祭り)
だったのですが、翌年以来、全く神が降りなくなってしまったそうです。
このように、神との約束は絶対なのです。破ると神が隠れてしまう。

密教や仏教については、最も解り易く言えば、教えとか修行によって、遠回りしないで、正しく歩める法則を学ぶことが出来る、そのための修行ということなんですが、それには(精神レベルという意味なんですが)段階があって、階段の一つ一つを上っていかなくてはなりません。
自分の汚れが多かったり、精神レベルが低いと、教えも理解できず、惑わされてしまうというんです。

というわけで、
本来、密教は清浄であるための厳しい僧侶の修行があり、その先には美しく光り輝く神々の世界がある。清盛は、きっと、その美しい世界に感謝と帰依と、皆が救われるようにとの祈りを込め、自らの血をもって、書き記すという、最も高く尊い行為をしたのだと思います。

呪術や魔術とは、全然正反対なので、いくら見ても、怨念はありません。
きっと、未知なる物に人は不安を感じるのですが、それは、呪いとかとは全く関係ありませんので安心して下さいね。いくら見ても、大丈夫ですよ。(私も最初は密教を全く分からなかったので、よくわかります)

この世で幸せになること、大乗利他(自分のためより、人のため)を祈る仏教の根本の教えなので見た人への、幸せを願う祈りがこもっているはずです。

長くなってしまいましたね。すみません。

私も、そんなに勉強が足りなくて、説明が上手ではありませんのでお許し下さい

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という非常に心のこもった説明をいただいて、とても嬉しかったです。と、同時に自分の浅はかさというか、無知さもちょっと恥ずかしかったです。で、このメール文の内容の真偽(学問的な)については、保証しませんと言うか勉強中なので間違ってることを言ってるかもしれない。そうだったらごめんね、ってことでした。いえいえ、そんな私からしたら本当にみんな造詣が深くて感動してしまいます。

最後に
修行にご法度なのが悪い行いというのは当然想像がつきますが、嘘っていうのも入るっていうのはすごいですね。良く考えれば、そりゃそうですよね。でも、今の世の中で完全に嘘をつかないで生きるってことは俗世と縁をきってこういう特殊な環境で生活しないと無理ってことなんですかねー。

まあ、とにかく、密教の詳しいことが何もわからなくても、あの曼荼羅を見れば心底すごさがわかるというものですよ。いやーーー、びっくりしたびっくりした。

【関連記事】
血曼荼羅の衝撃-空海と高野山展より【後編】
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/724
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