2005年04月

自分の直感に厳しく向き合ってみる

と言うことで、人と会って第一印象で結構だいたい分かってしまうんじゃないか、などと思っていたのですが、やはり外れることもそれなりにありまして、そういう事がある度に自分の直感の精度にがっかりしてしまったりするのですが、まあ、そういう場合は誠実に思い返すと、やはり欲が絡んでいると言うか、正直言って無欲の状態で判断をしていないと言うことが悲しいかな現実な訳ですね。。。

むーん、その辺は難しいですなあ。まあ、まだその辺は修行が足りないのでありましょうなあ。(←あなたは一体何を目指しているんですか??(笑))

そういえば、タロット占いがすごくできる友人が似たようなことを言っていました。お金を取ると当たらなくなりそうな気がするので、自分は占う時はお金を取らない、と。とはいえ、ご本人は立派な職業を持っているので別に占い師で生計を立てる必要は無いのですが。まあ、でもその辺がなんか直感の精度と関係があるのかもしれませんね。

まあ、とにかく確かに欲が絡んでいると直感が鈍る。これは結構あるかもしれませんね。なかなかそれを凌駕するのは大変なんでしょうかねえ。

やっぱり運がいいかもね

なんかふと思ってしまったのですが、自分に起こるいろいろな事の些細なポイントを見ていると、「ああ、やっぱり私って運がいいかも」って思いました。なんか周りの人のいろいろな話を聞いていると「あ、そういうところで困ってるんだー。私はそこらへんはトラブったりしないでスムーズに行っちゃったなあ」と思うところがあったりする。

でも、思うけど、今この世に生きている人はほぼ全員運がいいんじゃないかな、などと思ったりする。そうじゃなきゃ今頃ここにはいないよね。

なんて、普通の人の願いと言ったら仕事で成功したい、とか、結婚したいとか、子供が受験にうかってほしいとかって感じなんでしょうが、私の場合は日常生活を支障がきたさないように過ごせるようになりたい、などというレベルの話であるので、そんな風に思ってしまったりするんですが。

私のケースは仕事は全く支障がないケースです。仕事と言っても何か自分のアイデンティティに関係あるとか、やりがいがあるとか、そういうものではなくて、本当に生活していくためにする仕事、ですが。まあ、その辺は助かっている。対人関係も問題ないし。まあ、ただ生きている状態だ、と言えば言えるかな。

一応、最近は自分がどういう環境にいると幸せを感じるかというのが分かってきました。確かに自分の友人関係を見ればその辺はおのずと分かってくるものなんでオょうが、今まではあんまり自覚できてなかったですね。

プチシンクロ

また共時性というかシンクロニシティめいた事があったので、書いてみます。いや、よく考えたら日常生活でこの程度のことは割と頻繁に起こるのだけど、やっぱり「人生には偶然なんてない!全て必然なんだ!」とかってまでは確信が持てるほどでもなく、それでも、「うーん、やっぱりすごいかな」というのはありますね。

●ある人と日舞の話をしていて、お勧めの舞台のビデオがあるわよ、って言うので見ようとしていたんですね。それで、その人はたくさんのビデオの中からどれどれ、、と探して一つのカセットを持ってきた。そうしたら、ケースのデザインがあれ?これって日比野克彦の絵チぽいなあ、と思って良く見たらはしっこの方に「Hibino」というサインが入っていたので、「ああ、このビデオのケースは日比野克彦のデザインですねえ」「あら、ほんとだわ!今まで全然気づかなかったわ。」などと話していた。それで、そのビデオの中のどの部分に見せたい舞台が入っているか分からなかったので、適当に早送りか巻き戻しをして再生をした。

そうしたらですねー、急にその画面に日比野克彦が写ったんですよーー。なんか3チャンネルで芸術作品の特集をしていてゲストか解説で出ていたんですね。しかもその映像も軽く10年以上は前って感じのなんですが。その人は日比野克彦が出演している番組を取った記憶など全然なかったらしい。というか見たい番組の前の番組が少し録画されててそこに写ってたってことなんですが。

いやー、なんかびっくりしました。そうピンポイントで来るかって感じで。

●この間は同居人が数日家を留守にしていた。そして、私は外出をして帰ってきた。3分後くらいにピンポーンと鳴った。また勧誘か何かか?と思ったら同居人さんではないですか。鍵を忘れ旅に出かけてしまったとのこと。しかも、私に電話もしたりしたのだけど、私は余裕で携帯を置いて出かけていたのでそんなこともつゆ知らず。もし、私がそのまま外出して帰る時間が遅くなっていたらその同居人さんは閉め出しを食らっていたところでした。おそろしや。私もいいタイミングで帰ってきたなあ、と思いました。

分析オタク

そして、私が行っている精神分析の先生は分析オタクである。なんでもかんでも分析してしまうんですよ。 だんなさんがタルコフスキーの映画が好きだと言うことでタルコフスキーの映画を何本かビデオで借りてきてみたそうです。で、作品を見ながら分析して、タルコフスキーの性格とか成長過程がどんなだったかを予想していたんだそう。そういうのノートに取りながら?のかの偉大なタルコフスキーの作品見るのってどうよ、っていういうのはこの際なし。芸術作品は自分の好きなように鑑賞すれば良いのですから。
で、後日たまたまタルコフスキー特集みたいなのをNHKかなんかでやっていたので、見たんだそうです。そうしたら、その分析結果がほとんど当たってたそうです。いやー、なんかすごいですねえ。当ててどうすんだ、って話はありますが、とにかく分析しているのがその先生にとっての喜びなんだからそれでいいんでしょう。

人によっては分析されて自分の嫌な部分とか人には知られたくない部分とかが明るみに出るのが嫌だって言う人はいますよね。でも、結局人に知られたくない部分って言うのも、知られたくないと思うようになった何か原因があったりするのだろうし、嫌な部分というのもその成長過程で何かへの反動でできたものかもしれないので、それが明るみに出たから自分は人格の悪いところが見えてしまったとかっていう話ではないんでしょうね。

いま巷でしきりにホリエモンは拝金主義でその辺がちょっと・・・とかっていう人も多かったりするけど、ホリエモンさんがそこまでお金に執着するようになった背景にはそれなりの原因となる色々なことがあるからってだけなんでしょうね。それを指して「人間としてどうか」とか「好きになれない」とか「尊敬できない」という話とはまた違うのかも。逆にそこまで自分を突き動かすすごいパワーを発揮して今や日本の社会をぐるんぐるんとかき混ぜてしまうほどなのですから、成長過程の色々な影響から来る反動ってすごいんだなあ、と思います。でも、それも実はホリエモンさんが3歳までの間に何らかのことが起こってああ言う風に育っていったとしたら、それはそれですごいなあと思います。だってお金のことなんて3歳以前に概念として理解できないことだろうしね。

精神の成長過程の説明レポート

AからDまでの4段階

それで、最近、精神の成長過程についてこんな図を教えてもらいました。
なかなか面白かったので、ここに載せます。

setsumei.jpg


説明としては
0~3歳 Aゾーン
3~5歳 Bゾーン
5歳から結婚するまで Cゾーン
結婚以降 Dゾーン
に分けられるらしい。

5歳の次はいきなり結婚かよ、っていう気もするのですが、そのくらい自分の考え方、感じ方の無意識レベルのところは5歳までにかなりのところが決まってしまうと言うことでしょう。で、私の場合は結婚していないので現時点ではCの所にいることになります。
また、結婚というのはどういう意味かと言うと、そこでまた新しい家庭を作り子供などが生まれたりパートナーと色々なことが起こるということがまた成長段階の一段階ととらえているんだな、と思いました。結婚と言うのはそれだけ、自分の人格に変化がある行為だと言うことなんでしょう。
で、精神的なトラブルを抱える人はCの時点で発覚したり、Dの時点で発覚したりと色々です。

それで、Aというのはその子が生まれ持っている性質です。そこに0~3歳で父、母の影響を受けてBになります。Bになった時にAの部分がどのくらい残っているかというのがA'の部分です。3~5歳で幼稚園に行き始め友達や先生と関わることによりCになりますが、その場合Aはさらに減ってA''ということになります。
このAがどのくらい失われてしまったかによって、成長してから精神的トラブルを抱えたりっていうのが起こるのですね。

Aがなるべく失われない育て方をすると、いわゆる「のびのび育った子」って感じになるのかな、と思います。Aがすごく減るような育て方と言うのは抑圧的だったり強圧的な育て方ってことなのかな、と思います。そして、精神的トラブルを抱えるって言うのは失われてしまったAのままでCでいたりDでいたりするのがすごく辛いよ!っていうことで起こることなんだそうです。Aが保たれている状態は自己存在の安定やあるがままという姿です。望ましい状態(育て方?)というのはこのAが残っている状態だそうです。だから私は思うけど幼稚園とか小学校のお受験ってこの考え方で行くとすごく危険かなあって気がしちゃいます。あ、やるんだったらコネでなんの勉強もせずに入れるのが一番いいですね(笑)。

0~3歳は否応もなく親の影響なのですが、片親の場合はお母さんだけ、お父さんだけ、両親がいなかったらその時育ててくれた人の影響を受けるんでしょう。それから、お母さんのおなかの中にいる時にお母さんの精神的な波動とか感情の波動とかをもろに受けるそうです。だからどんなに親がいない子供でもお母さんのお腹にいずにこの世に生まれるというのは不可能なので、やはりお母さんの影響は強いんですね。だから、胎教とかはもちろんのことタバコを吸うなんて(物理的にもそうですが)大変なことなんでしょうね。

AからB、またCに推移する時に失っていったAの部分があります。メンタルのトラブルを抱える人はこれを失ってバランスを崩している(というかメンタルのトラブルのある人は基本的にそうなのでしょう。)ので、治療と言うとここを回復する作業をしていると言うことなんですね。

たくさんの箱とふた

そして、Aの部分はその産まれた子が持っている素質なり性格なり能力なりです。これがイメージで言うとたくさんの箱があって、その箱のふたが開いている状態です。育てる親も沢山の箱を持っています。でも、それまで育てられた環境なりで閉まっているふたがたくさん(いくつか)あります。そのしまったふたがある状態で子供を育てます。自分のふたが開いている閉まっているというのは気づかないのでそれが普通の状態だと思っています。自分の箱でふたがしまっている部分が、自分の子供の箱のふたは開いているとする。そうすると、親はそのふたを閉めたくなるんだそうです。そうすると、開いているところを非難したりする。子供の方は家庭の中で生きていくためにはそのふたを閉めないと生きていかれないので、ふたを閉めてしまいます。

閉まってしまったふたの部分はもう使えません。感情にしろ能力にしろ使えないんですね。そうして残ったまだ開いている箱をどうにか使って大きくなっていきます。持ってるけどふたを閉めてしまってわざわざ使わずに残ったものだけでやりくりしなくてはいけないとしたら、それはかなりしんどそうですよね。

たぶん、どの人にも閉められてしまったふたはあるんだと思います。ただそのふたの数の多寡であとあと精神的なトラブルを患ったりするかどうかと言うことになるんでしょうね。

Aをなるべく減らさずに育てたら

この図を教えてくれた方の子供さんはなるべくAを減らさないようにして育ててみたモデルケースみたいな感じなんだそうです。そうすると、ほとんど葛藤がない、焦りがない、誰かと争おうという事がないそうです。要するに自分が自分でいることを非常に肯定できている状態なんでしょうね。私は思いましたが、もし世の中の子供がみんなこういう方法で育てられたらきっとかなり変わるんだろうなと思いました。たぶん、この世の中で話題になっている多くの事が議論される必要なしとして消滅してしまうかな、と思うんですね。たとえば負け犬だとか、勝ち組だとか、誰それより年収がいい悪い、だとか、容姿のコンプレックスとか。そういう議論は一切不必要ですね。他人と比較する事自体が無意味ですから。

この説明は非常に私には良かった。
まあ、子供に問題が起きる場合はなんていうか多くの本には育つ家庭での受容と共感がなかったとかそういう説明も多いけど、そういう単純な話ではないというか、Aを尊重せずに育てると言うのが結果的に受容と共感のない育て方だったとか、まあそういう事なんだろうなと思いました。

今の世の中でまあ働き盛り(20代~40代)の人たちの親の世代と言うのは戦後生まれて高度経済成長の時代に生きてきて、同じ考え方が社会を覆っていたと思います。たとえば、良い学校に入って良い大学に入って良い会社に入ることが幸せにつながるということを信じて頑張り、実際だいたいはその通りだったのだと思います。お父さんは外で働きお母さんは専業主婦で家庭を守る、この役割分担で比較的うまくまわってきたのでしょう。しかし、時代は変わってしまった。社会も変わってしまった。自分達が成長してきた時と同じ考えで子供を育てても、それが時代の流れとマッチしなくなってしまったのでしょう。

これを信じて子供を育ててAの部分が失われてしまった子供がたくさん育った。その子供たちが少しずつ親の世代になってきているんですね。この表を教えて下さった方と話していましたが、最近変な事件、例えば親を子が殺す、子が親を殺す、そして小学生にうつ病が流行っている、ニート、ひきこもり、、、これからはこういう現象がどんどん増えていくのは目に見えているって言っていました。ただでさえ子供の数が減っているのに、その子供も無事に育つ子が減っていくとしたら、それは本当に厳しい現実なのだと思います。ま、でも、私は子育ての現場にいるわけじゃないので「いや、そんなことないよ。みんなすくすく育っているよ」とか「この文章は煽り過ぎだ」という方もいらっしゃるんだろうと思います。所詮子供もいない人間が書いていることなので、その辺の説得力はないかもしれませんが。

とにかく、本当は自分が自分でいられることができれば、どんな状況でもその時々で判断をしてきっと自分の納得のいく幸せな人生を送れるんだろうと思います。だけど、そこで、最近は早期教育しないと将来が心配とか、せめてこのくらいのレベルの学校に入れないと、、、とか大人になっても30歳でこのくらい年収がないと負け組かも、とかとにかく自分が自分でいられなくなりそうな情報が溢れかえっているので、その辺はかなり意識しないと難しいかもしれないですね。まあ、失われてしまった部分はもう無意識の底に沈んでしまって意識しろって言われても難しいかもしれないですけど。

ということで、週刊!木村剛の中のエントリでお父さんが愛娘に英語の早期教育した方がいいんじゃないか、という話が出てきますが、この愛娘さんがどんな素質かを余り考慮しないで、単に自分が英語で困ったから娘が困らないようにというのだとちょっと危険かなと思ったりします。たぶん、英語じゃないほかのところもこの思考パターンで教育を施してそうなので。でも、英語を知ることで世界が広がるから、とか日本人以外の人が考えていることや気持ちが分かる子になるように、とかそんな感じならきっといいのかな、と思いました。

この記事は
「2005.04.04
[フィナンシャル ジャパン] FJ2月号> 私の「幼児英語教育」事始め」

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