2005年11月

瞑想する少年

こんなニュースが最近ありました。
瞑想続ける「釈迦の化身」少年の謎究明へ=ネパール当局 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051128-00000261-reu-int&kz=int

なんでも飲まず食わず半年が経過しているらしい。私も瞑想を少しくらいはやったりする端くれですが、さすがにこの領域には達してないし、達せそうもない。一応、話としてはレベルの高い瞑想をするとどんどん食べ物とかいらなくなってくるらしいのですが、それは話で聞いているだけで私は全然そんな日はやってきたためしがない(笑)。

とはいえ、ネパールだし、私は空を飛べる人間とかそういうのはまじめにチベットやネパール辺りにはこっそりいるのではないか、と思っているので(笑)、この少年がなぜこんなに話題になっているのか良く分からない。世界にはこっそり6か月くらい飲み食いしないで瞑想している人なんているような気がするんですが。

当局は解明しようとしているっていうけど、にせものかどうかって事くらいしか解明できないと思います。それから、偽物かどうかって事を解明する事がそんなに大切とも思えないしねえ。さすが瞑想の本場(?)ネパールだなあ、って思いました。

こっちの記事にはこう書いてあります。 地元の記者のコメント

「少年は訪問者が謁見を許されている夜明けから日没までずっと動かずに座っています。これは大したことです。しかし、彼がブッダの生まれ変わりかというと、私は疑わしいと思います。なぜなら私たちは彼が夜のあいだ何をしているかわからないのですから。これは捜査の必要があります」

仏陀の生まれ変わりなんてどうやって解明すると思っているんだろう。夜動かなければ仏陀の生まれ代わりなのか。
そういうところにこだわってもしょうがないと思うんですが。
そして違う写真発見!
記事は英語だけど書いてある事はほとんど変わらないだろうのでとりあえずリンク
http://www.chinadaily.com.cn/english/doc/2005-11/24/content_497528.htm
なんだかカラフルでとても楽しそうな感じ。
何と言ってもこの記事は写真付きなのがすごい。
とても気になります。この少年。仏陀でもどっちでもいい。とにかく瞑想頑張ってほしい。
なんかこういうお国柄なのだなあ、ってところが本当にインドとかネパールへの憧れがつのります。

聞いた話によるとキリスト教(カトリックだったかな?)には瞑想というのはなくて、黙想ならあるのだが、やはり外から見て黙想している人と瞑想している人は違いがあるらしい。あの写真を見て違いが分かるかなあ、って思ったんだけど黙想している人というのを見た事がないので私には良く分からない。

それにしても、あんなおあつらえ向きの木の洞があるなんてさすがですねー。

というか、私は瞑想をかなりさぼっているので、少しはやらなければとこの記事を見て思いました。
ほんとこの少年、うらやましいです。



世界ウルルン滞在記と料理の発想

私はなんだかんだ言って「世界ウルルン滞在記」が好きである。要するにどこか外国のもので、未知のライフスタイルを垣間見たり、外国の文化、風俗、生活、習慣などが出てくるテレビ番組が大好きなだけなんですが(単純)。世界の車窓からもいいんですが、うるるんは日本人がその異文化に触れて葛藤したりするのがまた面白いんです。

それで、今回のうるるんはフランスのノルマンディー地方に鶴見辰吾が行くというものでした。ノルマンディー地方って(行ったことないんだけど、、)、フランスの北の方で大西洋沿岸地域です。それで魚介類がたくさんとれて、ワカメとか海藻類も食べたりするらしい。で、クイズで「どんな風にワカメを食べるでしょう?」というのが出ていた。答えはなんとジャムにして食べるということでした!

いやー、想像を絶しますね(笑)。
とはいえ、外国人(と言っても私の身の回りの例はほとんどフランス人だけど)と料理したり、料理の話をするとこういうときって目からウロコっていう事が良くあります。

私たちはワカメはお味噌汁に入っていたり、酢の物だったり色々メニューはあるわけですけど、さすがにジャムにするものだという発想はないでしょう。外国人と料理の話をしているとこういう意外な料理方法が出てくるものだから面白い。

向こうは向こうでやはり自分の国の料理の素材の使い方などの思い込みがあるので、こちらの料理方法で目を丸くされることもある。

あるフランス人がいて、その人はすごいお豆腐にはまっていた。一回スパゲティをご馳走してくれたが、それは塩コショウの味付けで具はフランスの生ハムを厚く切ったもの(ベーコンみたいな感じ)と、さいの目切りにしたお豆腐でした。なるほどなー、と思った。世の中にはたらこスパゲティとか和風のものがあるのだから、お豆腐がスパゲティに入っていても別に違和感はないだろうけど、今までやってみようとした事はなかったなあ、と思ってちょっと発見でした。

それから、またある日、彼女は豆腐入りのグラタンを作って食べていた。具にさいの目切りのお豆腐入り。そうかー、グラタンにお豆腐かー、とまた感心してしまいました。それで、ちょっとちゃんと説明を聞いていなかったんだけどこのベシャメルソース(ホワイトソースのこと)に豆乳を使ってみようと思うんだけど、きっとうまく行くと思うわ、などとも言っていた。

なぜ豆腐がお気に入りなのかと言うと、どうもたんぱく質を摂取するのに脂肪分が少ない食材だ、というところらしい。なるほどねー。

豆腐談義は色々続き、要するにそうなってくると牛乳を使うところを豆乳にしてしまえばいい話なので、豆乳&豆腐キッシュとかもいいわね、という話になってきた。キッシュとはかなり私にとってはフランスの食べ物だなあ、というかなり強いイメージがあるのでそれに豆乳だの豆腐だのっていうのは全然思いつかなかった。それほど、お豆腐好きな彼女ですが、さすがに納豆は駄目だそうです。うーん、彼女は特に日本文化耽溺派ではないから、それは仕方がないかもしれない。耽溺派でも納豆はかなり壁が高いだろうし(笑)。

和食にかぶれるフランス人というのもいるのでしょうけど、そのフランス人は特にそういう事はないのでなおさら面白いというか、自分の文化への取り入れ方が面白かった。かぶれた場合は、とりあえず既存のレシピに忠実に一旦は作ろうとしますよね。そのあと、自己流にアレンジする場合はするかもしれないけど。

やはり、食べ物って習慣だから「絶対こういう料理には使わない」っていう固定概念があるんですよね。それを気持ちよく崩されるのでとても嬉しいのです。話が戻るけど、やっぱりワカメをジャムには使おうとは思わないですからね(笑)。とりあえず、そういう目からウロコの発見が料理の話をしているとたくさんあるので、いつも面白いなーと思っているのです。




どとまり中

なんか、ブログを書きたい情熱が減り気味です。
というか、言語と意識について行き詰まりぎみです。

そのうち何かきっかけがあったらまた再開できたら良いな、と思います。

ま、別に仕事じゃないので、無理しなくてよいのですけどね。

言語執着系関連エントリいったん総括

it1127さんが
「言語執着系PJ featuring Hiroette」について
なんていうエントリを書いて下さいました。
なんだか恥ずかしい(笑)。

で、一応、最近の色々な言語執着系エントリについていったん総括、という内容を書いています。
それで、私はかなりとりとめもなく書き続けているので、私もいったん総括をしてみよう、と思いました。

it1127さんのまとめは以下の通り

********************************************
Q:言語のどういうところに興味があるのか?
A:おおよそ、三つの事柄に関心がある

1)言語の起源 
  ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ―ロビン・ダンバーなど
2)諸言語の違い ?ッ>言語と文化
  サピア・ウォーフの仮説など
3)言語と思考
  かくれた次元、暗黙知など
********************************************


私は一体なんだろうなあ。
Q:言語のどういうところに興味があるのか?
という答えには
(1)人間が言葉を持ちはじめた瞬間はどんな風だったのか知りたい。
それが、どんな風に発展していったのか知りたい。

(2)同じ人類なのに違う言語を発達させていったというのには訳があるはず。
その訳が知りたい。
風土からこういう影響を受けたとか、そういったことも含めて。

(3)特に発音についてどうしてそういった発音をほかの発音を捨てて選んだのか、その理由が知りたい。
これも風土からの影響なのか。

(4)日本の言霊信仰と併せて
宇宙(?)とどのように言語と人間の意識が調和しているのか(つながっているのか)知りたい。

こんなところでしょうか。
(3)は(4)と関係ありますね。

動物でも何でも、いまの姿にいたったのには絶対理由があるわけです。その理由が知りたいというのとそれほど変わらない。日の光が少なかったからメラニン色素が少なくて金髪碧眼になった、とか、そういうのと同じ話。それは、なぜ電車の中でお化粧を平気でする女の子たちがたくさん出現してきたのか、っていうのもきっとちゃんとした必然的な理由があるはず。そんな感じです。

失われた言語を復活させることはできるか。

それはヘブライ語

とにかく、最近はグローバリズムと言う名の下で英語がどんどん世界の共通語として広がっています。その反面消滅していこうとする、あるいは消滅してしまった少数言語もたくさんあります。

未来はどんどん言葉が減っていくだろうと言う予測もあります。日本語という世界で共通語や公用語としては余り使われない言語を母国語とする私は、こういった風景は少し苦々しい思いで見ていると思う。

言語と言うのは話す人が減っていってしまって、消滅してしまったらもう二度と復活はできないのではないか、というイメージを持っていたんですが、意外や意外実は復活させることが実はできるんだよ、と言うお話。

それは実はヘブライ語らしいのです!

ヘブライ語を調べてみると
(1) 聖書ヘブライ語
(2) ラビ・ヘブライ語
(3) 中世ヘブライ語
(4) 現代ヘブライ語
この4種類があるそうです。
こちらのページ参照

こっちのページを見るとさらに細かく分類してあります。

それで、要するにヘブライ語を話しているのはイスラエルの人です。イスラエルというのはユダヤ人が作った国です(パレスチナとの問題がどうとか、っていうのはちょっとここでは置いておきます)。

ユダヤ人というのは紀元70年にローマに国を滅ぼされてから、1948年にイスラエルが建国されるまで世界中に散らばって生きてきたわけですよね。散り散りになったあとは、その住み着いた先の言語を話すようになり、ヘブライ語自体は口語としては失われてしまったんですね。

それを、イスラエルが再建されてから公用語は何にする?という議論が出てロシア語を話すユダヤ人はたくさんいるからロシア語にしたら、とか英語がいいんじゃないの?とか色々話は出たそうなんですが、「ユダヤ人なんだからヘブライ語を話すべきだ」という人が現れた。

これがエリエゼル・ベン・ユダ*という学者さんらしいんですが、この人がそれを言い始め、聖書から言葉を集めて一人で辞書を作ったらしい。そして、自分の息子をヘブライ語で育て、この息子が2000年ぶりのヘブライ語を母国語とするユダヤ人となったそうです。いやー、すごい話ですね。例えばですよ、自分の子供を古典日本語で育てたらその子供はそれが母国語になるってことですよね。「いとおかしき、もののあはれなり」とかってしゃべる子供が出来上がるわけだ。ま、自分が古典日本語をそこまでしゃべれないから、それは無理か、、。でも、もしかなり使いこなせて堪能なら、そういう事も可能だということですよね???
*エリエゼル・ベン・イェフダーと書いてあるのもある。


ちょっとにわかには信じがたいんだけど、事実だからこうしてヘブライ語講座とかヘブライ語入門の本が存在するわけですけど。
とはいえ、「一度滅んだ古代語が再び復活して実際に話されるようになったのは、歴史上このヘブライ語だけである。」とのこと。いやー、そうだよねえ。これはそんなに簡単な事ではないですよ。

こんな話があるなら失われた言葉を復活させることは可能なのではないか、と思えてきますね。ただし、ヘブライ語が現代ヘブライ語として復活できたためにはいくつかの条件があったでしょう。まず、口語として失われたあとも、ユダヤ教の儀式などのために言葉が残っていた。それが使われていたと言うのはあるでしょう。
それから、何よりもイスラエル建国のためにはヘブライ語が必要だ、という強い意志がなければここまで復活はさせられなかったでしょう。

なにしろ、いくら昔住んでたことがあるからと言っても、すでにパレスチナ人が住んでいるところに分け入って、ここにこれから住むから、と言って事を進めるにはそれなりの意思が必要ですよ。そういう意味ではヘブライ語というのがイスラエル建国の象徴と言えるかもしれない。

それから、「古代のヘブライ語とは文法的に異なりますが、単語は聖書から引いているため現代ヘブライ語の8割は旧約聖書に登場する単語です。」ということで、文法は古代のヘブライ語とは違うようです。意味の分かる人には、話しているとなんとなく、クラシカルな趣のある言語なんだろうか。どんな風に違っているのかなんだか気になるなあ。で、ちょっと現時点ではどんな風に違うのかちょっと調べ切れていません。

とにかく、ヘブライ語の例を見る限り滅びた言語が復活するというのは並々ならぬことであるし、普通は難しいだろうなあ、と言うことがとてもよくわかります。ヘブライ語の復活を見ても言語の盛衰は政治とは切り離せないというのもますます実感する。やはり文化的価値だけで言語を保っていくのは難しいんでしょうかね。もし、言語が滅びなくてすむ方法が政治力や国力だけなら、それほど残念なことはないんですけど。。。

ノーベル賞も取っちゃったらしい

そして、なんと復活したヘブライ語で文学を書いて、ノーベル文学賞を取った人までいるらしい。この人もプロフィールを見ると、生まれたときはヘブライ語を話していたわけではない。後天的に取得した言語で文学を書いたと言うこと。後天的に習った言語で文学作品を書く人は、リービ英雄とか、アゴタ・クリストフとかたくさんいると思うので、後天的に習得した言語で文学作品、というのはそれほど珍しいことではないのかもしれない。

復活した言語となると、語彙の豊富さとかそういうものはどうなるのだろうなあ、と思ったりする。聖書に載っている言葉から持ってきた言葉が8割を占めているらしい(その他は聖書の時代には存在しなかった新しい物に対する言葉なのだろうか)。聖書に載っているボキャブラリーってなんだか偏りがありそうだけど(下ネタあたりはかなり難しそう!?)。その辺がどんな風に解決されているかわからないけれど、まあとりあえずノーベル賞なんて審査員が読むときは英語かなんかに翻訳されているんでしょうから、要は中身というかテーマなんでしょうけどね。

いやはや、言語が復活するってすごいね、というお話でした。
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