テレビで明石家さんまが司会をしている、なんとか大走査線という番組を見ていた。

これは、視聴者から寄せられた、こんな噂を聞いたんだけど、ほんと?捜査して、というのに応えて番組のADだかディレクターだかが、捜査しに世界中に行く、というもの。
昨日は37歳のオカマの人からの依頼で、「37年間オカマで辛い思いをしてきました。どこかにオカマ天国ってないでしょうか。」というもの。

出演者達は「なんだよ、オカマ天国って!」と言って、大爆笑していたけど、その人の気分を想像したら、本当に大変だろうなと思う。だって、自分の価値観と、自分の住んでいる環境の価値観が全く違うまま、その環境の中にずっといる事を余儀なくされているのである。きっと自分のことをある程度理解してくれる人を探すのも、普通の人に比べたら大変だろう。いや、日本だってオカマは認知されてるし、そういう人がたくさん集まる場所だってあるじゃない、と言うかもしれない。オカマバーがあるじゃない、と思うけど、人にはいろいろな個性があるように、オカマにだっていろいろな個性があるだろうし、全員が全員水商売に向いている性格とは限らないだろう。学究肌のオカマもいるだろうし、主婦向きのオカマだっているだろうし、オカマという時点でもし、職業選択の自由がかなり制限されてしまうとしたら、それは結構大変なことだろう。仮に普通の職業に就けたとしても、働いている間は自分がオカマであることを隠して男性として働かなければならないだろうから、その心理的負担も大きいだろう。

最初、オカマ天国を探せと言うことで、私なりに考えたのは同性愛者も婚姻届が出せるオランダとか、ゲイがたくさん住んでいるというアメリカ西海岸とか。そしたら、番組では意外なことにミャンマーにそういうところがある、と言って探しに行くのである。

でも、よく考えたら、ゲイとオカマって違うのね。ゲイは同性が好きな人で、オカマは遺伝子は男なんだけど、精神は女って言う人のことだもんね。だから、オカマの人が男を好き、と言う場合は同性愛ではないわけね。そして、もしオカマでゲイの人がいたら、その人は女が好きなのか。うーん、ややこしい。で、取材をしていくとミャンマーではオカマの人が普通の職業に就けて暮らしている。そして、そのことを隠してその職業に就いているのではなく、周囲の人も知っている。番組で紹介されていたのは、幼稚園の先生や会社の受付をしている人、モデルをしている人などなど。幼稚園の園児達も自分の先生がオカマだと言うことを知っていて、すごく優しくて素敵だから僕も将来オカマになりたい!なんて行っている子もいた。

オカマの霊媒師などもいて、オカマの場合は男の霊も女の霊も呼べると言われていて、普通の霊媒師よりありがたがられるのだという。また、ミャンマーという国は別に差別されないのはオカマだけでなく、どんな人も平等に生きていける社会なんだそう。ミャンマーと言えば、アウン・サン・スーチーとかビルマの竪琴以上の知識はなかったので非常に驚いた。

まあ、番組で得た知識以上のものがないので憶測で書いてしまうけど、本当に平等に暮らしているなら男女も平等だし、障害者も普通に生きられるし、どこそこの出身だから、とか、生まれがどういう家柄だとか、そういうのは全くないと言うことになる。ここでは、平等であることによって与えられる自由は計り知れないと思う。

世界中の国がこんな風になったら、戦争もなくなるだろうになあ。
平等を阻むものは差別と偏見だし、平等になると自由も増える。意外と、これが世界の生き残れるいい方法なのでは?と思った。というのは、もう、物をたくさん作ったり、たくさん売らないとみんなが幸せになれないと言う方法は限界があるだろう。あたかも競争に勝たないと幸せが手に入れられないかのような場所で歯を食いしばって強壮に勝ち残ろうとして、いつのまにかストレスを溜めて生きるより、ずっとかんたんにみんなが幸せになれるのではないか。

とはいえ、やっぱり、南の国だからある程度働かなくても食べ物がそこらへんにいっぱい生えてる国だから、そんなにあくせくしない価値観でいられるのかな・・・ミャンマーの話でいろいろと考えてしまったのでした。