今、「さかしま」という作品を読んでいます。ユイスマンスというフランスのデカダンス文学の作家の作品。デカダンスは高校時代以来です。思春期はいたずらにこういう言葉に憧れたりするのです。しかし、「さかしま」っていう言葉自体、意味が分からなかった。辞書で調べたら
(1)道理にそむく・こと(さま)。よこしま。「―な心を抱く」
(2)逆さま。さかさ。「十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜きて―に地(つち)に植(つきた)てて/日本書紀(神代下訓)」
要するに、「さかさま」ってことでした。

また、訳が渋澤龍彦というデカダンスとか黒魔術とかボッシュとか、まあそういう方面に非常に造詣の深いとても有名な作家によるものなのです。訳も格調高く、もう読めない漢字と意味の分からない熟語が目白押しの訳文。でも、だからといって文体が読みにくいわけではなく自然。さすが渋澤龍彦である。 そして、やたらに憧れていただけで良く意味を確認していなかった、「デカダンス」についても改めて意味を調べてみます。
[(フランス) decadence]
(1)虚無的・退廃的な傾向や生活態度。
(2)一九世紀末の懐疑思想に影響を受けて、既成の価値・道徳に反する美を追い求めた芸術の傾向。フランスのボードレール・ベルレーヌ・ランボー、イギリスのワイルドなど。退廃派。(三省堂 大辞林第二版より引用)

要するに、退廃ってところに「まあ、素敵!」と当時の私は思っていたのですね。そこで大人になった私は、改めて「デカダンス」とはなんぞやということをこの本を読みながら考えます。ストーリーは別に変化に富んだものではなくて、フランスの貴族の青年の生活が描かれています。その青年の血筋では代々血族結婚が繰り返されて、どんどん生命力が弱って今や彼がその一族の最後の一人。彼自体も生命力が弱くて貧弱な感じ。どう見ても体育会系とかガテンとは対局にあるタイプ。そして、彼はあらゆる俗世間はくだらないものだ、と思って外界とのコミュニケーションをやめ、家に引きこもって、自分の気に入った芸術に耽溺して生活している。

物語はその生活の描写なのですが、具体的にはあの作家の本を読んで、この本を読んで、この絵を眺めてみたいなことが続く。 その中から、この物語に出てきたデカダンでなくてはできない事を一つ紹介。

それは「自分のお気に入りの素晴らしい文学作品の本を注文して作る」なのです。本のオーダーメイドですね。紙も全世界から選りすぐったものから選ぶ、表紙はとても貴重な種類の豚の皮を使う。しかも、本文に使うフォント(書体)もわざわざ注文して作ったりする。これはすごい。書体を注文って、相当贅沢ですよ。まあ、まだアルファベットだからいいようなものの、日本語だったら大変だ。そうして、出来上がったたった一冊の本。

今だからこそオンデマンドなどと言って、一部だけ本を作ったりすることも可能だけど、何もかも手作業のその昔にこれをやるのはさぞかしお金がかかったことでしょう。この贅沢は普通の贅沢とどこが違うかというと、材料が贅沢というのと内容(彼にとって非常に質の高い文学作品)の贅沢さを両立させているところですね。材料(物質的に)が贅沢な贅沢をするというのは古今東西見渡せばいくらでもあるでしょうけど、内容(コンテンツ)も同時に贅沢というのはなかなかないかもしれない。

まあ、そういう意味で本当にお金がないとできないデカダンというのが証明されたかもしれませんね。って言ったって、小説の中の主人公の話だから19世紀末に本当にこういう道楽をしている人がいたら、それは本当にすごいねって事なんですよね。「さかしま」はそんな事に思いを馳せながら読むと楽しい本なのかもしれません。