0/23(水)
先日、「コンスタンティン・メーリニコフの建築― 1920s-1930s」という講演会に行って来ました。ずーっと前に友達づてにロシアの構成主義の建築物ばかりをあつめたロシアのガイドブックが出るよ、と言う話を聞いていて、それは面白そうだなあ、出版されたらぜひ手に入れたい、と思っていたところ、その友人がとうとう出たよ、と言うのと、出版記念に講演会があるみたいよ、というのを知らせてくれました。と言うことで、行って来ました講演会。
聴衆は基本的に建築関係者が殆どでしょう。私みたいな物好きな人は少数派かな。メーリニコフの作品の特徴を表す言葉としては、本の帯にあったコピーの「ロシアアバンギャルドのファンタジスト」というのがまさにぴったりです。建築家の巨匠というより、天才建築家と言う感じ。メーリニコフは建築を芸術の最高の姿だと考えていました。そして、何々主義というものに全く縛られない自由な発想で数々の作品を作っています。とはいえ、いくら芸術と言ったって、建築というのは他の芸術と違って、豊かなイマジネーションとあふれるアイデアがあればできるものではないですよね。建築物とは人が出入りできたりしなければいけないし、とにかく現実に存在するものを作るためにある訳で、全く実用性に欠けていれば、それは単なる彫刻やインスタレーションになってしまう。その辺で、現実の世界に持ってきても力を失わない形なりコンセプトなりで作らなければいけないのです。芸術性と現実性を両立させるのは素人から考えても難しいことだろうと容易に察しがつきます。ですが、メーリニコフの作品はそれはそれは豊かな創造力と確固たるコンセプトで非常に出来上がった作品の力が強いのです。
でも、そんな素晴らしい作品を持ってしても、メーリニコフはしばしばコンペで落選してしまう。理由はなんと、与えられた敷地からはみ出した設計図を描いていたため。
メーリニコフの構想では「ああ、ここには絶対この形がなければ、この建築物の意味がなくなってしまう!」と言うことで、敷地の外に建築物の一部が描き込まれ、また「この芸術を実現させるためなら、敷地外の建物を壊すのもやむを得ない」と思っていたそう。
もちろん、街の景観を無視して何かを建てるのではなく、むしろその街にとけ込むようなコンセプトで設計されています。でも、この場所にはこの形がなくては!という確信があったんでしょう。
そこで、一緒に講演会を聞きに行った友人が言った。 「日本人ならいくら天才建築家でもコンペに敷地の外にはみ出した設計図を出すほど強気な人っていなそうだよねえ」と。そうなんだろうか、やっぱり日本人だったらそんな人いないかしら。確かにアーチストならそういう気質の人はいるかもしれないけど、建築家という時点でかなり常識度がアップする職業なのでなかなかナチュラルに敷地からはみ出した図面を描ける建築家はいないかもしれない。
さて、その講演会の講演者はオランダとイタリアとロシアからのメーリニコフ研究者3人でした。しかし、横に座っている通訳は2人しかいないように見えました。どうなるんだろう、と思ってみていたら、ロシア人はロシア語で話してロシア語の通訳に日本語に訳される。そして、なんとイタリア人の講演者はロシア語で話していました。最後のオランダ人はオランダ語を話すのかと思ったら英語で講演して英語の通訳がついていました。海外の講演会や会議は英語っていうヨーロッパの研究者はきっと多いのでしょうが、ロシア語を操るイタリア人って初めてみたのでちょっと驚いた。そりゃあ、私が知らないだけで、数いるイタリア人の中ではそういう人が当然いるでしょう。その上、研究内容がロシアの建築史だったりしたら当然と言えば当然なのかもしれないけれど。イタリア語のリズムがかすかに残ったロシア語って聞いていてなんだか不思議でした。
司会者は日本在住のロシア人の建築家の方。だから、日本語は話せるようでし た。そして、講演最後の質疑応答コーナー。司会者が各講演者に質問をすると言うコーナー。各講演者に一つずつ質問をしていったのですが、最後のオランダ人研究者の時がちょっと圧巻でした。
(1)司会者はロシア語で質問する。
→それをロシア語通訳の人が日本語に直す。→聴衆が質問内容を理解する。
→それを英語の通訳の人が英語に直す→オランダ人研究者に質問内容が伝わる
(2)オランダ人研究者が答える
→英語の通訳者が日本語に訳す。→聴衆が答えを理解する。
→ロシア語の通訳の人は二人の研究者に質問の答えを訳してあげる。
という状態でした。
なんか、日本の中世で南蛮人が日本に流れ着いたときのお役人の詮議も確かこん な感じだったみたいですよね。
お役人→日本語→通詞(通訳)→中国語だか朝鮮語→通訳→オランダ語→南蛮人
お役人←日本語←通詞(通訳)←中国語だか朝鮮語←通訳←オランダ語←南蛮人
そんなわけで、多国語講演は内容以外にもこんなところが面白いなーと思ったの
でした。
メーリニコフのリンク:http://www.toto.co.jp/GALLERMA/ind1j.htm
聴衆は基本的に建築関係者が殆どでしょう。私みたいな物好きな人は少数派かな。メーリニコフの作品の特徴を表す言葉としては、本の帯にあったコピーの「ロシアアバンギャルドのファンタジスト」というのがまさにぴったりです。建築家の巨匠というより、天才建築家と言う感じ。メーリニコフは建築を芸術の最高の姿だと考えていました。そして、何々主義というものに全く縛られない自由な発想で数々の作品を作っています。とはいえ、いくら芸術と言ったって、建築というのは他の芸術と違って、豊かなイマジネーションとあふれるアイデアがあればできるものではないですよね。建築物とは人が出入りできたりしなければいけないし、とにかく現実に存在するものを作るためにある訳で、全く実用性に欠けていれば、それは単なる彫刻やインスタレーションになってしまう。その辺で、現実の世界に持ってきても力を失わない形なりコンセプトなりで作らなければいけないのです。芸術性と現実性を両立させるのは素人から考えても難しいことだろうと容易に察しがつきます。ですが、メーリニコフの作品はそれはそれは豊かな創造力と確固たるコンセプトで非常に出来上がった作品の力が強いのです。
でも、そんな素晴らしい作品を持ってしても、メーリニコフはしばしばコンペで落選してしまう。理由はなんと、与えられた敷地からはみ出した設計図を描いていたため。
メーリニコフの構想では「ああ、ここには絶対この形がなければ、この建築物の意味がなくなってしまう!」と言うことで、敷地の外に建築物の一部が描き込まれ、また「この芸術を実現させるためなら、敷地外の建物を壊すのもやむを得ない」と思っていたそう。
もちろん、街の景観を無視して何かを建てるのではなく、むしろその街にとけ込むようなコンセプトで設計されています。でも、この場所にはこの形がなくては!という確信があったんでしょう。
そこで、一緒に講演会を聞きに行った友人が言った。 「日本人ならいくら天才建築家でもコンペに敷地の外にはみ出した設計図を出すほど強気な人っていなそうだよねえ」と。そうなんだろうか、やっぱり日本人だったらそんな人いないかしら。確かにアーチストならそういう気質の人はいるかもしれないけど、建築家という時点でかなり常識度がアップする職業なのでなかなかナチュラルに敷地からはみ出した図面を描ける建築家はいないかもしれない。
さて、その講演会の講演者はオランダとイタリアとロシアからのメーリニコフ研究者3人でした。しかし、横に座っている通訳は2人しかいないように見えました。どうなるんだろう、と思ってみていたら、ロシア人はロシア語で話してロシア語の通訳に日本語に訳される。そして、なんとイタリア人の講演者はロシア語で話していました。最後のオランダ人はオランダ語を話すのかと思ったら英語で講演して英語の通訳がついていました。海外の講演会や会議は英語っていうヨーロッパの研究者はきっと多いのでしょうが、ロシア語を操るイタリア人って初めてみたのでちょっと驚いた。そりゃあ、私が知らないだけで、数いるイタリア人の中ではそういう人が当然いるでしょう。その上、研究内容がロシアの建築史だったりしたら当然と言えば当然なのかもしれないけれど。イタリア語のリズムがかすかに残ったロシア語って聞いていてなんだか不思議でした。
司会者は日本在住のロシア人の建築家の方。だから、日本語は話せるようでし た。そして、講演最後の質疑応答コーナー。司会者が各講演者に質問をすると言うコーナー。各講演者に一つずつ質問をしていったのですが、最後のオランダ人研究者の時がちょっと圧巻でした。
(1)司会者はロシア語で質問する。
→それをロシア語通訳の人が日本語に直す。→聴衆が質問内容を理解する。
→それを英語の通訳の人が英語に直す→オランダ人研究者に質問内容が伝わる
(2)オランダ人研究者が答える
→英語の通訳者が日本語に訳す。→聴衆が答えを理解する。
→ロシア語の通訳の人は二人の研究者に質問の答えを訳してあげる。
という状態でした。
なんか、日本の中世で南蛮人が日本に流れ着いたときのお役人の詮議も確かこん な感じだったみたいですよね。
お役人→日本語→通詞(通訳)→中国語だか朝鮮語→通訳→オランダ語→南蛮人
お役人←日本語←通詞(通訳)←中国語だか朝鮮語←通訳←オランダ語←南蛮人
そんなわけで、多国語講演は内容以外にもこんなところが面白いなーと思ったの
でした。
メーリニコフのリンク:http://www.toto.co.jp/GALLERMA/ind1j.htm