逗子に居を構えた友人一家の家に行く。その友人入れて4人が集まる。で、翌日は鎌倉の0476というカフェに行く。鎌倉に住んでいる妹たちも来る。みんな何かしら制作活動をしていた、している、それ関連の仕事についているというメンバー。こういう種類の人間はとにかく何かしらを突き詰めたり、マニアックなものを持っていたりというのが当たり前の世界です。

で、同じ風景や出来事を見たり、体験したりしても、それぞれ関心を持って見るポイントが違うので、各自のそれらについての記憶は同じ事実が元になっていたとしてもかなり大きな違いが出ると言う話になった。
例えば逗子から鎌倉までの海沿いの道(国道134号線)を走っていて、みんなが何を中心にその風景を見ているか、ということです。海沿いなので海とかはまあいいですが、お店とかが立ち並んでいるそれの何を記憶するか。

Yちゃんは、異常に食べ物に執着を示すのでどこになんのレストランがあったか(フレンチとかイタリアンとか)っていうので記憶をする。
Aちゃんは植物で記憶するのでどこそこのケーキ屋さんの前においてあった植木鉢に何が植わっていたとか、街路樹がなんだったか、レストランの前のなんとかの花がどのくらい咲いているとか、で把握する。
対して私はレストランやお店の名前が何語だったとか、フランス語なら日本語にするとこういう意味になるとか、日本語だったら漢字、カタカナ、ひらがなの混ぜ具合の表現とかそんなことばかりに気を取られているらしい。

で、Yちゃんはとにかく食べ物が好きで、結局デザインを勉強した後お菓子会社のデザインの仕事をしている。うーん。人生一本筋が通っていますねーー。で彼女が小学校のときに夏休みの絵日記で海に行ったときのものがあって、それがこういう具合だったらしい。
「今日は海に行きました。そしてラムネを飲みました。」
いやー、海に行ったのなら、普通は泳いだとかそういうのが来ると思うのですが。。。やはり食べ物に一番関心を持っているのでこんなことになってしまうのです。

で同じ場面を植物に関心を持っているAちゃんなら
「今日は海に行きました。浜辺にはハマナスが咲いていました。」
という感じになるねーということです。

じゃあ私ならどうなるか。たぶん
「今日は海に行きました。浜辺には中国語を話している人が一人、フランス語を話している人が二人いました。そのうち一人は南仏訛りでした。」などということになってしまうなーと思いました。(その年でそれらの言語を知っていると仮定してですが)
そこまでして言語に興味があるのでしょうか。。。

言語にしても字づらとしての言語がすごい気になる
例:「意見をハッキリ言う」とか「意見をはっきりいう」とか「意見をはっきり言う」とか
外国語の場合はフランス語だと「nationalisation」だけど、英語だと「nationalization」だなーとか。
でも音も気になるんです。
いろいろな外国語を聞いていて未知の言語を聞いていて「あー、この言語にはフランス語のあの母音と同じ音があるなー」とか。そんなことばかり思っています。

音感もあるAちゃんは同じ音を聞いてもたとえばいろいろな街にあふれているメロディーが「ドレミ」で聞こえるらしい。それは私には青天の霹靂の世界観です。同じ音でも私は人が発音しているものに気を取られ続けているらしい。

まあ、とにかく色々そんな話をしながらYちゃんの食べ物への執着もすごいということもわかったのですが、私の言語への執着もものすごいということもわかってみんなで「面白いねー」という話になっていました。

人それぞれ同じものを見ていてもかなり世界観が違うということですね。