フエのストリートチルドレンを援助するボランティア団体
現地で出会った日本人旅行者のTさんは、小学校の恩師がフエで「ベトナムの「子どもの家」を支える会」というストリートチルドレンを援助するボランティア団体を運営されているそうで、私もTさんにくっついて何度かそのオフィスのようなところに足を運ぶことがありました。日本人のボランティアの方々もそこで活動されているようです。レ・ロイ(Le Loi)通りにあるそのオフィスではその方々が作った民芸品とか写真集とか刺繍とかが売っていたので買って帰りました。
Tさんはこの施設に何度も訪れたことがあるようで、やっぱりこういう親のない子供たちは普通の家庭の子供たちと表情が違うって言っていました。もし興味があるなら訪ねてみたらって言われたけど(ここはオフィスとは違うところにある)、結局滞在中は時間がとれず行きませんでした。
ベトナムの子供たち
Tさんはベトナム人と一緒にお仕事していたりして、結構ベトナムには造詣の深い方なのですが、前回は5年前にフエに来たらしく、その時よりは今回はストリートチルドレンの数は減ったといっていました。前回は、フエの中心にあるチャンティエン橋を通るとストリートチルドレンが道に横たわっていて「死んでるのかなあ」とちょっと心配になりながら通り過ぎて、帰ってきてまたチャンティエン橋を通ったとき、その同じストリートチルドレンが寝返りを打っているのを見て「ああ、寝てるんだ。死んでないんだ。」って安心したなんて言っていました。
日本は少子化だ、子供を育てるのはお金がかかる、子供を育てる環境が整っていない、とかって言っているのですが、こういう発展途上国では子供はお金がかかるのではなく、むしろ労働力ってことになってますよね。街中とか屋台、レストランでも子供(それでも10代半ば前後)がたくさん働いていました。
それでも、やはり日本の子供とこうした国の子供と違うなーと思うのは、めげないというかしぶといというか。フエから車で30分くらいの海岸トゥアンアン・ビーチ(Bai Tam Thuan An)に行ったとき、子供(10歳前後)がおかしやら飲み物をかごに入れて売りに来るのですが、いらないって言ってもどこまでもついてくるんですね。これって、観光地では良くある風景かもしれないんだけど。私があの子供の役をやったら、「いらない」とかって怖い顔で大人に言われたらすぐめげそうな気がしますが、彼らは子供のピッカピカの笑顔で「買ってーー」って来るんですね。で、最初はにこにこして「いらないよ」って言ってるんだけど(至極日本人的な対応)、全然効き目はなし。彼らは、砂浜を地の果てまで私たちにくっついて買って買ってーーとついてくる。そのうち「あ、このにこにこしながら断るのがいけないのだ」と気づいて「いらないよっっ」とちょっと怖い顔をして言い始めると、子供はすがる目つきと言うか、懇願する表情になり、そのうち「買ってくれないなんてひどいや」っていう雰囲気になってくる。その表情にほだされて「じゃあ、1個・・・」なんて気分になる人もいるかもしれない。
ああいう子供時代を送った人と日本の子供時代を送った人では大きくなってからはやはりものの考え方とか違ってくるのかなあ。
ドンハにも地雷で体を失った子供を援助する施設があるらしい
帰りのフエからホーチミン行きの飛行機の中で隣に座ったアメリカ人と少し話をした。
いえ、私アメリカ人と英語で話すのすっごい緊張します。だって向こうはネイティブなんだもん(笑)。で、見た目はちょっとマイケル・ムーアを小柄にしてちょっと上品にしたようなおじさま。その人は旅行者ではなく、アメリカの軍を引退後ドンハの子供を支援する施設で働いているという。ここにはどんな子供がいるかというと地雷で体の一部を失った子供とか貧困で困っている子供がいるのだと言う。ドンハとはフエの北部にある非武装地帯(DMZ)の中の地名です。たぶん、当時はかなりの激戦があったのでしょう。その人は米軍にいてベトナムでも働いていたって言っていたので何か恩返しというかそういうニュアンスもあるのかなあ、などと話を聞きながら思ったりした。
地雷で体を失っているのが子供というのが、まだまだ現在も埋まっている地雷があると言うことを示していて、私はベトナムではもうそういうことは過去のことなのかと思っていたのでちょっとショックでした。街では片足がないおじさんとかは見かけたりしていましたが。
そういうわけで、子供を支援する施設がベトナムにあるんだなあ、ということを実感した旅でした。親から捨てられても、虐待されても、お受験させられても、のびのび育てられても子供は子供である。でも、報道などではなく、この地でそうした子供を支援する施設の話をいくつか聞いて、世界中でこうやって地道に活動している人たちがいるんだな、と思いました。
現地で出会った日本人旅行者のTさんは、小学校の恩師がフエで「ベトナムの「子どもの家」を支える会」というストリートチルドレンを援助するボランティア団体を運営されているそうで、私もTさんにくっついて何度かそのオフィスのようなところに足を運ぶことがありました。日本人のボランティアの方々もそこで活動されているようです。レ・ロイ(Le Loi)通りにあるそのオフィスではその方々が作った民芸品とか写真集とか刺繍とかが売っていたので買って帰りました。
Tさんはこの施設に何度も訪れたことがあるようで、やっぱりこういう親のない子供たちは普通の家庭の子供たちと表情が違うって言っていました。もし興味があるなら訪ねてみたらって言われたけど(ここはオフィスとは違うところにある)、結局滞在中は時間がとれず行きませんでした。
ベトナムの子供たち
Tさんはベトナム人と一緒にお仕事していたりして、結構ベトナムには造詣の深い方なのですが、前回は5年前にフエに来たらしく、その時よりは今回はストリートチルドレンの数は減ったといっていました。前回は、フエの中心にあるチャンティエン橋を通るとストリートチルドレンが道に横たわっていて「死んでるのかなあ」とちょっと心配になりながら通り過ぎて、帰ってきてまたチャンティエン橋を通ったとき、その同じストリートチルドレンが寝返りを打っているのを見て「ああ、寝てるんだ。死んでないんだ。」って安心したなんて言っていました。
日本は少子化だ、子供を育てるのはお金がかかる、子供を育てる環境が整っていない、とかって言っているのですが、こういう発展途上国では子供はお金がかかるのではなく、むしろ労働力ってことになってますよね。街中とか屋台、レストランでも子供(それでも10代半ば前後)がたくさん働いていました。
それでも、やはり日本の子供とこうした国の子供と違うなーと思うのは、めげないというかしぶといというか。フエから車で30分くらいの海岸トゥアンアン・ビーチ(Bai Tam Thuan An)に行ったとき、子供(10歳前後)がおかしやら飲み物をかごに入れて売りに来るのですが、いらないって言ってもどこまでもついてくるんですね。これって、観光地では良くある風景かもしれないんだけど。私があの子供の役をやったら、「いらない」とかって怖い顔で大人に言われたらすぐめげそうな気がしますが、彼らは子供のピッカピカの笑顔で「買ってーー」って来るんですね。で、最初はにこにこして「いらないよ」って言ってるんだけど(至極日本人的な対応)、全然効き目はなし。彼らは、砂浜を地の果てまで私たちにくっついて買って買ってーーとついてくる。そのうち「あ、このにこにこしながら断るのがいけないのだ」と気づいて「いらないよっっ」とちょっと怖い顔をして言い始めると、子供はすがる目つきと言うか、懇願する表情になり、そのうち「買ってくれないなんてひどいや」っていう雰囲気になってくる。その表情にほだされて「じゃあ、1個・・・」なんて気分になる人もいるかもしれない。
ああいう子供時代を送った人と日本の子供時代を送った人では大きくなってからはやはりものの考え方とか違ってくるのかなあ。
ドンハにも地雷で体を失った子供を援助する施設があるらしい
帰りのフエからホーチミン行きの飛行機の中で隣に座ったアメリカ人と少し話をした。
いえ、私アメリカ人と英語で話すのすっごい緊張します。だって向こうはネイティブなんだもん(笑)。で、見た目はちょっとマイケル・ムーアを小柄にしてちょっと上品にしたようなおじさま。その人は旅行者ではなく、アメリカの軍を引退後ドンハの子供を支援する施設で働いているという。ここにはどんな子供がいるかというと地雷で体の一部を失った子供とか貧困で困っている子供がいるのだと言う。ドンハとはフエの北部にある非武装地帯(DMZ)の中の地名です。たぶん、当時はかなりの激戦があったのでしょう。その人は米軍にいてベトナムでも働いていたって言っていたので何か恩返しというかそういうニュアンスもあるのかなあ、などと話を聞きながら思ったりした。
地雷で体を失っているのが子供というのが、まだまだ現在も埋まっている地雷があると言うことを示していて、私はベトナムではもうそういうことは過去のことなのかと思っていたのでちょっとショックでした。街では片足がないおじさんとかは見かけたりしていましたが。
そういうわけで、子供を支援する施設がベトナムにあるんだなあ、ということを実感した旅でした。親から捨てられても、虐待されても、お受験させられても、のびのび育てられても子供は子供である。でも、報道などではなく、この地でそうした子供を支援する施設の話をいくつか聞いて、世界中でこうやって地道に活動している人たちがいるんだな、と思いました。