先日、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」をパントマイ
ムで踊るというものを見てきました。
http://azusachan.chu.jp/classic/information.html
http://www.realtokyo.co.jp/event_cgi/ev_view.cgi?2,2113,01+4+1
シェーンベルクとは実は名前は聞いたことがあったけど、今まで特に聞いたことはなかったのではないかと思う。
シェーンベルクの参考サイトhttp://www.greengrape.net/mizuno/schoenberg/
オーストリアで生まれたユダヤ人の作曲家だそうです。
ここを見ると、無調音楽とか十二音技法というのを作ったそうです。これが、私は音楽の専門的なことがさっぱりわからないので、プログラムの説明にはそういう文字が躍っているのですが実際に聞いてみないと私には何のことだかわからないぞ、という感じでした。
で、まじめなクラシックコンサートに行ったのは久しぶりでした。聞きに来ていた人たちは、わりといわゆるクラシックコンサートをまじめに聞きにきていますという身なりとか年代の方々で、着物でいらっしゃっている方々もたくさんいた。久しぶりにこういう感じのコンサートに来たなーという感じ。
それで、「月に憑かれたピエロ」の前に「管楽五重奏曲」op.26というのが演奏されました。その説明にも十二音技法とか高度の対位法技法とかって言葉が躍っておりました。聴いてみたら、いわゆる普通のクラシック音楽じゃなくて、現代音楽の響きだなーとは思いました。現代音楽の中でも昔懐かしいいつも聞いていた感じ。
それで、シェーンベルクというのは表現主義の種類にも入るそうで、表現主義というのは20世紀初頭にドイツで起こった芸術運動のことですが、私はもっぱら表現主義といえば美術の方にはどっぷりつかっておりました。ドイツ表現主義は「新たな感情表現や心理学的表現を推し進め、特にドイツ表現主義は人間心理の暗く、邪悪な面に焦点をあてそれまでの客観的な外部観察ではなく、主観的な感覚を表現する芸術として広がりました」(パンフレットの説明より引用)なんてあります。
とにかくちょっと不気味なものであったり、妄想気味だったり、少し現実から離れた感覚で絵を描いているのが多く(叫びのエドアルド・ムンクも表現主義の作家といわれています。)て、多感な思春期のころに夢中になったものです。
その表現主義が音楽で表現された場合はどうなるんだろう、っていう興味はありましたね。やっぱり、現実からちょっと離れた感覚で作曲したらこうなるのかなーという感じ。心地よいとか、わかりやすいとかそういう感じではないですね。でも、未知の感覚の森を分け入って進んでいく感じ。
「月に憑かれたピエロ」はそのあとピアノ、チェロなどの弦楽器も加わり、そしてソプラノが入ります。歌詞はベルギーのシュールレアリスム派の詩人アルベール・ジローという人が19世紀後半に月と狂気を題材にした「月に憑かれたピエロ」という詩にシェーンベルクが音楽をつけたものです。
説明としては「ピエロ、コロンビーナ、カサンドロなど16~17世紀イタリアのコメディア・デル・アルテの登場人物が月に憑かれた奇怪な幻想と、世紀末的な退廃的雰囲気をまきちらす独特の世界を作っている」とありました。(パンフレットの説明より引用)
これで、シュールレアリスムとくればもう暗い暗い要素全開です。
ダンスはパントマイムでヨネヤマママコさんという方。もう、条件は全て揃ったって感じでした。
と、思ったのですが、表現主義で人間の邪悪な面に焦点を当てて、、、っていう説明はあるのですが、音楽を聞いていて邪悪だなーって感じは全くありませんでした。確かに健康的だな、というものではなかったですが。
月と狂気をいろいろな形で表現するのですが、歌詞にしても出てくる単語は「赤いミサ」とか「絞首台の歌」とか「憂うつなワルツ」とか、いかにもーーーっていうのが続出なのですが、それでもそれでも、やっぱり西洋だからなのかなあ、月の狂気を表現するのもさわやかっていうか、要するに泥臭くないんですよねえ。日本の場合だと萩原朔太郎(「月に吠える」とかっていう作品集がありますから)とかそういうのを思い浮かべてしまうのですが、日本だとなんだかおどろおどろしく泥臭くなってしまう感じがあるのですよね。
ソプラノの歌詞はドイツ語です。そして、やはりとっても不思議なんだけど、フルートの音や不規則なピアノのメロディーがめちゃくちゃ青白く聴こえるんですよ。これはすごいね。ソプラノのドイツ語も青白く聞こえるんです。明らかにプッチーニのオペラのソプラノと色が違うんですよね。これは、絶対舞台演出の影響だけではないと思います。やっぱり月の青白さをメロディーに落とし込んだんですね。。すごいな。シェーンベルク。
ヨネヤマママコさんのパントマイムもとても素晴らしい。非常に明確。表現が豊か。青白い伴奏とソプラノの中で月と戯れているのですね。その西洋風の月の解釈なのでパントマイムもやはり全然泥臭い世界じゃなくて、ああ、なんだか西洋の月だなあと感じました。
お能とか歌舞伎とか色々な身体の動きの様式美を堪能してみますが、パントマイムはもちろん、より自由なものであります。でも、現代舞踏ほど不可解ではない。あれはあれで、しっかりした土台の動きを確立するまで非常に大変なんだろうなと言う印象は受けます。
演奏が終わってカーテンコールが来て、かなり最後は盛り上がっていました。演奏していた方々も解放感に溢れた感じ。そして、お互いをねぎらう。ママコさんはより多くの拍手を持って迎えられました。その時のママコさんの表情がとても優しくて、ああ、この方はきっととても優しい心の方なのかなあ、などと思いました。会場は沸きに沸いて、拍手の洪水だったのですが、私はやはりこういうときは会場の気持ちに同調してしまって、涙がだくだくと出てしまいました。
会場を後にして、久しぶりに芸術的なものに耽溺して何かを描いてみたい気分になりました。そんな刺激をくれる舞台でした。最近はああいうのからは遠ざかっていましたからね。より現実に近いものに囲まれて生活しようとしていましたので(そうでなくても現実に戻ってこられなくなりそうで大変なので)。
シェーンベルクは限りなく青白いです。寒くて透き通ってて青白いです。それがシェーンベルクの第一印象でした。
ムで踊るというものを見てきました。
http://azusachan.chu.jp/classic/information.html
http://www.realtokyo.co.jp/event_cgi/ev_view.cgi?2,2113,01+4+1
シェーンベルクとは実は名前は聞いたことがあったけど、今まで特に聞いたことはなかったのではないかと思う。
シェーンベルクの参考サイトhttp://www.greengrape.net/mizuno/schoenberg/
オーストリアで生まれたユダヤ人の作曲家だそうです。
ここを見ると、無調音楽とか十二音技法というのを作ったそうです。これが、私は音楽の専門的なことがさっぱりわからないので、プログラムの説明にはそういう文字が躍っているのですが実際に聞いてみないと私には何のことだかわからないぞ、という感じでした。
で、まじめなクラシックコンサートに行ったのは久しぶりでした。聞きに来ていた人たちは、わりといわゆるクラシックコンサートをまじめに聞きにきていますという身なりとか年代の方々で、着物でいらっしゃっている方々もたくさんいた。久しぶりにこういう感じのコンサートに来たなーという感じ。
それで、「月に憑かれたピエロ」の前に「管楽五重奏曲」op.26というのが演奏されました。その説明にも十二音技法とか高度の対位法技法とかって言葉が躍っておりました。聴いてみたら、いわゆる普通のクラシック音楽じゃなくて、現代音楽の響きだなーとは思いました。現代音楽の中でも昔懐かしいいつも聞いていた感じ。
それで、シェーンベルクというのは表現主義の種類にも入るそうで、表現主義というのは20世紀初頭にドイツで起こった芸術運動のことですが、私はもっぱら表現主義といえば美術の方にはどっぷりつかっておりました。ドイツ表現主義は「新たな感情表現や心理学的表現を推し進め、特にドイツ表現主義は人間心理の暗く、邪悪な面に焦点をあてそれまでの客観的な外部観察ではなく、主観的な感覚を表現する芸術として広がりました」(パンフレットの説明より引用)なんてあります。
とにかくちょっと不気味なものであったり、妄想気味だったり、少し現実から離れた感覚で絵を描いているのが多く(叫びのエドアルド・ムンクも表現主義の作家といわれています。)て、多感な思春期のころに夢中になったものです。
その表現主義が音楽で表現された場合はどうなるんだろう、っていう興味はありましたね。やっぱり、現実からちょっと離れた感覚で作曲したらこうなるのかなーという感じ。心地よいとか、わかりやすいとかそういう感じではないですね。でも、未知の感覚の森を分け入って進んでいく感じ。
「月に憑かれたピエロ」はそのあとピアノ、チェロなどの弦楽器も加わり、そしてソプラノが入ります。歌詞はベルギーのシュールレアリスム派の詩人アルベール・ジローという人が19世紀後半に月と狂気を題材にした「月に憑かれたピエロ」という詩にシェーンベルクが音楽をつけたものです。
説明としては「ピエロ、コロンビーナ、カサンドロなど16~17世紀イタリアのコメディア・デル・アルテの登場人物が月に憑かれた奇怪な幻想と、世紀末的な退廃的雰囲気をまきちらす独特の世界を作っている」とありました。(パンフレットの説明より引用)
これで、シュールレアリスムとくればもう暗い暗い要素全開です。
ダンスはパントマイムでヨネヤマママコさんという方。もう、条件は全て揃ったって感じでした。
と、思ったのですが、表現主義で人間の邪悪な面に焦点を当てて、、、っていう説明はあるのですが、音楽を聞いていて邪悪だなーって感じは全くありませんでした。確かに健康的だな、というものではなかったですが。
月と狂気をいろいろな形で表現するのですが、歌詞にしても出てくる単語は「赤いミサ」とか「絞首台の歌」とか「憂うつなワルツ」とか、いかにもーーーっていうのが続出なのですが、それでもそれでも、やっぱり西洋だからなのかなあ、月の狂気を表現するのもさわやかっていうか、要するに泥臭くないんですよねえ。日本の場合だと萩原朔太郎(「月に吠える」とかっていう作品集がありますから)とかそういうのを思い浮かべてしまうのですが、日本だとなんだかおどろおどろしく泥臭くなってしまう感じがあるのですよね。
ソプラノの歌詞はドイツ語です。そして、やはりとっても不思議なんだけど、フルートの音や不規則なピアノのメロディーがめちゃくちゃ青白く聴こえるんですよ。これはすごいね。ソプラノのドイツ語も青白く聞こえるんです。明らかにプッチーニのオペラのソプラノと色が違うんですよね。これは、絶対舞台演出の影響だけではないと思います。やっぱり月の青白さをメロディーに落とし込んだんですね。。すごいな。シェーンベルク。
ヨネヤマママコさんのパントマイムもとても素晴らしい。非常に明確。表現が豊か。青白い伴奏とソプラノの中で月と戯れているのですね。その西洋風の月の解釈なのでパントマイムもやはり全然泥臭い世界じゃなくて、ああ、なんだか西洋の月だなあと感じました。
お能とか歌舞伎とか色々な身体の動きの様式美を堪能してみますが、パントマイムはもちろん、より自由なものであります。でも、現代舞踏ほど不可解ではない。あれはあれで、しっかりした土台の動きを確立するまで非常に大変なんだろうなと言う印象は受けます。
演奏が終わってカーテンコールが来て、かなり最後は盛り上がっていました。演奏していた方々も解放感に溢れた感じ。そして、お互いをねぎらう。ママコさんはより多くの拍手を持って迎えられました。その時のママコさんの表情がとても優しくて、ああ、この方はきっととても優しい心の方なのかなあ、などと思いました。会場は沸きに沸いて、拍手の洪水だったのですが、私はやはりこういうときは会場の気持ちに同調してしまって、涙がだくだくと出てしまいました。
会場を後にして、久しぶりに芸術的なものに耽溺して何かを描いてみたい気分になりました。そんな刺激をくれる舞台でした。最近はああいうのからは遠ざかっていましたからね。より現実に近いものに囲まれて生活しようとしていましたので(そうでなくても現実に戻ってこられなくなりそうで大変なので)。
シェーンベルクは限りなく青白いです。寒くて透き通ってて青白いです。それがシェーンベルクの第一印象でした。
パントマイムって 本当に素晴らしい芸術作品ですよね。
私も パントマイムの美しさ、奥の深さに魅了されています。