今日は日曜日で同居人が夜は全員顔を揃えている状態だった。それで、また色々と話し込んでしまう。前に住んでいた時に同居していた仏人(♀)の友達と離れてしまったので、悲しんでいたのだけど、今回の同居人の一人はまた彼女に匹敵する位面白い。なんかね、とりあえず、私が何か質問しても答えられる人はすごい好きだわ(笑)。私は。話題は主に文化芸術系の話。何かの話題になっている本で、生きながら顔を焼かれたアフリカのどこかの国の女性がフランスかなんかに亡命して本を書いたものがあって、表紙は白いマスクをつけたその著者の顔の写真(生きながら焼かれてしまったので顔はやけどで大変なことになっているのでしょう。とても衝撃的な表紙です。)なんですね。で、あの著者の生まれた国はどこだったっけ?と言う話になってフランスに亡命するんだからもとフランスの植民地の可能性があるよねえ。でも、確かイスラム圏じゃなかった気がするよ。と言う話になって、そうしたら、「フランスのアフリカの植民地でイスラム圏じゃない国ってコートジヴォアールだよねえ。あそこって確かキリスト教圏だし。」と言われた。
へー、それは知らなかった。良くそんなこと知ってるなあ、なんて思ってしまった。
まあ、そういう知識をふまえた話もあるんだけど、その同居人さんはまた物知りで、私の質問にもなんでも答えてくれるんだよね。でも、ただの頭でっかちというのではなくてとっても自然体なのね。素晴らしいなあ。っていうか、私の疑問に答えてくれる人がいるのが一番嬉しいのかも(笑)。
そこで、色々話していたら私が昔学生時代やっていた色々なことで、かなり言語執着系の色々な思考実験と言うか構想を思い出した。それで、当時はもう一人私とはちょっと違うアプローチで言語執着系の相棒がいて色々なことをやったり話したりしたものだった。個人的には彼女のその非凡な個性を凌駕する人はいないと思っているのだけど、たとえばどういうのかというと、いつかの石川啄木のように一晩で何百(だったかな?)の短歌を作ってしまったように、彼女は一時期目にしたものを全て回文にしてしまうというのに取り憑かれた人でした。(例えば、巨人戦をテレビで見ていたら「いつまでまつい」とかね。)
まあ、そんな楽しい日々がありました。私に取っては酒とバラの日々ですよ(笑)。私は現代美術でも文字とか言葉を使う作家はその頃はとりわけ好きだったのですが(ヨゼフ・コスースとかサイモン・パターソンとか。。。←あ、これは余りにもマニアックな情報なので気にしないで下さい(笑))、そういうことにのめり込んでいくうちにふと、「お医者さんみたいな誰かの病気を治す」みたいなことをして生きている人に比べると自分はなんか説得力が無いのかなあ、などと思って、それがそこから離れてしまう原因だったような気がする。
まあ、それでも彼女との会話でその日々を思い出したのですね。それはやはり私の原点だったのかなと思います。今は私は自分を取り戻す日々なので、このことはとても良かったと思います。
このままどこに流れ着くのか分かりませんが、当時の私が持っていなくて今の私が持っているものはフランス語力だとか、ブログだとか、政治経済へのそこはかと無い興味とか、社会でそこそこ生きていける力だとかそれなりにあります。またそれをふまえて自分の心の赴くままに突き進んだらそれはそれで面白い展開になるのかな、と思います。
そんなわけで、とても今の環境はよいのだとしみじみ思ったのでした。
【追記:2006/05/25】
Kさんからご指摘をいただきました。
文中の「生きながら焼かれて」という本について触れていますが、
話が全然違うそうです。仮面をつけている理由も違うとのことです。
本を読んでいないので、上記のような間違いを書いてしまいました。
すみませんでした。
私もちゃんとこの本を読んでみたいと思います。
へー、それは知らなかった。良くそんなこと知ってるなあ、なんて思ってしまった。
まあ、そういう知識をふまえた話もあるんだけど、その同居人さんはまた物知りで、私の質問にもなんでも答えてくれるんだよね。でも、ただの頭でっかちというのではなくてとっても自然体なのね。素晴らしいなあ。っていうか、私の疑問に答えてくれる人がいるのが一番嬉しいのかも(笑)。
そこで、色々話していたら私が昔学生時代やっていた色々なことで、かなり言語執着系の色々な思考実験と言うか構想を思い出した。それで、当時はもう一人私とはちょっと違うアプローチで言語執着系の相棒がいて色々なことをやったり話したりしたものだった。個人的には彼女のその非凡な個性を凌駕する人はいないと思っているのだけど、たとえばどういうのかというと、いつかの石川啄木のように一晩で何百(だったかな?)の短歌を作ってしまったように、彼女は一時期目にしたものを全て回文にしてしまうというのに取り憑かれた人でした。(例えば、巨人戦をテレビで見ていたら「いつまでまつい」とかね。)
まあ、そんな楽しい日々がありました。私に取っては酒とバラの日々ですよ(笑)。私は現代美術でも文字とか言葉を使う作家はその頃はとりわけ好きだったのですが(ヨゼフ・コスースとかサイモン・パターソンとか。。。←あ、これは余りにもマニアックな情報なので気にしないで下さい(笑))、そういうことにのめり込んでいくうちにふと、「お医者さんみたいな誰かの病気を治す」みたいなことをして生きている人に比べると自分はなんか説得力が無いのかなあ、などと思って、それがそこから離れてしまう原因だったような気がする。
まあ、それでも彼女との会話でその日々を思い出したのですね。それはやはり私の原点だったのかなと思います。今は私は自分を取り戻す日々なので、このことはとても良かったと思います。
このままどこに流れ着くのか分かりませんが、当時の私が持っていなくて今の私が持っているものはフランス語力だとか、ブログだとか、政治経済へのそこはかと無い興味とか、社会でそこそこ生きていける力だとかそれなりにあります。またそれをふまえて自分の心の赴くままに突き進んだらそれはそれで面白い展開になるのかな、と思います。
そんなわけで、とても今の環境はよいのだとしみじみ思ったのでした。
【追記:2006/05/25】
Kさんからご指摘をいただきました。
文中の「生きながら焼かれて」という本について触れていますが、
話が全然違うそうです。仮面をつけている理由も違うとのことです。
本を読んでいないので、上記のような間違いを書いてしまいました。
すみませんでした。
私もちゃんとこの本を読んでみたいと思います。
仮面をつけている理由も違います。
どうやら読まれておらず、間違った解釈をされているようですね。
ブログで言いたいことは全然別の話のようですが、ちょっと気になりました。