最近のはやりのキーワード「下流社会」。ニートとかフリーターの現象を読み解こうと頭の良い方々や学者さんたちが色々と考察している。それで、最近売れに売れている三浦展氏の主張としては「下流」とは、生活に困る「下層」ではなく、上へ行こうという意欲が低い人、つまり、働く意欲、学ぶ意欲、金持ちになりたいという意欲も低ければ、コミュニケーション能力も低い、同氏いわく「人生への意欲が低い」人を指す。」らしい。
仮にこれが正しいとして、
この記事には
「親の建てた家があり、「ユニクロ」や百円ショップで買い物をして、ファストフードを食べれば、定職につかなくても十分生活できる。「なんなんだ」と、上を目指してきた大人は思いたくもなる。「下流の出現」という三浦氏の指摘は、そんな漠然とした怒りを説明してくれる。」
と書いてある。
あのねー、と思ってしまいます。
自分達は頑張ってきたのに、君たちは頑張らないからそれに怒りを感じる、みたいなことだよね。
意欲がないって言われたって当事者(がもしいるとすれば)は「じゃあ、どうすりゃいいのよ」、みたいな気持ちだろうし、大きなお世話だと思う。
生まれてこのかた物質的に困った事もない、戦争にあった事もない、それほど努力しなくてもたいていのものが手に入る。住むところにも困っていない。そういう人たちがハングリー精神を持てると思いますか??意欲が少なくなるのは当然でしょう。それなのに「そのままでは良くないから意欲を持て」と言ったってそれは無理な話でしょう。
だからって別に何もかも与えてきたその人たちを育てたその親の世代に該当する人たちが悪いんだ、とか責めているわけでもありません。やっぱり戦争が終わって物質的に豊かになるぞ、と頑張ってきた日本の社会の結果の一つの姿がここにあるんだと思う。なんかこういうのを提唱する人たちってさもさも他人事のように書いているけど、社会って言うのは一体化しているんですよ。こういう人たちが出現したとしたら、その背景には自分達の存在が無関係なわけはないんです。それは親子関係も職場の関係も恋人関係も同じです。
あくまでも自分の価値観でしか彼等を見ていない。というか、お偉い学者さんとか頭の良い色々な方々で自分達の価値観ではなくて、対象に歩み寄って何かを理解しようというスタンスでものを言っている人は基本的に私は見つけられない。下流社会を取り上げる色々な記事も同様。一体この人たちは何をしたいんだろう、と思う。問題を喚起したいだけ?自分の仕事でお金をたくさん儲けたいだけじゃないの?とか思ってしまう。 別にお偉い大人の方々があれこれ分析したりするのは結構な事ですが、そういうわけで、こういったたぐいのものを読むと最近は「何を寝ぼけた事を言ってるんだろうな」と思います。 そういう意味で一人私は「この人はイイ!」って思ったのはベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)というフランスの哲学者。この人は現代社会の色々な問題を解読しようとしている。実はちょっと前に日本に来ていてなかなか面白いシンポジウムをしていたようなんだけど、私はそれが終わってからこの人の存在を知ったので非常に残念だった。ハッキリ言って言ってる事は難しいし、ろくに著書が日本語で出版されていないので(現在翻訳中らしいです)、私がこの人の思想をどれだけわかっているかというと、ろくに分かってないのですが(汗)。それでも何をもってこの人を評価するかと言うと、そういう社会をどうやったら良くできるだろう、という活動をしていると言う事です。言いっぱなしじゃないところが好きです。
それで私は哲学者(ポストモダンとかなんとかかんとかあたり)は全然興味ありません。っていうか、単に頭が悪くて理解できないというか、面白みを感じないだけですが。どのあたりの事を言っているかというとヴィトゲンシュタインだのジャック・デリダだのハイデッガーだのってあたり。なんか知の遊びって感じで、あんまり知りたいって思わなかったのです。やっぱり私は根はキムタケさんみたいな実業系(言い出したら、実際にやるという意味)が好きなので哲学者って言ってるだけみたいな気がしてあまり興味が持てないんだろうな。まあ、そのうち価値がわかる日もくるかもしれません。あと、言うだけの人で何が好きじゃないかと言うと、すごい思想を提唱しているけど、家庭がだめだめな人とか。そういうのってどうよ、とかって思っちゃう。そんなお偉い真実がわかっているなら、家庭の問題くらい対処できるだろうに、できてないなら説得力ないじゃん、とかって思ってしまったり(笑)。いとも感情的な私の考えであります(笑)。
となんでそんな事をぶつぶつと言っているかと言うと、スティグレールの思想の土台に上記のような哲学者の名前がぞろぞろと出て来るからなのでした。
それで、ちょっと話がそれちゃったのですが、なんで三浦展氏はじめもろもろの事にこういった違和感を感じてしまったか、というと、ちょっとヒントがありまして、最近ある人からその人の今までの生きてきた過程の話を聞いたことがきっかけです。その方は年代は私とほぼ同じだと思うのですが、その方は阪神大震災に遭って人生観が変わったそうです。震災にあった時、「前日までこんな命いつでもくれてやるわーとえらそうに考えていたのに、ぶるぶる震えながら必死で助かろうとしている自分がいてふっきれました。あっ、体全体が生きたいと叫んでいる!」と感じてから生きる姿勢が変わったそうです。
なんていうか、もし三浦展氏言うところの下流社会があるとすれば、このような出来事が欠けているからだと思うんですね。もちろん私たちは生命の危険にさらされるって事がめったにないです。生きたくても生きられない国で生きている人たちと違うと思うんです。でも、じゃあ、そういう経験しろって言われてもやっぱり困ってしまいますよね。私たちはこの社会で生きているのです。それが現実なのです。例えば、貧しい国では子供が売られたり、過酷な労働をさせられたりします。そういう事は人間が成長する上で好ましくないよね、そういった事をなくせばいい世の中になるんだ、と思って頑張ったわけですよね?そして、その努力が実って物質的に困らないように子供を育てられるようになった。よかったよかった、と思っていたら、結果としてそういうことになったわけですよね。それなのに「意欲が足りない」って分析したからどうなの???そして、その分析に対して「そうだそうだ、バッチリ指摘してくれてすごい」とか「そうだそうだ、どうしよう、困ったものだ」と思うのはどうなの??と私は思ってしまうんです。否定するんじゃなくて、「あのー、そう思うのは別に止めないけど、ほかにやる事あるんじゃないの?」と思ってしまうんですね。
そういうわけで、私は三浦展もろもろの話よりはベルナール・スティグレールの方に興味を惹かれるのですが、言ってる言葉自体はすごく難しいので、日本人でわかりやすくこの哲学者を説明してくれる人出てこないかなーと都合のいい事を思っています。
【関連リンク】
●ベルナール・スティグレールについて
●Arts Industriels
↑これが彼の色々な社会に働きかける活動をしているサイト
仏・伊・西・英語対応はしているけど、残念ながら日本語はない。
●「技術と時間 ハイパー産業時代に立ち向かう哲学 ベルナール・スティグレールの思想をめぐって 」
これが私が知るきっかけになったシンポジウム
ページの右側にパンフレットのPDFがあります。ベルナール・スティグレールは著書の日本語版がまだ出ていないのですが、思想の概略としてはこれで多少雰囲気をつかめると思います。
仮にこれが正しいとして、
この記事には
「親の建てた家があり、「ユニクロ」や百円ショップで買い物をして、ファストフードを食べれば、定職につかなくても十分生活できる。「なんなんだ」と、上を目指してきた大人は思いたくもなる。「下流の出現」という三浦氏の指摘は、そんな漠然とした怒りを説明してくれる。」
と書いてある。
あのねー、と思ってしまいます。
自分達は頑張ってきたのに、君たちは頑張らないからそれに怒りを感じる、みたいなことだよね。
意欲がないって言われたって当事者(がもしいるとすれば)は「じゃあ、どうすりゃいいのよ」、みたいな気持ちだろうし、大きなお世話だと思う。
生まれてこのかた物質的に困った事もない、戦争にあった事もない、それほど努力しなくてもたいていのものが手に入る。住むところにも困っていない。そういう人たちがハングリー精神を持てると思いますか??意欲が少なくなるのは当然でしょう。それなのに「そのままでは良くないから意欲を持て」と言ったってそれは無理な話でしょう。
だからって別に何もかも与えてきたその人たちを育てたその親の世代に該当する人たちが悪いんだ、とか責めているわけでもありません。やっぱり戦争が終わって物質的に豊かになるぞ、と頑張ってきた日本の社会の結果の一つの姿がここにあるんだと思う。なんかこういうのを提唱する人たちってさもさも他人事のように書いているけど、社会って言うのは一体化しているんですよ。こういう人たちが出現したとしたら、その背景には自分達の存在が無関係なわけはないんです。それは親子関係も職場の関係も恋人関係も同じです。
あくまでも自分の価値観でしか彼等を見ていない。というか、お偉い学者さんとか頭の良い色々な方々で自分達の価値観ではなくて、対象に歩み寄って何かを理解しようというスタンスでものを言っている人は基本的に私は見つけられない。下流社会を取り上げる色々な記事も同様。一体この人たちは何をしたいんだろう、と思う。問題を喚起したいだけ?自分の仕事でお金をたくさん儲けたいだけじゃないの?とか思ってしまう。 別にお偉い大人の方々があれこれ分析したりするのは結構な事ですが、そういうわけで、こういったたぐいのものを読むと最近は「何を寝ぼけた事を言ってるんだろうな」と思います。 そういう意味で一人私は「この人はイイ!」って思ったのはベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)というフランスの哲学者。この人は現代社会の色々な問題を解読しようとしている。実はちょっと前に日本に来ていてなかなか面白いシンポジウムをしていたようなんだけど、私はそれが終わってからこの人の存在を知ったので非常に残念だった。ハッキリ言って言ってる事は難しいし、ろくに著書が日本語で出版されていないので(現在翻訳中らしいです)、私がこの人の思想をどれだけわかっているかというと、ろくに分かってないのですが(汗)。それでも何をもってこの人を評価するかと言うと、そういう社会をどうやったら良くできるだろう、という活動をしていると言う事です。言いっぱなしじゃないところが好きです。
それで私は哲学者(ポストモダンとかなんとかかんとかあたり)は全然興味ありません。っていうか、単に頭が悪くて理解できないというか、面白みを感じないだけですが。どのあたりの事を言っているかというとヴィトゲンシュタインだのジャック・デリダだのハイデッガーだのってあたり。なんか知の遊びって感じで、あんまり知りたいって思わなかったのです。やっぱり私は根はキムタケさんみたいな実業系(言い出したら、実際にやるという意味)が好きなので哲学者って言ってるだけみたいな気がしてあまり興味が持てないんだろうな。まあ、そのうち価値がわかる日もくるかもしれません。あと、言うだけの人で何が好きじゃないかと言うと、すごい思想を提唱しているけど、家庭がだめだめな人とか。そういうのってどうよ、とかって思っちゃう。そんなお偉い真実がわかっているなら、家庭の問題くらい対処できるだろうに、できてないなら説得力ないじゃん、とかって思ってしまったり(笑)。いとも感情的な私の考えであります(笑)。
となんでそんな事をぶつぶつと言っているかと言うと、スティグレールの思想の土台に上記のような哲学者の名前がぞろぞろと出て来るからなのでした。
それで、ちょっと話がそれちゃったのですが、なんで三浦展氏はじめもろもろの事にこういった違和感を感じてしまったか、というと、ちょっとヒントがありまして、最近ある人からその人の今までの生きてきた過程の話を聞いたことがきっかけです。その方は年代は私とほぼ同じだと思うのですが、その方は阪神大震災に遭って人生観が変わったそうです。震災にあった時、「前日までこんな命いつでもくれてやるわーとえらそうに考えていたのに、ぶるぶる震えながら必死で助かろうとしている自分がいてふっきれました。あっ、体全体が生きたいと叫んでいる!」と感じてから生きる姿勢が変わったそうです。
なんていうか、もし三浦展氏言うところの下流社会があるとすれば、このような出来事が欠けているからだと思うんですね。もちろん私たちは生命の危険にさらされるって事がめったにないです。生きたくても生きられない国で生きている人たちと違うと思うんです。でも、じゃあ、そういう経験しろって言われてもやっぱり困ってしまいますよね。私たちはこの社会で生きているのです。それが現実なのです。例えば、貧しい国では子供が売られたり、過酷な労働をさせられたりします。そういう事は人間が成長する上で好ましくないよね、そういった事をなくせばいい世の中になるんだ、と思って頑張ったわけですよね?そして、その努力が実って物質的に困らないように子供を育てられるようになった。よかったよかった、と思っていたら、結果としてそういうことになったわけですよね。それなのに「意欲が足りない」って分析したからどうなの???そして、その分析に対して「そうだそうだ、バッチリ指摘してくれてすごい」とか「そうだそうだ、どうしよう、困ったものだ」と思うのはどうなの??と私は思ってしまうんです。否定するんじゃなくて、「あのー、そう思うのは別に止めないけど、ほかにやる事あるんじゃないの?」と思ってしまうんですね。
そういうわけで、私は三浦展もろもろの話よりはベルナール・スティグレールの方に興味を惹かれるのですが、言ってる言葉自体はすごく難しいので、日本人でわかりやすくこの哲学者を説明してくれる人出てこないかなーと都合のいい事を思っています。
【関連リンク】
●ベルナール・スティグレールについて
●Arts Industriels
↑これが彼の色々な社会に働きかける活動をしているサイト
仏・伊・西・英語対応はしているけど、残念ながら日本語はない。
●「技術と時間 ハイパー産業時代に立ち向かう哲学 ベルナール・スティグレールの思想をめぐって 」
これが私が知るきっかけになったシンポジウム
ページの右側にパンフレットのPDFがあります。ベルナール・スティグレールは著書の日本語版がまだ出ていないのですが、思想の概略としてはこれで多少雰囲気をつかめると思います。
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いやー、なんか知らないけど、涙が出てしまいました(笑)。実感が篭ってるというか迫力があるというか、ぼくもこの辺りのことは何冊か本を読んでいて、何か釈然とせずモヤモヤしてたのですが、このエントリを読んで霧が晴れた思いがします。一つの方向性のようなものが見えてきたように思います。
それから、ベルナール・スティグレール氏は、そういう人だったのですか。あれ以来、氏のことは、そのままになってしまっていたのですが、改めて目を向けてみようと思いました。