私の体に起こる誰に聞いてもわからない症状って要するに「不定愁訴」ってやつなんだろうか、と今日
ふとひらめいた。。
不定愁訴とは:http://homepage2.nifty.com/uoh/rinshou/37futeishuuso.htm
どっちにしろ、原因は心身症だの、自律神経云々だの、そんなのばっかりだけど。

じゃあ、この症状にはどんな対応をすればいいんでしょう?
と言うのを調べてみたら
原因がわかっている場合は原因を取り除く治療をします。
わかっていない場合は、対処療法的な治療になります。
と書いてあった(このページより。子供の不定愁訴についてのページですが、趣旨は大人も同じと思っていいんでしょう。)

ということは、私は慢性的で重症の不眠症で不定愁訴もあるということなんだろうか。なんかわからないけど、医学はラベリングはとてもちゃんと行われているので、そんな感じなのかもしれません。

自律神経の乱れでそうなります、みたいな話ですが、それは納得。しかし、治す方法はこれですってわけにはいかないんだろうけどな。そうすると自律神経失調症みたいなことですよね。
じゃあ、そういうのは医学ではどういう風に治すんだろう、と思って調べてみたら、結局心理療法あたりらしい。結局今自分がやっていることと殆ど変わらない。じゃあ、自分がやってきたことは医学的にもあながち的はずれではなかったという事ねと何となく思った。

まあ、そんなところでなんとなく自分的に納得。
病名を付けられたことがなかったので、自分の色々な症状がなんだかわからずとても辛かった。病名を言える人たちがとても羨ましかった(←って言うと怒る人もいるかもしれませんが)。まあ、私が単に無知だったのかも知れませんが。それにお医者さんにも言ったことなかったし。どうせ「気のせいじゃないですか」とか「原因が分からないのでなんともいえません」とかしか言われないだろうなあ、っていう気分だったもので(←ほんとにあんたは医者が嫌いなんだね、と思う。そういう偏見は改めないといけないと思うけど)。

病名を言われるということはデメリットとメリットがあると思う。しかし、私の症状は自分に何が起こっているのがわからなくてとても辛かったし、人にも説明のしようがなくてとても辛かった。まあ、これはこれでいいと思う。この場合はふーん、不定愁訴かぁ、って思えるからいいと思う。これは自分の不定愁訴という言葉に対するイメージが自分の今の現実にちょっと追加されて自分に認識されるからかな、とも思うけど。何よりも正体がわからなければ対処方法がわからない、という不安からは少なくとも解放されるのだと思う。

対処法って言ったって、別にどのくらいで治るのかとかそういうのは全くわかりませんけど、単に心理療法をしましょう、って書いてあるだけだったりするわけですから。それでも、なんでも、まあ、ないよりはまし。

チャクラの観点から言うと、ずーっと私は色々なところで胸のチャクラが反応している。頭のチャクラがかなり反応している、というのを言われ続けていて、それに対してこういう症状が出るのねと考えると、なんとなく辻褄が合うというかそんな症状に悩まされている私ではあります。それを医学で不定愁訴だ、自律神経のバランスが云々というならそういうことなんだろう。まあ、別にそれがわかったからと言って症状が軽減するというわけでもないのですが、なんとなく気が済みました。