に行ってきました。
http://mot-art-museum.jp/special/cartier/
このURLの写真の作品は必見。
これはかなりすごいです。
ここ数年、余り積極的に美術展を見に行けなかった私でしたが、ようやく少しずつエンジンがかかってきたかもしれません。
作品の傾向としてはカルティエ財団がどんな趣味しているのか、っていうのが余りよくわからずに行ったのですが、やっぱり趣味がいいな、と言うのと、そんなにオドロオドロしいのはなかったな、と言うのと、写真やフィルムの作品が結構あったと言う事でした。あとは、カルティエなのでさり気なくフランス人の作品も多い。
それをしっかり見ていたら、あっと言う間に閉館時間になってしまいました。もう、あまり日にちもないけど、見に行く人はせめてお昼過ぎくらいから行った方がいいかも。
ナン・ゴールディンの写真なんて真面目にあんなに大量に見たのは初めてでしたが、やはりほとばしる勢いを感じました。なんか、人間が生きてるぞーっていう勢い。今まであまり好きな作家じゃなかったけど、魅力がよくわかりました。
個人的に一番ツボにハマったのが、あるフィルム作家が、アマゾンのクマノミ族という種族に密着して映像を撮っている作品でした。テーマは狩猟とシャーマンなんですが、狩猟といっても別にハリウッド映画のようにハラハラドキドキ山あり谷ありするわけではなく、たんたんとジャングルの中を数人の男が獲物を求めて弓矢を持って歩いていて、時々弓矢を射たりする感じです。表情も、なんか真剣なんだか楽しいんだかさっぱりわからない表情。数人の男たちが力を合わせて何かをしとめるのかと思いきや、必ずしもそういう訳でもなく、なんとなくマッタリとした狩りだなあ、という印象を受けました。
言葉もあまり交わしてなくて、どういう心理状況でこの数人の男たちの人間関係が成り立っているのか、さっぱり不明。以心伝心なのでしょうか。アフリカのドゴン族あたりの言葉だと「○○○」という三音節の単語を日本語にすると、これは一つの例だけど「隣村のだれだれが2頭の○○を昨日しとめた」くらいな意味になって、え?それしか単語を言ってないのに、そんなにたくさんの事を言ってる意味になるわけ???という事らしいんだけど、このアマゾンのクマノミ族の言葉もなんだかそんな気配があるんじゃないかと勘ぐってしまった。
参考:ドゴン族
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
衣服は、ほとんどつけてなくてほぼ全裸。どうしても、股間の処理をどうしているのか気になってつい目がいってしまう。何にもつけてないってことはないと思うんですよね。やっぱり保護の観点から言って。集落の映像では女性はちゃんとそこら辺は隠してましたけど。
もう一つの大きな目玉はシャーマンです。シャーマンと言っても、見た印象としては、またしても数人の男が鳥の羽などを頭や体につけて着飾り(ちょっと特別なときの装いと言う感じでした)、粉をどんどん鼻から吸い込む。それって、もしかしてコカイン系の粉のドラッグなのかな?と思って見ていたけど、なんか死ぬほどラリってる感じでもなく、それでもいい感じに酔っぱらったおじさんの集団になっていく。私の勝手な印象としては、シャーマンってもっと思索的で素敵なものかと思っていたらそう言うものではなくて、単に酔っぱらって半分ラリったおじさんたちが奇声を発しながら踊ったりまわったりしているようなものだった。
踊りと踊りに使う言葉(楽器としての声?)はやはりかなり原始的に感じた。例えばバリ島のケチャに当たるような、秩序や決まりは特にない感じ。適当に声を出したりして、ほんと新橋で酔っぱらってるおじさんたちがくだを巻いているのとそんなにリズム的には変わらないように感じた。ただ、映像には説明などは一切なかったので(別に学術的なフィルムではないから)、なんか私の勝手な想像で色々な事を解釈しているだけだったんだけど。
ただ、やはり自分を含めた自分の身の回りにいる人間とはちょっと表情が違うなあ、というのはずっと感じていた。言葉も、それほど複雑な抽象概念がないのかなあ、と思う。いや、それは向こうの方が劣っているという意味ではなくて、どんな心理構造をしているのかな、、というのがとても興味があるところ。
例えば、同じジャングルに生まれたとしても、ずっと裸でいようと思うか、少しは体に衣服をつけてみようかと思うか、やっぱりその辺の気分ってどこが違って来ると思うのだ。自分がジャングルに生まれたら、どういう風にしたかなあ、と思う。その環境と因習にどっぷり染まりはするだろうけど、どのくらい自分のいる世界を理解しようという意欲が湧くのかとかそういうのは部族差とか個人差があるのだったら、それは面白いなあ、と思う。
と言う事で、全然美術展に行った感想ではない感想になってしまいました。
もう一眠りする前に少し社会言語学の本でも読んで寝ます。
参考リンク:その作家のフィルモグラフィー
http://www.magnumphotos.com/c/htm/TreePf_MAG.aspx?ID=DER
とは言え、今調べたら上記の展覧会情報のページにこの作品の情報が載ってなくて、クマノミ族って名前も記憶を頼りに書いているので確かではない。
http://mot-art-museum.jp/special/cartier/
このURLの写真の作品は必見。
これはかなりすごいです。
ここ数年、余り積極的に美術展を見に行けなかった私でしたが、ようやく少しずつエンジンがかかってきたかもしれません。
作品の傾向としてはカルティエ財団がどんな趣味しているのか、っていうのが余りよくわからずに行ったのですが、やっぱり趣味がいいな、と言うのと、そんなにオドロオドロしいのはなかったな、と言うのと、写真やフィルムの作品が結構あったと言う事でした。あとは、カルティエなのでさり気なくフランス人の作品も多い。
それをしっかり見ていたら、あっと言う間に閉館時間になってしまいました。もう、あまり日にちもないけど、見に行く人はせめてお昼過ぎくらいから行った方がいいかも。
ナン・ゴールディンの写真なんて真面目にあんなに大量に見たのは初めてでしたが、やはりほとばしる勢いを感じました。なんか、人間が生きてるぞーっていう勢い。今まであまり好きな作家じゃなかったけど、魅力がよくわかりました。
個人的に一番ツボにハマったのが、あるフィルム作家が、アマゾンのクマノミ族という種族に密着して映像を撮っている作品でした。テーマは狩猟とシャーマンなんですが、狩猟といっても別にハリウッド映画のようにハラハラドキドキ山あり谷ありするわけではなく、たんたんとジャングルの中を数人の男が獲物を求めて弓矢を持って歩いていて、時々弓矢を射たりする感じです。表情も、なんか真剣なんだか楽しいんだかさっぱりわからない表情。数人の男たちが力を合わせて何かをしとめるのかと思いきや、必ずしもそういう訳でもなく、なんとなくマッタリとした狩りだなあ、という印象を受けました。
言葉もあまり交わしてなくて、どういう心理状況でこの数人の男たちの人間関係が成り立っているのか、さっぱり不明。以心伝心なのでしょうか。アフリカのドゴン族あたりの言葉だと「○○○」という三音節の単語を日本語にすると、これは一つの例だけど「隣村のだれだれが2頭の○○を昨日しとめた」くらいな意味になって、え?それしか単語を言ってないのに、そんなにたくさんの事を言ってる意味になるわけ???という事らしいんだけど、このアマゾンのクマノミ族の言葉もなんだかそんな気配があるんじゃないかと勘ぐってしまった。
参考:ドゴン族
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
衣服は、ほとんどつけてなくてほぼ全裸。どうしても、股間の処理をどうしているのか気になってつい目がいってしまう。何にもつけてないってことはないと思うんですよね。やっぱり保護の観点から言って。集落の映像では女性はちゃんとそこら辺は隠してましたけど。
もう一つの大きな目玉はシャーマンです。シャーマンと言っても、見た印象としては、またしても数人の男が鳥の羽などを頭や体につけて着飾り(ちょっと特別なときの装いと言う感じでした)、粉をどんどん鼻から吸い込む。それって、もしかしてコカイン系の粉のドラッグなのかな?と思って見ていたけど、なんか死ぬほどラリってる感じでもなく、それでもいい感じに酔っぱらったおじさんの集団になっていく。私の勝手な印象としては、シャーマンってもっと思索的で素敵なものかと思っていたらそう言うものではなくて、単に酔っぱらって半分ラリったおじさんたちが奇声を発しながら踊ったりまわったりしているようなものだった。
踊りと踊りに使う言葉(楽器としての声?)はやはりかなり原始的に感じた。例えばバリ島のケチャに当たるような、秩序や決まりは特にない感じ。適当に声を出したりして、ほんと新橋で酔っぱらってるおじさんたちがくだを巻いているのとそんなにリズム的には変わらないように感じた。ただ、映像には説明などは一切なかったので(別に学術的なフィルムではないから)、なんか私の勝手な想像で色々な事を解釈しているだけだったんだけど。
ただ、やはり自分を含めた自分の身の回りにいる人間とはちょっと表情が違うなあ、というのはずっと感じていた。言葉も、それほど複雑な抽象概念がないのかなあ、と思う。いや、それは向こうの方が劣っているという意味ではなくて、どんな心理構造をしているのかな、、というのがとても興味があるところ。
例えば、同じジャングルに生まれたとしても、ずっと裸でいようと思うか、少しは体に衣服をつけてみようかと思うか、やっぱりその辺の気分ってどこが違って来ると思うのだ。自分がジャングルに生まれたら、どういう風にしたかなあ、と思う。その環境と因習にどっぷり染まりはするだろうけど、どのくらい自分のいる世界を理解しようという意欲が湧くのかとかそういうのは部族差とか個人差があるのだったら、それは面白いなあ、と思う。
と言う事で、全然美術展に行った感想ではない感想になってしまいました。
もう一眠りする前に少し社会言語学の本でも読んで寝ます。
参考リンク:その作家のフィルモグラフィー
http://www.magnumphotos.com/c/htm/TreePf_MAG.aspx?ID=DER
とは言え、今調べたら上記の展覧会情報のページにこの作品の情報が載ってなくて、クマノミ族って名前も記憶を頼りに書いているので確かではない。
これは興味深いですね!
妄想するに、毎日の生活が、昨日と今日で、去年と今年で、起こる事も行動する事も、それほど変わらない社会では、多くの言葉は必要ないのかも知れない。
四文字熟語なんかも、もそんな感じなのかなー、などと思いました。それから、夫婦とか旧知の友の交わす言葉も年々単純になって来るらしいけど、それと似ているのかなー、などと思いました。
それにしても、改めてHiroetteさんの観察力、想像力に感服しました。素晴らしい、というより恐ろしい!(笑)