こころのはなし

メンヘルは親が悪いか自分が悪いか

というタイトルのページを2ちゃんねるで見つけた。

ある答えが
「親も環境の影響を受けてるから、家系が悪いと思う。
人の倍努力して負の連鎖を断ち切るか、自分の代で家系を閉ざすしかない。 」
というもの。

なんかとても激しく同意してしまいました。
ほんとにその二つしか選択肢はないと思う。
ま、うちの場合はほかの兄弟には問題がないので、私が子供を産まなかったからどうこうというのは家系には関係ない。あくまでも私個人の話(あるいは配偶者と言う人がいるなら、そちらの問題)。

ある人たちと話していて、親に虐待されたからって言って自分も子供に虐待するかも、っていって子供を産まなかったり結婚したりしないのはやっぱり違うと思う。負の連鎖は断ち切れるんだから、みたいな事を言っていて、その方々がその言葉を言うのにそれなりの人生を生きている方々だったのでなるほど、と思った。

でも、メンヘルで苦しんでいる人と言うのは100%、親およびその先祖の負の連鎖を断ち切ろうと努力している人たちだと思います。連鎖を一人で浄化しようとしている人たちだと思う。自画自賛ではないが。。。ま、努力しているうちに寿命がきてしまって死んでしまう人もいるかもしれないが、それ以外に選択肢があるわけでもなく(自殺とか殺人とかしかないかもしれないから。。。。ほんと最近の殺人事件を見るとそう思うよ。)、まあ、仕方ないのであります。

少なくとも環境には良いことをしているのでは、と思いました。

眠れない

ということで非常に苦しんでおります。
いっそのこと気でも狂った方が楽なんだろうと思う。
変に理性が残っているから辛いんだ。

ほんとに、死んだ方がましなんだろうかなどと考えます。

眠れないため頭が働かずブログももちろん書けません。
本格的な闘病生活も3年目だなあと思う。
あとどれくらい続くんだろうなあ。
何もできないまま年老いていくだけなのかなあ。

色々なこと経験してみたかった。

覚えていることと覚えていないこと

たまたま母親と私の子供時代の話をした。
そうしたら、私が小さいときに絵本の読み聞かせを毎晩のようにしていたと言ったんですね。しかし、当の私は全く覚えていなかったんです。

それで、弟と妹にも同じように読み聞かせをしていたらしい。年齢差を考えると私が小学校の低学年までやっていたはずなのです。2歳か3歳の記憶がないならまだしも、そんな大きくなってからの記憶でも全く残っていないというのがとても驚きだったのでした。

そこで、弟と妹に母親に絵本の読み聞かせをしてもらったのを覚えているかというのを聞いてみました。弟は克明に覚えていて、あの本とあの本とあの本を読んでもらってこの本はすごく印象的だったという。妹の方はぼんやり覚えていると言う。ただ弟は昼寝のときに読んでもらっていたようなので、私はその時はすでに小学校へ行っていた可能性もある。

しかし、妹や弟にそこまで本を読んであげているなら、第一子の私には当然のごとく読んでいただろうことは想像にかたくないわけで。それを全く覚えていない。しかも毎晩のように読んでもらっていたのに一切そのことを覚えていないというのは、ちょっと異常な気がしたのだ。少し覚えている、ぼんやり覚えている、ではなくて全く覚えていないのです。その年頃のほかの記憶が全くないかといえば、そんなことはなくそれなりに記憶はあるのです。不思議なこともあるものですよねえ。

記憶と言うのはとても楽しかったことは記憶に残るそうです。そして、とても辛かったことも記憶に残るそうです。でも、どうでもよかったことは記憶に残らないらしいです。ってことは私にとって親から絵本を読み聞かせてもらったことはどうでも良かったのでしょか。さぞかし親は一生懸命読み聞かせをしたのだろうに。。。全く甲斐のない子供でありますね(汗)。まあ、不思議なこともあるものだなあと思ったのでした。

「誰も知らない」を見た

今日は「誰も知らない」をDVDで見ました。とは言え、今までは自分から進んではとても見る気にはならなかったのだけど、同居人さんが借りてきてくれていて一緒に見ることができました。

なんか、これは映画評とか感想を書く気にはとてもなれない。見る前からだいたいどういう感じかはわかっていたので(だって実話を下敷きにしてあるとかそういうので)、はっきり言って劇場へ行ってお金を払ってじっくりしっかり見るのは私には余りにも辛いのでそれはしなかった。

っていうか、今自分が精神分析などを受けていて、幼少期および成長期にどういう刺激を受けるとどういう感じになるというようなことを身を以て感じているので、この子たちが受けた精神的な傷は相当だろうなと思う。私の場合は特にこういった育児放棄とは全然違いますが(というか、どの人もみんなそれぞれ違うんですよ。きっと)。

この映画の主人公にあたる長男は今なら30歳前後になっているはず。この映画の存在ももちろん知っていることでしょう。ご本人がどんな気持ちでこの映画を見るか私には全く想像がつきません。

分析オタク

そして、私が行っている精神分析の先生は分析オタクである。なんでもかんでも分析してしまうんですよ。 だんなさんがタルコフスキーの映画が好きだと言うことでタルコフスキーの映画を何本かビデオで借りてきてみたそうです。で、作品を見ながら分析して、タルコフスキーの性格とか成長過程がどんなだったかを予想していたんだそう。そういうのノートに取りながら?のかの偉大なタルコフスキーの作品見るのってどうよ、っていういうのはこの際なし。芸術作品は自分の好きなように鑑賞すれば良いのですから。
で、後日たまたまタルコフスキー特集みたいなのをNHKかなんかでやっていたので、見たんだそうです。そうしたら、その分析結果がほとんど当たってたそうです。いやー、なんかすごいですねえ。当ててどうすんだ、って話はありますが、とにかく分析しているのがその先生にとっての喜びなんだからそれでいいんでしょう。

人によっては分析されて自分の嫌な部分とか人には知られたくない部分とかが明るみに出るのが嫌だって言う人はいますよね。でも、結局人に知られたくない部分って言うのも、知られたくないと思うようになった何か原因があったりするのだろうし、嫌な部分というのもその成長過程で何かへの反動でできたものかもしれないので、それが明るみに出たから自分は人格の悪いところが見えてしまったとかっていう話ではないんでしょうね。

いま巷でしきりにホリエモンは拝金主義でその辺がちょっと・・・とかっていう人も多かったりするけど、ホリエモンさんがそこまでお金に執着するようになった背景にはそれなりの原因となる色々なことがあるからってだけなんでしょうね。それを指して「人間としてどうか」とか「好きになれない」とか「尊敬できない」という話とはまた違うのかも。逆にそこまで自分を突き動かすすごいパワーを発揮して今や日本の社会をぐるんぐるんとかき混ぜてしまうほどなのですから、成長過程の色々な影響から来る反動ってすごいんだなあ、と思います。でも、それも実はホリエモンさんが3歳までの間に何らかのことが起こってああ言う風に育っていったとしたら、それはそれですごいなあと思います。だってお金のことなんて3歳以前に概念として理解できないことだろうしね。

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